見出し画像

もしもギギの望むマフティーになれたのなら: 閃光のハサウェイ 感想

そうだね、ギギ。
僕は代わるよ。変えてみせるよ。マフティー・ナビーユ・エリンに。
そうできれば、きっと……


はじめに

ボンクラヲタク略してクラヲです。プログラマーです。つまり人間をコンピュータの幻想に繋ぎ止めるのに必死な作家です。

閃光のハサウェイ、私は映画館で5回観にいくほどハマっていました。そしていまも。

なぜなんだろうと考えれば頭によぎるのは、ギギ・アンダルシアです。人を狂わせる立ち振る舞い。知識に裏付けられた観察眼。それでいてどこか子供のような素直さが残ってしまっているとかいう、お嬢様よくばりセットみたいな人物です。

こんなお嬢様の望むマフティーに僕はなりたかった。僕にできるのはカボチャのマスクを被ること、踊ること、そして本物に撃たれることだけです。
戯れ言はこのへんにしておきましょう。

ギギの語る言葉のなかで、もっとも印象的なもの。
マフティーのやりかた、正しくないよ。そういってほかのやりかたを語った次の言葉です。

「絶対に間違えない独裁政権の樹立よ」

ギギ・アンダルシア:閃光のハサウェイ

真のマフティーであるハサウェイは一笑に付し、それができるのは神様だけだ、と語り、ギギの訊ねるニュータイプのことすらも否定しています。かつての私もハサウェイと同感でした。人間全体が神になっている、つまりニュータイプで世界を満たすことなどできっこないと。

しかし今更ながら思うのです。もしもギギの語るやりかたを本気で果たしたのなら。つまり、正当な預言者の王、ニュータイプへ至ることを受け止め、ギギの望むマフティーになれたのなら。

例外なく地球の外へ人類を追い出すという子供じみた夢も、地球と宇宙で拡大しすぎた格差のなかで腐敗したこの仕組みの深さを破壊することも、そもそもそんなことをする必要もなく人間全体を神に押し上げることも、できたんじゃないのかと。

今回はそんなことを延々と考える感想と呼べるかよくわからないものです。

自分のことをごく普通の青年と思ってる逸般人男性:ハサウェイ

Twitterが水星の魔女でしっちゃかめっちゃかになっていた頃、人々を安心させようとするこんなツイートが流れていました。

ブライト・ノアの息子、シャアの反乱時に強力なモビルアーマーすらも足止めし、地球で二重経歴でテロリズムを繰り返す、自分のことをごく普通の青年と思ってる逸般人男性。それがハサウェイです。

滲み出るエリート感、おぼっちゃま感から騙されそうになるのは確かにありますが、ケネスの言う通り彼は危険人物であり、地球連邦政府の秩序を乱す存在です。彼は世界の人々と結びつかないままテロを引き起こす人物だからです。静かなキャラを演じていたと思ったら承認欲求で奇行に走るティーンエイジャーのようなものです。

弱きものを呑み込む恐怖政治《テロリズム》

テロ、つまり武力などによる恐怖を使い従わせるというのは、最後には誰かを動かす政治を行う必要があります。たいていの独裁者たちは過去の災害と政治の負債を返すという空手形を切りながら周囲からの尊敬を集め、彼らと結びつき、最終的に従わせます。弱いものいじめをする人、つまりDV彼氏、DV彼女みたいですね。しかしハサウェイにはそんな気はさらさらないように思えます。それは超DV彼氏になることを意味するのかもしれません。

為政というものはどれだけの人々からの支持をとりつけ協力して動くか、というところが残念ながらすべてです。

民主国家なら誰もが納得できる道へ為政を軌道修正していくようになっていてほしいものです。

得てして現代民主社会における真に強固な組織の言葉は堅実であり、現実的であり、硬直していて、どこか民主主義や幸福や平等のマントラを唱えるだけのつまらないものにみえるかもしれません。ですが現実世界は劇場ではないのですから、仕方がないのです。長話をしないだけで褒められる、それが現実世界です。

