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欧米の没落とポスト民主主義の到来:エマニュエル・トッドが鋭く分析する現代世界の構造的危機


今回の記事は以下「Emmanuel Todd 関連記事」マガジン +「政治・経済・社会 の分析」マガシンに収録させて頂きます。

前回が備忘録で私仕様の箇条書きスタイルでしたもので (とは云いましてもEmmanuel Todd 研究はLIFE WORKのひとつでありますもので、全記事備忘録なのですが…)、今回は通常のスタイルにて戻って進めさせて頂きます。全約7500文字を越える内容となりますが、どうぞ最後までお付き合い下さい。
また、今回の記事はこちらのinterviewを参考に制作させて頂きました。

はじめに

フランスの著名な歴史人口学者エマニュエル・トッドは、現在の世界情勢について独自の鋭い分析を提示しています。彼によれば、今日の世界で最も重大な出来事は、ウクライナ戦争ではなく、アメリカの没落だと言います。表面的には民主党と共和党の対立が目立つアメリカですが、その本質は産業の空洞化、教育システムの機能不全、そして建国の精神であるプロテスタント的価値観の喪失がもたらした構造的な衰退にあるとしています。トッドは、この危機がアメリカだけでなく欧米世界全体を蝕んでおり、民主主義そのものが形骸化しつつある「ポスト民主主義」の時代が到来していると指摘しています。

本記事では、トッドの論点を丁寧に追いながら、現代世界が直面する危機の本質を探ってみましょう。

1.アメリカの衰退:産業、教育、道徳の三重苦

トッドの分析の核心は、アメリカの没落です。彼は、アメリカの衰退を産業、教育、道徳の三つの面から捉えています。

まず産業面では、アメリカの製造業が空洞化し、国際競争力を失っているとされます。トッドによれば、この危機の淵源は1980年代のレーガン政権時代に遡ります。当時、新自由主義的な経済政策が金融を過度に重視する一方で、製造業を軽視したことが、長期的にアメリカ産業の衰退をもたらしたと指摘されています。

次に教育面では、エンジニアを育成するシステムが機能不全に陥り、アメリカの技術的優位が失われつつあるようです。トッドは、アメリカの教育水準の低下が1960年代から始まっていたと述べています。高等教育の大衆化は進んだものの、その反面で学力の低下が進行したとされています。

さらに道徳面では、アメリカ建国の精神的支柱であったプロテスタント的な価値観が失われ、拝金主義と個人主義が蔓延しているとのことです。トッドはこれを「道徳的崩壊」と呼び、アメリカ衰退の根本的な原因だと見なしています。

こうした産業、教育、道徳の三重苦が絡み合い、アメリカの国力を内側から蝕んでいるようです。

2.ソ連崩壊の真因:西側の勝利ではなく内なる危機

続いてトッドは、冷戦終結とソ連崩壊についても独自の解釈を示しています。一般的には、ソ連の崩壊は西側陣営、とりわけアメリカの圧倒的な力による「勝利」と見なされがちです。しかしトッドは、そうした通説に真っ向から反論しています。

彼によれば、ソ連崩壊の真の原因は、ソ連社会の内部に蓄積されていた危機にあったとのことです。トッドは実に1976年の時点(Emmanuel Toddは25才でした。)で、自著の中でソ連体制の脆弱性を鋭く指摘していました。当時はほとんど誰もそれを真剣に受け止めなかったようですが、まさにトッドの分析通り、ソ連は内部からの危機によって自壊したのだと言います。

西側諸国は、ソ連崩壊をもって「共産主義との戦いに勝利した」と自己陶酔に浸ったとされます。だがトッドは、冷戦の「勝者」を名乗る欧米諸国もまた、実は早くから衰退の道を歩んでいたと指摘しています。欧米の危機は、ソ連崩壊よりもずっと以前から進行していたようです。ソ連の崩壊は、西側の勝利などではなく、むしろ社会主義というもう一つの近代化モデルの行き詰まりを示す出来事だったのかもしれません。

