いつだって君の味方
今年は変則的ですけど、いまの小中高って夏休みは8月31日までなんですか? 私の通っていた中学と高校は9月8日が始業式でした。休みの間は部活(卓球部)に明け暮れていましたね。その後は受験勉強。夏の本当に楽しかった記憶なんて大学に入るまで皆無でした。卓球部の夏合宿にも笑える思い出はいくつかありますけど、あくまでも苦行が続く中のささやかな一瞬の喜びというか。
でも小学生の頃はもっとひどかったです。父親にむりやりボーイスカウトに入れられ(本当に苦痛でした。あの意味不明な敬礼とか先輩風とかダサい制服とか。おかげで必要以上に集団生活と体育会系とアウトドアが苦手になりました)、4年生からは一日三時間以上のスパルタ進学塾。できないと怒鳴られ、廊下に出され、時にはモノが飛んでくる時代です。家族旅行もありましたが息抜きにはなりませんでした。暑い山道を散々歩かされたり、タクシーで車酔いしたり、炎天下でテニスをやらされたり。。。
父親が苦手でしたね。はっきり言って。
私は「好きな作家は?」と問われたら「日本では太宰、外国ではカフカ」と答える人間です。カフカが好きな理由のひとつは父親のパーソナリティ及びそれに対して抱く感情が驚くほど彼のケースと一致するからです。もちろん、あの何から何まで考え方の合わない肉親の存在がなかったら「変身」も「判決」も生まれなかったでしょう。でも「だからお父さんに感謝しなさい」なんて言われてカフカが納得したでしょうか? 作家として生前に認められたのならまだしも、彼が正当に評価されたのは死後のことなのです。
8月31日の夜にいろいろ思うというのは、つまり学校に行きたくないわけですよね? でも私の場合、学校も嫌でしたが家にずっといるのも楽しくなかった。家でのんびりするのは好きですが、父親がいると窮屈でした。学校に行きたくない、でも家にもいたくない。この状況は子どもにとってかなりきついです。そういう子どもが気軽に、安心して飛び込めるカジュアルなコミュニティや文化がもっと充実すればいいと思います。たとえばこのnoteの記事なら、ネット環境さえあれば子どもは無料で読めるわけですよね? 私が「#こんな学校あったらいいな」のタグを付けて書いた「未来へのお願い」という小説は、大人から「気難しい」「面倒臭い」「生意気」「ワガママ」と見られがちなタイプの子どもを読者として想定しています。百人いるうちのまあ多くても三人程度でしょう。あれを読んで何か感じてくれたら嬉しいですね。小説を書くという気晴らしにもぜひチャレンジして欲しいです。下手でもいいんですよ。自分が書いていて何もかも忘れられるほど楽しければ。頑張らなくていいからお互いもう少し生きてみよう。大丈夫。歌も絵画も文学も、あらゆる文化はいつだって君やぼくの味方だから。
作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!