一方貧弱な組織ほど、その言動は番組じみた対立や恐怖を煽る傾向がみられます。彼らは世界を三文芝居の矮小なフレームに押し込みます。

彼らは人々の取り分が少ないと対立を煽るところから始め、巨大な組織の陰謀の恐怖を語り、暴言を吐き、自らこそがすべての救世主と曰うという一定の構文を繰り返しています。はじめてそれらを見る人は、一度その嘘にだまされてみたくなるものです。かくして人は、武力や暴言に紐づいた恐怖政治に呑み込まれていくのです。

そして、貧弱な組織は、日々のみなさんの行動が、みなさん自身の生活を豊かにしてくれているという当たり前のことを忘れさせ、ただ嘘を止めるためと言って貢がせるようにしていくように見えます。嘘つき上等のなりきりアカウントのヴァリエーション豊かな世界が、そこに広がっているかのようです。人を楽しませたいのなら、芸人や役者や作家になるべきでしょう。

たぶんマフティーもそんな弱き組織の側に位置しているんだと思います。シャア・アズナブルが蘇って、人の思うことをしてくれる。明らかにさきほどの構文に似ています。当然成功事例はなにひとつありません。なぜなら恐怖政治は、自らも恐怖政治に呑み込むものだからです。

恐怖政治の倒すべき相手は、自分に与しない世界の全てです。そんな子供じみた弱いものいじめしかできない恐怖政治を、他のだれかが手助けするはずがありません。つぎの恐喝や傷害の標的が自分なのではないかと怯え、生贄を探し続ける暮らしなど、誰も望みはしていません。

マフティーがガンダムを手にする前にやるべきだった面倒なこと

というわけで、腐敗した地球連邦政府による恐怖政治(たとえばMSで人々を弾圧し、あげく高額な地球居住許可証を得なければ暮らせない状況など)と戦う方法は、MSをはじめとした武力によるものでは難しいでしょう。

たとえば、現在の連邦政府の力の源泉であり、かつてジオン公国の優位性そのものだったMSの供給路(動力源からアセンブルまで)となる産業そのものでマフティーの支持を取り付けるなど、連邦政府の困窮のポイント、かつ富の源泉となる人々の強固な支持を得ていくのが最優先です。クスィーガンダムをつくらせられたのなら、何かしらの方法はあったのではないかと思います。それすらもパトロンから与えられたおもちゃでしかないのならば、ずいぶん皮肉が効いているかもしれませんが。

あるいはマフティーがMS産業に踏み込めないのなら、もっと別の富の源泉となる産業やそれに準ずる経済活動を行っている必要があります。たとえば環境破壊を前提とした産業を特定の製品づくりの中で置き換えるとかです。

ここまで全てが存在しない中でガンダムを使ったテロ作戦へ移行した時点で、マフティーの敗北は確定的です。仮に目標となる全てを撃破しても、連邦政府は変わることなく続いていくことになります。そのあたりはハサウェイも作中で「わかっているさ、こんなやりかたなんか」と素直に述べています。

恐怖政治の行き着く先

アメリカ同時多発テロ9.11は、首謀者ビンラディンを恐怖の代名詞へとのしあげたものの、その社会的生命をただ単に切り詰めるだけに終わりました。ブッシュ政権下の軍の行動により、彼に待っていたのはアフガンの宮殿ではなく、パキスタンの刑務所のような大きな家だけでした。彼は破壊のインターネットアイドルとなりましたが、結局それもオバマ政権下の海軍によって終わらされました。

アメリカもまた、アフガン軍の教育に失敗し、産業の発達をもたらすことができず、教育も普及させることができないまま撤退するしかありませんでした。アメリカ撤退後、アフガン軍はすぐにタリバンに敗れました。

それにしても、敵味方を含有してまで協力しようと考えるほどの産業がなければ、争いを止める要因も失われてしまうものなのでしょうか。

石油やコルタンなどの産業ができたとて独裁者達の搾取の元になりうるのは変わらないですが、政治というものの分権はたいてい資本主義や貴族制などの新たな力を持つものの台頭とともにあったためです。もっと別の道が生まれてほしいですが。

