児童書、おもろいです(28歳児)
「生きづらさ」を探して児童書を買い漁る28歳児
最近、書店の児童書コーナーに足を運ぶことが増えた。
小中学生、児童といっしょに本を漁る、28歳児。
「生きづらさを、探してるんです」
なぜ、こんな悲しい生き物が生まれてしまったのだろうか……
十二国記の「生きづらさ」はどこから来るのか?
人生ではじめてのラノベは、小学生の頃に読んだ、十二国記だった。
味方なし、
衣食住なし、
目標なし。
そんな辛く苦しい異世界を歩みながら、死にたくない一心で、持たされた剣と摩訶不思議な力を手に戦う。その極限状況の中で、すべてがあったはずの故郷での記憶と向き合う羽目になる。
いじめを見過ごす八方美人をやめられなくて、
嫌味を言われても愛想笑い、
成績はよくできても目標も見出せずより良い進路に反対する両親に反抗しきれない。
思春期あるあるが続くこの物語に不思議な共感をしつつ読み続けていたから、こういう「生きづらさ」を描いた作品をこれからも読みたいな、と思った。
でも、なかなかこういうラノベは見つけづらい。エイティシックスで、ついに見つけるに至ったというレベルだ。
この作品も、優等生である高校生指揮官が、差別によって切り捨てられた部下である高校生たちと向き合い、生きづらさを抱えていく物語でもある。
紆余曲折あって絵と小説を覚えてた自分はこう思った。
「十二国記」や「エイティシックス」に続く作品を書いてみよう。
それで、憧れの高校生戦闘機パイロットが天使と呼ばれるなかで、悪魔と蔑まれるパイロットに高校生が至るというラノベを書いていった。
しかし、続きを書けなくなってしまった。
途中までは「生きづらさ」を書けていたけれど、物語を進めていくとどうも要素が抜け落ちてしまった(ということをこの記事を書きながら気づいた)。
そこで、他の人たちはどんな作品を楽しんできたのか知ることにした。
職場の内外含めて色んな人と会話をしてきて、さまざまな作品に手を出してきたが、答えを見つけては自分の書いてきた物語に組み込み、それでも納得する続きは書けずにいた。
「生きづらさ」を探した果てにあったみんなの原点、児童書
二ヶ月ほど前、新宿の紀伊國屋書店に立ち寄ったとき、「若者の読書離れ」というウソという本を見つけ、面白そうで買った。
この本によれば、実は、読書量は朝読書などによってむしろ増えてるが、大人になるにつれて本を日常的に読む人と読まない人で文字通りに半々に別れていくそうだ。
しかも、読書をするか否かは、環境などによる差異はあまり発生しないらしい。つまり、読書率はこれまでも現在も、そんなに違いはないようだ。
この話だけでも十分に矛盾しているように思えて頭から離れなくなる内容なわけだが、この本は中高生、つまり十代の若者がどんなジャンルの本を読むのか?という観点にもアプローチしている。
特に興味を持ったのは、児童書が小学生だけじゃなく中学生にも売れて、ラノベより伸びているという話だった。
これまで色んな人と会話していた中でも、ふと思い出したのは、次のタイトルだった。
ハリーポッター、ナルニア国物語、ロードオブザリング。
このあたりのファンタジーは、実は世代を問わず幾度となく会話の中で取り上げられ、実際小中学校の図書室に必ず置かれていた作品だった。
実際、十二国記の原作者である小野 不由美さんも、ロングインタビューにて「ナルニア国物語」っぽいものを目指したいと語っていたことをふと思い出した。
つまりこれらは、児童書の枠でありつつ、多くの人の原点になっていたのだ。
安易な戦略と専門書しかない自宅
みんなの原点が児童書にあったのでは?ということに気づいた私は、いっそラノベとしてではなく児童書として戦略を変えて物語を書いた方がいいんじゃないか?という安易な戦略を思いついた。
さらに、ラノベというよりも児童書のフォーマットを学習した方が良いし、現代の児童書をいくつかサンプルにしてみるべきだと判断するに至った。
自宅の本棚には700冊以上の本がある。この中に、児童書もあるはずだと思った。
しかし、探せど探せど、
専門書、専門書、専門書。
わずかにあるフィクションたちも、児童書とは少々言いがたいものばかり。
そこで気がついた。
あれ?児童書コーナーに足を踏み入れたこと、人生で一度もないのでは?
