成長の速さについて
畑に行って、私の植えた春菊の様子を見た。
種をおろしたのは10月前半で、芽が出たのは10月19日。
芽が出てから1ヶ月ちょい経ち、周りの草たちが春菊を覆うようになってきたので、手助けが必要になったのだ。
覆ってきた葉っぱたち(いわゆる雑草と呼ばれる草たちだが、彼らにも名前があるわけで・・・)は、相当大きくなっている(葉っぱ広げて20cmくらい)にもかかわらず、春菊達は葉っぱを広げた状態で、まあ5cmないくらいなのだ。
で、思ったことが、すべての生き物において成長のスピードは種それぞれで違うということで、さらにいうと個体それぞれも違う。人間で例えれば小人もいれば巨人もいるし、その間にはグラデーション的にいろんな大きさの大きさの人がいるということだ。
当たり前のことのように思えるが、人間はほぼほぼ人間としか生活を共にしないので生物の成長スピードについてあまり意識することはない。
猫と暮らすようになって知ったが、猫が1年で成猫になり、その後は人間よりも速いスピードで歳をとり、寿命も長くて20年くらいということだ。(犬もだいたい同じ)
成体になったときの体が小さいから成長が速いとか大きいから遅いとかそんなのではないので、例えば成長が速い巨人がこの世にいるとして、巨人に間違って踏み潰されたり、彼らの建てた家がデカすぎて山くらいの大きさで、日当たりが悪くなったりするような世界だったら・・・たぶん不公平な世の中に思うことだろう。
でも、植物達はリアルにそのようなハードな世界で生きているのだ。
春菊達はさらに体がデカく、体も動く便利な人間(私)と契約を結び、自分の居場所と日当たり、時には水分を確保しているということになる。要するに賢い小人達ということだ。
で、何が言いたいかというと、そのように種や個によって大きさや成長スピードが異なることが当前の世の中に私達は住んでいるということだ。
不公平に感じるがそれは自然においては仕方のないこと。
人間は自分の大きさ(身長や体格など)やスピード(足の速さや物覚えの速さなど)をとかく気にするが、気にしても仕方はなく、自分に与えられた大きさやスピードを受け入れることが賢明ということだろう。
自分を受け入れた上で春菊のように賢くなり、より大きなもの(神様?)と契約をし、より大きなものから愛情を与えられることで、小さきものは種を存続できるということだろう。
本人は最後には食べられてしまうのだが・・・(寿命で天に召されるということ?)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。