産業を基盤としない行政や集団はたいていは恐怖政治へと変わっていき、つまり弱いものいじめ、DVのようなものになっていくものです。

そういった意味でマフティーもまた組織としても非常に貧弱なものであり、学生サークル未満の人のつながりといってよいでしょう。パトロンは顔も名前もわかりませんし。

マフティーの異常さはおそらくこんなふうな学生サークル未満の人のつながりで恐怖政治を仕掛けるところにあると思います。クェスが死んだ時からすでに病み続けているのが原因なのかもしれません。

だから彼は自分をごく普通の青年とすぐ笑って応じられるし、同時にミッションインポッシブルな作戦も果たすのです。けれど望んだものは決して手に入れられない。アフガン侵攻したソ連や、無力なアフガン政権をどうにも教えられず撤退したアメリカのように。

ハサウェイがギギの願いを本気にして自らの過去と戦うとしたら?

テロリストであるハサウェイには、イレギュラーによってギギやケネスと遭遇します。その事態を招いたのは僕の甘さだったんだ、というその甘さこそを自身の真価にするべきだったと私は思うのです。

つまり、ガンダムによるテロの決行を諦め、地味ながら最も強力な独裁政権の樹立を目指せば、彼はギギの望むマフティーに至れたかもしれません。

ハサウェイに必要だったのはガンダムという象徴ではなく、人々との協力という、かたちなきものです。ハサウェイはクスィーガンダムを放棄し、ハサウェイの名前とマフティーの名前の二重持ちのままに連邦政府に食い込めばよかったのです。ケネスに気に入られ、そこで暮らすなかで自ら、連邦に反省を促せばよかったのです。ついでにマフティー自身にも。

それでも救い難いのなら、すべての責任を一身に受ける、絶対に間違えない独裁者、正当な預言者の王、マフティー・ナビーユ・エリンに、ニュータイプをうそぶくなにかに到達すればよかったのです。ハサウェイには、それだけの経歴もあったのですから。

例外なく地球の外へ人類を追い出すという子供じみた夢も、地球と宇宙で拡大しすぎた格差のなかで腐敗した仕組みの深さを破壊することも、そもそもそんなことをする必要もなく人間全体を神に押し上げることも、すべては権力の獲得の先にありえたかもしれない道です。

人間はひとりで神に至ることはありえません。誰もが誰かの協力を積み重ねていけば。もしかしたらそれこそがニュータイプと呼ばれるものの真相なのかもしれません。人と人が分かり合えるということは、そうした不可能と思える協力すらも可能にしてしまうのですから。

その道はデスノートの夜神月やコードギアスのルルーシュが突き進んできた凄まじい道でしょう。ですが全てを諦める前に試す価値はあったはずです。会えば未練が湧くと言ってギギを置いていかなければ。

つまりギギともう一度会えたのなら。

そうだね、ギギ。
僕は代わるよ。変えてみせるよ。マフティー・ナビーユ・エリンに。

そう語る罪を背負ったハサウェイもあり得たのでしょう。
全ては閃光のように過ぎ去ってしまったのでしょうが。


おわりに

すべての機会を手にしながらすべての機会をふいにし、絶望の彼方へ閃光となって消えていく。ディカプリオの出るケイパームービーみたいな魅力が溢れるガンダム映画、それが閃光のハサウェイだと思います。

私はディカプリオの演じる映画では特にインセプションが大好きです。だからこそ、こういう諜報!ごまかし!最後はドカン!みたいな作品には特に反応しているのかもしれません。ですがいまはすべての理由はわかりません。

ですが私は当面、ギギのことを追想しながら生きていくことになるのでしょう。ギギが何であるか、を原作全てを読んで調べられはすれど、なぜギギのことを考えてしまうのか、と問うことには当面ついていけていないのがよくわかってきているからです。私の哲学者の側面が、信じられないほど抜け落ちていることの証です。

ギギの魅力の理論の答えが見出せたとき、それは私の感性の究極的な勝利となるでしょう───なぜならそのとき、神の心を私は知るのだから。




いいなと思ったら応援しよう!