ポール・マッカートニーが語る「ミッシェル」の誕生秘話:新たなベース演奏のアプローチ
今回の記事は以下マガジンに収録させて頂きました。
Michelle - McCartney: A Life in Lyrics | Podcast
下のpodcast「lyricsの人生」より 、英国において1965年12月3日に発売された、ビートルズの6作目の英国盤公式オリジナル・アルバム 『 Rubber Soul』のA面7曲目「Michelle」を分解・分析させて頂きます。
1965年にリリースされたビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」に収録された「ミッシェル」は、当初軽快なパーティーソングとして構想されていました。しかし、ポール・マッカートニーはこれを本格的なビートルズソングに昇華させるべく、説得力のあるフランス語の歌手に聞こえるだけでなく、モータウンのジェームス・ジェマーソンにインスパイアされた新たなベース演奏のアプローチを取り入れるという試みを行いました。
本稿では、「ミッシェル」の誕生過程と、この曲制作におけるポール・マッカートニーの音楽探求について詳細に分析し、日本語で分かりやすく説明します。
若き天才はフランス人のように振る舞う
マッカートニーは学生時代、アートパーティーに行く度にギターを持参し、フランス語のように聞こえる歌やフレーズを演奏することで、上級生や他のアーティストたちを印象づけようとしていました。黒い襟付きセーターを着て、フランス人のように見せかけること、さらにフランス語のように聞こえる歌やフランス的な唸り声を出すことで、年上の人々を印象づけようとしていたとのコト。
コード進行のルーツ:楽器店での出会いから生まれたインスピレーション
リバプールの音楽店で出会ったジャズコード
ポールは若い頃、リバプールのヘシーズギターショップによく通っていました。そこでオーナーのジムから、ジャズギタリストが使うような特殊なコードを教わります。このコードは後に「ミッシェル」で使われることになります。
ミッシェルの原型となるメロディー
パーティーでフランス人のふりをしながら弾いていたメロディーが、後の「ミッシェル」の原型となります。数年後、ビートルズが人気になり始めた頃、ジョンがそのメロディーを思い出し、曲にするよう勧めたのでした。
エディット・ピアフへのオマージュ
ポールはフランスの国民的歌手エディット・ピアフの「ミロード」に感銘を受けていました。「ミッシェル」を作る際、ピアフへのオマージュとしてフランス語の歌詞を入れたいと考えます。
友人の妻がフランス語の歌詞を提案
しかしポールはフランス語が話せません。そこで親友アイヴァンの妻(フランス語の講師)に相談すると、マベル"=私の美しい人 を提案され、それが"ミッシェル"という名前と組み合わされたことで、ポールはそれを気に入り、曲に取り入れました。
レコーディングとその後:ビートルズの飛躍と名曲の誕生
1965年、ビートルズはアルバム「ラバー・ソウル」に「ミッシェル」を収録します。「ミッシェル」のレコーディングはわずか1時間半で終わりました。メンバー全員が入念にリハーサルをしていたからです。ポールはギターとベースを担当。印象的なベースラインを生み出しました。
「幸運なことに、私たちは準備万端で入っていった。」マッカートニー自身がギターを弾き、ジョージ・ハリソンがエレキギターのソロを演奏し、他のメンバーがコーラスを入れるなど、入念な準備があったからこそ短時間で録音を仕上げられたと考えられます。
モータウンのベーシストに触発されて
ポールのベースはモータウンのジェームス・ジェマーソンに大きな影響を受けていました。それまでのシンプルなベースラインとは一線を画し、よりメロディアスなフレーズを生み出すようになったのです。
ビートルズを超えて:オバマ大統領の前で奏でられた感動の瞬間
ずっと後の2010年、ポールはホワイトハウスでオバマ大統領から賞を授与された際、ファーストレディのミシェル・オバマ : Michelle Obama に向けてこの曲を歌いました。50年近く前に生まれた曲が、時を超えて多くの人を魅了し続けているのです。
結論
「ミッシェル」誕生の裏には、若きポールの音楽への探究心と遊び心、そして周囲の人々からのインスピレーションがありました。ビートルズの名曲の多くがそうであるように、一つ一つの体験や出会いが織り成す、創作の神秘を感じずにはいられません。
補足 :
「ミッシェル」とは 直接は関係ないのですが、初期のLIVEで、ジョンがリズムギターを担当していて、ポールがリード・ギターを担当していた時、ポールがソロを弾いていて、完全に固まってしまって指が動かなくてなったコトで、リードギタリストを断念したエピソードは印象に残りました。
ビートルズ「ミッシェル」:愛とフランス語が織りなす珠玉のバラード
