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根性論じゃなくて

経済的な事情で「開催すべし」と仰っているのなら違うと思います。
ワクチンができたとしても行き渡るまでには時間がかかります。あと半年程度では厳しいはず。つまりいまの世界情勢で強行開催しても、海外からの集客はほとんど見込めません。そもそも選手が来ないでしょう。インバウンドに寄り掛かった政策はすでに現実的ではない。

アスリートファーストで「開催すべし」と言っているとも思えません。
第一に海外のテレビ局への忖度で真夏におこなう時点で選手目線ではない。第二に精神論ばかりで最悪な状況を想定した現実的な取り組みが見えない。ホリエモンが提唱していた「リモートオリンピック」の実現可能性を真剣に検討するべきです。全ての種目は無理ですが、できるものも少なくないはず。本気でアスリートのことを考えていたら、すでにこういう施策へのチャレンジが始まっているでしょう。

「コロナからの復興の証として開催すべし」というのもおかしい。
「東日本大震災からの復興の証」というお題目を掲げ、「汚染水はアンダーコントロールされている」と嘘のプレゼンをした挙句がこの現状。非科学的な話をしたいわけではありませんが因果応報と考えてしまいます。現実はいまだ復興途上。そこから目を逸らして「すでに復興した」と断言する行為は、復興に向けた努力を積み重ねている現場の人びとへの敬意を欠いています。五輪延期のコストの話をする前に、原発で働く作業員や病院で踏ん張る医療従事者への精神的&経済的配慮に触れるべきでは? 

根性論的に意地を張って「中止はない」と言うだけなら誰でもできます。根拠もないのに「神風は吹く」「ワクチンは間に合う」「必ず収束する」と断言するだけなら。中止はないという言葉よりも開催へ向けた具体的なプランが先に来ない時点で厳しいと考えざるを得ません。




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