3.レーガン新自由主義の光と影:製造業の衰退

トッドは、レーガン政権下で実施された新自由主義改革についても手厳しい評価を下しています。レーガノミクスは当初、停滞したアメリカ経済に活力を取り戻すかに見えました。減税と規制緩和によって市場が活性化し、経済の浮揚力は高まったとされます。

だがトッドによれば、レーガンの新自由主義は同時に、アメリカ製造業の衰退に拍車をかける結果ももたらしたようです。グローバル化の中で、安価な海外の労働力を使った製造業の海外移転が急速に進んだとのことです。金融セクターが肥大化する一方で、実体経済は空洞化していったと指摘されています。レーガン改革は結局のところ、アメリカ経済を長期的な衰退の道へと導く「毒まんじゅう」だったのかもしれません。

4.民主党と共和党の「対立」の仮象性

次にトッドは、アメリカ政治を二分する民主・共和両党の対立についても鋭い分析を加えています。一見すると両党の路線対立は先鋭化しているかのように見えます。民主党が進歩主義的な価値観を掲げるのに対し、共和党は保守主義的な立場を鮮明にしています。有権者の間にも、イデオロギー的な分極化が進んでいるように見受けられます。

だがトッドは、こうした民主・共和両党の対立は「仮象」に過ぎないと指摘しています。両党の政策は細部では違いがあるものの、アメリカ社会の構造的な問題に取り組むという点では、ほとんど差がないというのです。トランプ前大統領は「反エスタブリッシュメント」を標榜しましたが、実際には既存の秩序を大きく変更することはできなかったと言います。

トッドが強調するのは、民主・共和どちらに与しようと、アメリカの衰退という大局的な趨勢を変えることはできないということです。産業の空洞化、教育の荒廃、道徳の頽廃は、党派を超えたアメリカ社会全体の構造的な病理なのだと指摘されています。

5.トランプ現象の本質:「反ロシア」路線は不変

トッドは、トランプ現象の本質についても独自の視座を提示しています。2016年の大統領選挙で、トランプは「ワシントンの政治エスタブリッシュメントを打倒する」と訴えて当選しました。その過程で、トランプはロシアのプーチン大統領に一定の理解を示したことから、「親ロシア」的とも見なされました。

だがトッドによれば、こうしたトランプ評価は皮相的なものに過ぎないようです。実際にトランプ政権の対ロシア政策を見ると、ウクライナ軍にジャベリンミサイルを供与するなど、むしろ強硬な姿勢で臨んだとのことです。トランプの「反エスタブリッシュメント」姿勢も、所詮は選挙戦術に過ぎず、アメリカの基本的な対外政策を大きく変更するものではなかったと言います。

トッドは、アメリカの「反ロシア」「反中国」の基調は、政権が代わろうと不変だと指摘しています。それはアメリカの覇権を維持するための戦略的な要請であり、大統領の個性によって左右されるものではないのだとされています。その意味で、トランプ現象は結局のところ、アメリカ衰退の趨勢を覆い隠す一時的な現象に過ぎなかったのかもしれません。

6.高学歴エリートの台頭と民主主義の空洞化

トッドは、アメリカに限らず先進国全般で見られる民主主義の空洞化についても、鋭い考察を加えています。20世紀後半から21世紀初頭にかけて、先進国では高等教育が急速に普及し、高学歴の人口が増加しました。一見するとこれは望ましい変化ですが、トッドはむしろここに民主主義の危機の萌芽を見出しているようです。

彼によれば、読み書きができるだけでみな平等だったかつての時代とは違い、今日の高学歴エリートは自分たちを「知的に優越した存在」と考えるようになったとのことです。つまり、高学歴層とそうでない層の間に、新たな「教養格差」が生まれたのだと指摘されています。こうした格差意識は、平等主義的な民主主義の理念を内側から蝕むとされます。多数決の結果よりも「専門家の知見」を重視する風潮が広まり、エリート主義的な価値観が社会の隅々に浸透していくようです。

トッドは、この高学歴エリートの台頭が民主主義を形骸化(当初の意義や内容が失われ、形ばかりのものになること。)させていると警告しています。皮肉なことに、教育の普及は平等な社会をもたらすどころか、むしろ民主主義を内側から掘り崩すことになったのかもしれません。知識人が大衆を見下す不健全な社会では、真の意味での民主主義は機能しえないとされています。トッドが危惧するのは、まさにそうした事態なのです。

