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逆境でどうした?は愚問。他者の過去にヒントは無い。素直な心に従えばいい(ベターアイデア? v3-39)

あるセミナーにWEB出席。スピーカーから参加を依頼され。WEB参加ながら出席は確認された。で、後半がチームに分かれて討議。おっと、そういう構成とは知らなかった。寝間着でお気軽気分でカメラオフでZOOM参加だから。さっさと退席しよう、と思った矢先、チームに分けられた。ま、しょうがないか、と椅子に浅く座って、前にずり落ちそうな体勢で、首から上ぐらいが映るようにして参加。

で、「今までに、逆境の時、どうされましたか?」というお題。スピーカーが自分の逆境について紹介し、「逆境が来ても楽しめば良いのさ。自分は楽しんださ。人生一度きりだから楽しめばいいのさ。」、みたいな話をしていた。その流れで。

逆境かぁ。んん、逆境ってなんだろう? 失敗のこと?不運なこと?つらいこと?うまく行かないこと? なんだ。。。

まず、ボクの仕事を思ってみた。ぺーぺーサラリーマンでも、経営していても、日本の会社でも、アメリカの会社でも、兆円規模の大企業でも、10名の会社でも、大手町でも、田舎でも、うまく行かないこと、辛いこと・壁・失敗・不運・不快・苦労・困難・災難・苦難、などは、当然、普通にあった。今もある。ボク以外のみんなに必ずある。

リストラ、倒産しそう、採用が進まない、人が辞め続ける。あとは、オフィスが水漏れでびちょびちょ、営業がうまくいかない、お客様に間違った報告で土下座で謝罪、海外出張中に食中毒だけど休めない、売れない製品を開発/営業中止する、とか。

これらは、乗越えるために諦めるか、乗越えるために何かに取り組むか、しかない。諦めることが常にダメというか失敗につながるわけでもない。それぞれで、成功するか、しないか。2×2。しかも、いつのタイミングで結果を測るか。今日までは失敗だが明日に成功、かもしれない。

でも、こんなのは逆境ほどでもないよなぁ。。。逆境ってなんだ?ボクには無いのか?忘れっぽいから記憶が無いだけか。アレコレ考えるが出てこない。

あ、死ぬかと思って乗越えたことはあった。これは逆境か?

海外でサーフィンしていた。下手なのに、レンタルしたちょっと合わない板。で、気づいたら流されていた。夕方16時ぐらい。暗くなりかけていた。一生懸命パドリング(両腕で水をかいて前に進むこと)するが流れが強く、どんどん沖へ流される。体力消耗が進む。叫んでも波の音で誰も気づかない。やば、かなりやば、と思った。で、しばらくもがいて、体力消耗が一番ダメだと思い、諦めた。乗越えるために諦めを決意した。ま、どこかで船に出会うだろう。サメはいない、と思う。。。みたいな。ま、今、生きているので、助かったのだけど。

これを逆境と世の中的に定義できるなら、「諦めた」のが、冒頭の問いである「今までに、逆境の時、どうされましたか?」の答えになる。「乗越えるために諦めた」。でも、「逆境では諦めよう!」なんて当然、言えない。汎用性無し。

ちなみに、潮の流れが、半円のように、外海に向かっていながら、途中から浜辺方向に戻っていた。諦めてぷかぷかしていたら浜辺が近づいて見えた。あれ?戻っている。で、あとは再度がんばってパドリングして浜辺に戻れた。無事に付いたが体力消耗仕切って立ち上がれず。バタン!ふへー、助かった。死ぬかと思った。単なる偶然のお陰だ。

同じくサーフィンで。また、流された。入った場所には戻れない。ま、この位置で浜辺に戻ろう。歩いて車のところに戻ればいいや。と浜辺に近づいたと思ったら、あれ、テトラポッドしかない。と思った次の波でテトラの中に突っ込んで巻かれてしまった。水の中でぐるぐるぐるぐる。やば。波が引いたらテトラに下の足に立てた。どうしよ。これ登るしかないな。また波。ごぼごぼごぼ。再度テトラの隙間で波にもまれる。