もともと専門書を買い漁っていたのは、IT仕事や執筆で利用するためだったのだが、最近はうまく読めないままとりあえず買っておいてる本も増えてしまった。
ITと、経済学・法律学・経営学・心理学はまあまあ似通ったところがあったこと、別件で執筆した経験からなんとかなったのだが、今まであまり馴染みのない物理やそれを応用した航空機設計、そして世界史はうまく読めずにいた。
専門書は特に冒頭は面白くて読むのだが、そこから先は正直前提知識が足りなすぎるせいで、知識欲を満たす以上のことをできずにいた。
人生で初めての児童書コーナー
いい機会だ。新しいジャンル、児童書に挑戦してみよう。
キョドキョドしながら、地元の書店の児童書コーナーに立ち寄ってみると、そこには自分が求めていたものがあった。
面白い本たちの出会いが、やがてさまざまな書店の児童書コーナーにも足を踏み入れる28歳児を生み出すきっかけをつくりだしてしまった。
なにより、知識欲を満たしてくれる児童書が多かったのだ。
義務教育で覚えた世界史の全体像に自信がなかった自分は、世界の歴史大辞典も気になる年代から簡単に読むことができて大変助かった。
おかげでアーマードコア6をやって自分でこすり倒した「賽は投げられた」とカエサルが言ったタイミングが、いくつかの映画でやられがちな「共和政の元老院」が名実ともに崩れていく発端になったこともいまさら理解できた。
舞台となった古代ローマがフランスなわけで、その後フランス革命が起きたりナポレオンが皇帝になったりと右往左往してたことを理解できた時、ほんとに忙しいとこだったんだなとやっと腑に落ちた。
ほかにも科学系の児童書もいくつか買い漁ったのだが、ついでに雑誌の良さにも目覚めてしまいまだ読めていないのでいったんおいておこう。今回の主軸は、「生きづらさ」を描く児童書だ。
特に「生きづらさ」を表現するので満足度が高かったのは、非常に良質な児童書仕様のノベライズだ。
例えばトラペジウムは映画を見る前に買うことができ、その中にはイメージをふくらませやすいように挿絵や登場人物がイラストで描かれていた。
それだけでなく、おそらく原作そのままのあのアイドルに至ろうとする純粋ながらもどこに飛ぶかわからない激情を、簡易ながらも的を射た児童書仕様の文で味わうことができ、「あるある」と頷きながら、アイドルになる成功体験というよりもアイドルになる失敗体験という「生きづらさ」を繰り返す物語に引きずり込まれたのであった。
ほかにもちゃんと児童書のフォーマットに即していて面白かったのは、主人公であるルフィたちに割り当てられる、海賊がいることでの「生きづらさ」をウタが代弁する、ワンピースフィルムレッドだ。
うまく理解できなくて気になったシーンだけを読んだりしてるところではあるが、映画を見た後も「ああ、こういうことを言おうとしてたのか」とやっと納得できたところも多く、気に入ったシーンを文字で見返せるのもまたいい。
そうして「生きづらさ」をかき集めることができた自分は、唯一あった自宅の児童書を、というよりも絵本を思い出した。
あんぱんまんだ。
私は僕のヒーローアカデミアのヒーロー、オールマイトが幼少期に楽しんでいたシーンをきっかけに手に入れた。
食べ物がなくて、飢える。
一日1ドル未満で暮らす人が地球上にたくさんいながらも、食料を得らない人は減りつつある現代においては、解決しつつある問題だ(詳しくは以下の貧乏人の経済学を参照)。
それでもなお、砂漠やひとりで森で迷って空腹でつらいときにやってくるあんぱんまん。しかし顔を与えれば、自らの力を失っていく。
「生きづらさ」に寄り添う、「生きづらい」ヒーローの究極の物語だ。
このあんぱんまんをヒントに、どうにかその表現を輸入していく作業を続けていき、小中学生向けの映画脚本を書いたりもした。児童書を買い漁った結果として、複雑な設定なしにでき、人に理解してもらいやすい作品になってきている。
とはいえ、まだ本来悩んでいた作品に着手できたわけではないし、児童書の世界はまだ知らないことが多い。今も積んである本をちまちまと読み進めつつ、児童書を探しているところだ。
なにより、「生きづらさ」を理解することを通して現実で誰かに寄り添うのが、フィクションを作る以上に必要だ。
でなければ、フィクションで「生きづらさ」に寄り添うことは、できないとは言わずとも難しい、そんな気がする。
そうはいっても、人の話をいつもより立ち止まって聴くことしか、いまはできずにいるが……
「生きづらさ」を探して児童書を買い漁る28歳児の真実
最近、書店の児童書コーナーに足を運ぶことが増えた。
小中学生、児童といっしょに本を漁る、28歳児。
「生きづらさを、探してるんです」
本当の買い手である小中学生をおびえさせてはいけない。彼らが気になっていそうに足を止めていたら、すぐに場所をゆずってあげなければいけない。
でも、もしも私と同じように「生きづらさ」を探しているのなら、ぜひ足を運んでみてほしい。