無性に無理屈に恍惚にエキサイティング
noteの記事を毎日書こうと決めているのですが、けっこう悩む時もあります。どしたらええねんと(東京生まれ東京育ちです)。何か取っ掛かりをもらおうと思い、募集中のお題を眺めてみました。目に留まったのがこれです。「#とは」
ある曲が頭に浮かびました。森山直太朗「生きとし生ける物へ」です。初めて聴いた時から大好きな曲で、いまでも歌詞を見ないで口ずさめます。昔はブックレットを参照しつつ聴いていて、なおかつ一緒に歌っていたからずっと頭に残っているんです。英単語を覚えるコツとして発音と意味を早口で続けて三回唱えることを実践していましたが(音が頭に焼き付いて効果的です。受験生の皆さん、ぜひお試しあれ)、同じことかも。それはともかく、この曲の後半に「運命とは儚きあの旋律のようさ」という一節が出て来るのです。
この「とは」の歌い方が無性に無理屈に恍惚にエキサイティングで、永遠に頭にこびりついてしまったのです。何なら「とは」だけを何度も何度もリピートしたり(この動画だと4分30秒くらいの箇所です)。時々そういう現象が発生するのです。私はいわゆる「冨野ガンダム」がかなり好きなのですが、「機動戦士ガンダムZZ」の後期OP「サイレント・ヴォイス」をCDで初めて聴いた時も同じことが起きました。この曲で痺れたのはサビの前の「オオオ」という歌詞カードに載っていない叫びでした。サビが始まると戻し、また通過して戻し……。急いでいる時にサビまでのパートを飛ばす人はいると思いますが、やっとサビまで来た途端に戻すというのはあまりないかもしれません。
もしかしたら明瞭で便利な「言葉」という枠の中に完全に落とし込めなかった情念の渦みたいなものの一端を感じ取ったのかな、と分析しています。新日本プロレスの高橋ヒロム選手がフィニッシュに行く前にバンっと両足でスタンプし、両腕を広げて何か叫ぶのも好きです。吉川晃司が「BE MY BABY」の一番のサビが終わった後に「スワァイ!」みたいに叫ぶのもかなりツボです。これはもう恋と一緒で、たぶん理屈じゃないんですよ。ダイレクトに響いていつまでも離れない。ただそれだけなんです。
言葉の力は偉大だと信じているけど、同時に決して万能ではないとも考えています。だって「無性に無理屈に恍惚にエキサイティング」な謎の叫びが現に存在するのですから。これをたとえば詩や小説などの言葉だけの世界観において純度100%のまま表現するにはどうしたらいいか。難しい。でも図らずもそれに成功している小説も実はちゃんとあるんです。村上春樹「羊をめぐる冒険」のラストです。興味のある方は、ぜひ最初から最後までご通読くださいませ! 必ずや私の言わんとすることをわかっていただけると思います。
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