7.ポスト民主主義の時代:危機の先にある新たな社会像

トッドは、現代の欧米社会を「ポスト民主主義」の時代に突入したと診断しています。20世紀型の民主主義は形骸化し、選挙はイベント化しているようです。政治は大衆の関心を集めるショー的な要素を帯び、政策論議の実質は乏しいとのことです。

他方で、富の集中と格差の拡大が進む中で、社会の分断が進んでいるとされます。勝者と敗者の差が固定化し、社会の流動性が失われつつあるようです。政治に対する大衆の不信と無関心も深まっているとのことです。

トッドは、こうした事態を「民主主義の死」と呼んでいます。だが同時に彼は、民主主義の死が我々の死を意味するわけではないとも述べています。確かに古い民主主義のモデルは終わりを迎えたかもしれませんが、だからといって我々の歴史が終わるわけではありません。ポスト民主主義の時代にも、我々は生き延びねばならないのです。

では、いかにして危機を乗り越えるのでしょうか。トッドは明確な処方箋を提示するわけではありません。だが彼の議論からは、次のような展望が見えてくるようです。

まず、民主主義の危機を直視し、その原因を解明すること。政治的な対立に目を奪われるのではなく、社会の深層で起きている変化に目を凝らすこと。高学歴エリートの傲慢さを戒め、社会の分断を解消する方策を探ること。既存の政治制度や政党に過剰な期待をかけるのではなく、市民一人一人が主体的に考え、行動すること。

そうした地道な努力の積み重ねによってのみ、我々はポスト民主主義の時代を生き抜く道を切り拓くことができるのかもしれません。トッドの議論は、危機の深刻さを伝えると同時に、新たな社会像を模索する契機をも与えてくれるのです。

8.ウクライナ戦争の本質:軍事的熱戦と経済戦争

さて、遂に現在進行中のウクライナ戦争についてもトッドの見解を見ていきましょう。欧米のメディアは、ロシアによるウクライナ侵攻を「力による現状変更」と批判し、プーチン政権を厳しく非難しています。他方でロシアは、ウクライナのNATO加盟阻止を大義名分に掲げ、欧米を「ロシア包囲網」を築こうとしていると反発しています。

だがトッドは、こうしたイデオロギー的な対立図式では、ウクライナ戦争の本質を捉えることはできないと指摘しています。彼によれば、ウクライナ戦争の深層には、欧米とロシアの地政学的なせめぎ合いがあるようです。つまりこの戦争は、単なる軍事的な衝突ではなく、経済・資源をめぐる壮大な争奪戦なのだ とされています。

ここで重要なのは、ロシアの背後には「世界の多数派」とも言うべき国々が控えているという点です。トッドの言う「世界の多数派」とは、かつて欧米の植民地支配を受けた第三世界諸国のことを指します。中国、インド、ブラジルといった新興国は、欧米主導の世界秩序に不満を抱いており、その多くがウクライナ戦争でロシア寄りの立場を取っているようです。

つまり、ウクライナ戦争の背後には、欧米とロシア・中国を中心とする新興国の対立構造が見え隠れしているのです。トッドは、これを「軍事的熱戦と経済戦争」の二重の構造として捉えています。ウクライナの戦場では軍事的な熱戦が展開される一方で、より大きな舞台では経済・資源をめぐる戦争が進行しているとされています。

トッドによれば、アメリカの戦略目標はロシアの徹底的な叩き潰しにあるとのことです。そのためにアメリカは、ウクライナを欧米の「代理人」として戦わせていると言います。他方でロシアは、欧米の「ロシア包囲網」を打ち破るべく、必死の抵抗を続けているようです。プーチンは、ロシアの生存をかけた戦いであると認識しているのだと指摘されています。

