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本当の "子ども主体" を、言葉から考える

歩けない
喋れない
食べられない

などなど、子ども関連の『〜できない』という言葉が、私は死ぬほど嫌いです。

なぜか?
子ども主体ではないから。

保育園や子育て支援施設で働いている時も、子育てしている現在でも、毎日浴びるように耳にします。
私がレッジョエミリア教育の考え方の中で1番とても好きな言葉は『子どもは100%の力で生きている』です。
白紙の状態で生まれ、大人になるために色々な力を覚え、身につける。80%しか力を持っていないから、20%大人が教えてあげる…のではなく、生まれながらにして100%の力を持っている、という考えです。

歩けない、喋れない、〜できない。
これらの言葉たちは、大人主体であって、決して子ども主体の言葉ではないと私は考えます。

生まれた人間は、歩くこと、喋ることを目指しているでしょうか?
大人になるために、できないことをできるために、生きているでしょうか?

歩けないのではなく、今日この子は歩かないだけ。
喋れないのではなく、今日この子は喋らないだけ。

子どもは、今日の1日1日を尊く、生きています。
1年後、歩くためには生きていません。

できないことをできるために、ということに目を向けるのではなく、今日できること、今日していることに目を向けたいです。

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