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時に現実は過去からの乖離と不自由さを突きつけてくる。その時に喜びを感じられるかも、その時の現実による。
井戸川射子【この世の喜びを】の二編・この世の喜びを・マイホーム を読んだ。一人称視点で物語は進むのだが独特な語り部が印象的で、あなた。というワードが度々登場してきて物語に没入し自分の生活圏内の記憶と繋がりを持てた印象を感じた。僕の地元にも似たような作中の環境が多く存在しているので親近感が湧いた事と、僕にとってそれはどういった役割を果たし心の内に潜んでいるのかを開示する良い作品だった。
どちらも現在の自分から過去を振り返る描写が数多く登場し、その度失った物事と向き合う主人公たちの心理描写が多く描かれる。悲観する場面もあれば尊さを見出し未来の行動へと繋がるキッカケになっている場面もある。
そこで思ったのは現在地から振り返った過去との対峙を受け止めるのは結局の所【現在地がどこまでの強度を保っているかで過去の強度に打ち勝てるかが決まる】という事。
今の自分に満足していれば未来への扉が開くし、過去の未練にうち負ければ現実からの剥離に苦しむのだろう。どの地点でも強い足場を持つ自分でありたいと思えた一作だった。