だがトッドは、NATO諸国がウクライナに本格的な軍事支援を行う可能性は低いと見ています。欧米諸国は、ウクライナが勝利するとは考えていないというのです。むしろ彼らの狙いは、ウクライナを戦場に供することでロシアを消耗させることにあるとされています。つまりウクライナ戦争の本質は、欧米がロシアを「経済的に絞め殺す」ための時間稼ぎなのだと言います。

トッドの分析が正しいとすれば、ウクライナ戦争の帰趨(物事の落ち着く所。)は軍事的な勝敗よりも、経済戦争の行方に左右されることになるでしょう。単にウクライナの戦場に注目するだけでは、この戦争の本質を見誤ることになるかもしれません。

9.平和か戦争か:欧米とロシアの岐路に立つ世界

トッドは、ウクライナ戦争の現状について、ロシアが優位に立っていると分析しています。プーチンはウクライナでの軍事的勝利を手中に収めつつあるというのです。だが同時にトッドは、戦争の終結にはなお多くの障害があると指摘しています。

最大の懸念は、欧米がロシアの勝利を認めず、泥沼の戦争に突き進む可能性だとされています。トッドは、長距離ミサイルのウクライナへの供与など、アメリカによるエスカレーションの危険性を警告しています。そうなれば、核戦争の脅威すら現実味を帯びてくるかもしれません。

他方でトッドは、戦争終結のシナリオも描いています。ドイツを中心とする欧州諸国が、「ロシア脅威論」から距離を取り、和平に動く可能性だとされています。ロシアを敵視するのではなく、対話と外交による問題解決を目指すべきだというのがトッドの主張のようです。

だが、そのためには欧米の覇権主義を反省し、多極的な世界秩序を受け入れる必要があるとのことです。ロシアや中国の存在を脅威としてのみ捉えるのではなく、対等なパートナーとして認めることが求められているようです。そうした寛容の精神なくして、真の平和は訪れないだろうと指摘されています。

トッドは、私たちは今、平和か戦争かの岐路に立たされていると論じています。戦争の泥沼に突き進むのか、それとも和平への道を模索するのか。ウクライナ戦争の行方は、まさにその選択にかかっているとされています。確かに平和の実現には多くの困難が伴うでしょう。しかしトッドは、だからこそ私たちは希望を捨ててはならないと訴えているようです。人類の英知を結集し、対話と協調の道を探ることこそが、危機を乗り越える唯一の道なのだと。

結びに代えて

以上、エマニュエル・トッドの議論を丁寧に追ってきました。彼の分析は、現代世界の危機の深層を鋭く切り取っています。欧米の衰退、民主主義の空洞化、ウクライナ戦争の地政学的な意味合い。これらはいずれも、私たちが直面する困難な問題です。

だがトッドの議論は、単に絶望を呼び起こすだけのものではありません。彼の洞察は、危機を乗り越える道筋を示唆してもいます。覇権主義を反省し、多極的な世界を受け入れること。民主主義の理念を再興し、社会の分断を克服すること。戦争ではなく和平の道を選び取ること。

こうした変革は一朝一夕には実現しないかもしれません。だが、トッドが説くように、「民主主義の死」は「私たちの死」を意味しません。危機を直視し、新たな社会像を模索する努力を重ねる中で、私たちは生き延びる道を見出すことができるはずです。

エマニュエル・トッドの思想は、混迷の時代を生きる私たちに、困難な状況の中でもなお希望を持ち続ける力を与えてくれます。彼の論考をじっくりと味読し、現代世界の危機と可能性について思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。


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エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)
1951年生まれ。フランスの歴史人口学者・家族人類学者。国・地域ごとの家族システムの違いや人口動態に着目する方法論により、『最後の転落』(76年)で「ソ連崩壊」を、『帝国以後』(2002年)で「米国発の金融危機」を、『文明の接近』(07年)で「アラブの春」を、さらにはトランプ勝利、英国EU離脱なども次々に予言。著書に『エマニュエル・トッドの思考地図』(筑摩書房)、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』『シャルリとは誰か?』『問題は英国ではない、EUなのだ』『老人支配国家 日本の危機』『第三次世界大戦はもう始まっている』『トッド人類史入門』(いずれも文春新書)『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)など。

https://booksch.com/go/me

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