BEATLESの「Michelle.」の更に裏側を詳しく分析し 掘り下げさせて頂きます。
「ミッシェル」の誕生と背景
1965年、ビートルズは新たな音楽的探求を続ける中で、アルバム「ラバー・ソウル」を制作していました。このアルバムは、それまでのビートルズとは異なる、より成熟した音楽性と実験的な要素を取り入れた作品として評価されています。
「ミッシェル」は、この革新的なアルバムの中で、一際異彩を放つバラードです。ポール・マッカートニーが主に作曲し、ジョン・レノンがミドルエイトを共作したこの曲は、シンプルな構成ながら、美しいメロディーと印象的な歌詞で多くのリスナーを魅了しました。
フランス語の歌詞が醸し出す独特な雰囲気
「ミッシェル」の歌詞は、英語とフランス語が織り交ぜられています。これは、フランス語の歌詞は、曲に独特な雰囲気を与え、エキゾチックでロマンティックな印象をさらに強めています。
世界中で愛された「ミッシェル」
「ミッシェル」は、1966年にヨーロッパの一部地域とニュージーランドでシングルとして発売され、ベルギー、フランス、ノルウェー、オランダ、ニュージーランドで1位を獲得しました。また、北米ではデヴィッド・アンド・ジョナサン、イギリスではオーバーランダーズによるカバーバージョンもヒットしました。
1967年には、「ミッシェル」はグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞し、ビートルズの中でも特に広くカバーされている曲の一つとなりました。
ビートルズ名曲「Michelle」 - ポップスの歴史に残る不朽の名作
指弾きスタイルからメロディーが生まれる
「Michelle」のメロディーは、ポール・マッカートニーがチェット・アトキンスの指弾きスタイルを真似て作ったインストゥルメンタル曲が始まりでした。マッカートニーは「メロディーとベースラインを併せ持った曲を書きたかった」と語っています。
パリの影響からフランス語の歌詞に
歌詞のフランス語は、マッカートニーがリヴァプールの頃に流行したパリの左岸文化の影響を受けたものです。当初はただの冗談のフレーズだったものを、ジョン・レノンの勧めで本格的な楽曲に仕上げました。
斬新な和音使いに賛否
2番目の和音で不協和音を使う斬新な試みは、当時の批評家から「無知の賜物」と酷評されました。しかしその革新性が高く評価されるようになり、後に年間最多演奏作品賞やグラミー賞を受賞しています。
楽曲の構成
"Michelle"のメロディ部分は、当初はCメジャーで作曲されていた。ジャズ風の和音運びが特徴的で、プロデューサーのジョージ・マーティンがギターソロのメロディを書いた。歌詞と曲が別々に生まれ、後に合体させたユニークな作品だった。
多様なカヴァーバージョン
"Michelle"は多くのアーティストにカヴァーされた作品です。ポップスだけでなく、ジャズ、イージーリスニング、ア・カペラなど、様々なジャンルでアレンジされました。ビートルズの影響力の大きさを物語る一曲でもあります。
まとめ
"Michelle"はポール・マッカートニーがパリの左翼文化に影響を受けて作曲した不朽の名曲です。ジャズ風の和音運びと、フランス語風の歌詞が特徴的で、多くのカヴァー曲を生み出した。リリース当時から長らく人気を博し、ビートルズの代表作の一つとなりました。
Personnel
Paul McCartney – lead vocal, backing vocal, acoustic guitar, bass guitar
John Lennon – backing vocal, classical guitar
George Harrison – backing vocal, acoustic guitar, lead guitar
Ringo Starr – drums
日本語翻訳
ミッシェル、君は僕の美しい恋人(マ・ベル)
これらの言葉は一緒にとても美しく響く
僕のミッシェル
ミッシェル、君は僕の美しい恋人(マ・ベル)
これらの言葉はとても素敵に調和する
とても素敵に
愛してる、愛してる、愛してる
伝えたいのはそれだけ
君に届く方法を見つけるまで
君が理解できる唯一の言葉を繰り返すよ
ミッシェル、君は僕の美しい恋人(マ・ベル)
これらの言葉はとても素敵に調和する
とても素敵に
君に見せたい、君に見せたい、君に見せたい
ああ、君が僕にとってどれほど大切か
それを君に理解してもらうまで
僕が何を意味するのか、知ってほしい
愛してる
君が欲しい、君が欲しい、君が欲しい
もう分かっていると思うけれど
何とかして君の元へ行くよ
それができるまで、君が理解できるように伝え続ける
ミッシェル、君は僕の美しい恋人(マ・ベル)
これらの言葉はとても素敵に調和する
とても素敵に
そして、君が理解できる唯一の言葉を言うよ
僕のミッシェル