やば。これは落ち着かないと死ぬぞ。波が引く。上を見る。ま、登れそうだ。これは乗越えないと死ぬ。サーフィンの板を捨てて、貝が密集付着しているテトラをがんばって登った。登り切ったら手と足裏は深い切り傷で血だらけ。テトラの上で、次のテトラへ、次のテトラへと、飛び進んで、陸地へ。血だらけのまま裸足で痛い痛い思いながら車まで戻った。15分ぐらい歩いたか。。。で、近くの土曜日やっている病院へ直行。。。

これを逆境と世の中的に定義できるなら、「今までに、逆境の時、どうされましたか?」の答えは、「乗越えるために行動しようと決意した。そして最悪(死ぬ)を逃れるためのしょうがない犠牲(板を見捨てる。貝だらけのテトラを登り手足を切る)を許容し行動した」になる。ただ。これも当然、汎用性無し。

んん。やっぱりなんかおかしい。この2つのボクの事例。とても一瞬の出来事。超短期的。逆境は「一定の期間」を示唆しているように思う。だからやっぱり逆境とは言わないか。

んん。他にもおかしいことがある。これらが仮に逆境だとしても、逆境に打ち勝った、というより、そもそもその前に問題がある。単なるボクの自業自得。稚拙な読み違い、過信、リスク管理不足、周囲の観察力不足、注意散漫、など、お粗末な自分がいただけ。お馬鹿な自分がいただけだ。自分が未熟で作った状況を逆境と呼ぶのはおかしいだろう。

ならば、逆境をどう乗り越えたかを語るのではなく、逆境を起こさないように日々努力していることこそが賞賛されるべき、かもしれいない。

それに、他者の過去の、逆境とその対応には、汎用性無く個別性高い。それに上位概念的には、「乗越えるために諦めるか」、「乗越えるために行動するか」、しかない。どちらも正解になりえるし、なりえない。だから、やはり、逆境を起こさない努力のほうが参考になりそうだ。逆境を自慢して、乗越えたことを自慢するより、そんな逆行を起こしていない人にこそ話を聞く価値があるかも。。。でも、残念ながらそれは不可能ですね。。。

次にこう思った。ボクの事例のように自分が自分に起こした逆境であれば、自分がお馬鹿だったで済むが、そうではないことももちろんある。他人・社会のせいでの逆境。

でも、他人・社会のせいでの逆境は、これこそしょうがない。自分ではどうにもできないことの定義での他人・社会のせい、なのだから。天気みたいなものだ。辛いけど、しょうがない。地球上で、色んな国と、社会の中で、他人と生きている訳だから、人生全てが自分に都合良いなんてことはない。なんで自分だけがという不運があるが、しょうがない。

勤めている会社が倒産した。不慮の事故にあった。病気になった。天災にあった。性格の不一致だと難癖つけられ離婚を言われた。気候変動で魚が捕れない。気候変動で野菜が育たない。他国が襲ってきた。。。

逆境。辛い・苦しい。けど、しょうがない。

ここでも思う。「今までに、逆境の時、どうされましたか?」の答えは、結局同じだ。「しょうがないので乗越えるために受入れ諦める」か、「しょうがないので受入れ乗越えるために行動する」のいずれか。具体的な詳細はそれぞれの各種状況、条件、立場、将来像、などによって当然変わる。そして、いずれも成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。

あれ???「逆境」って別に取り立てて議論する話ではないのではないか。個別性高いし、小説としてはおもしろいかもしれないけど、と思った。

それに、「逆境が来ても楽しめば良いのさ。自分は楽しんださ。人生一度きりだから楽しめばいいのさ」、と言えるひとは、そもそもそういうキャラなだけ。実は個人としては逆境とは思っていないのだけど、世の中的には逆境的な状況だから、講演や書き物では、「逆境」と呼んでいる、だけカモ。面白くしないと誰も聞かないし読まないから。

一方、マイナス思考の性格だったり、過去にイヤな経験がありトラウマになっているひともいる。だから、「逆境が来ても楽しめばいいさ!」なんて言われても困惑。だって「わかっているけど楽しめない性格なんだもの。人生一度きり!なんてそんなこと当然に知っていて、生き返るとか輪廻なんて思っていないけど、逆境にびびったり、落ち込んだり、逃げたりしたくなるのよ」って。「その性格がダメ、そんな過去にとらわれているのがダメよ!」・「自分が変わらないとダメよ!」なんて言われても。。。

野球で、「打つならホームラン打てばいいさ。人生一度なんだから。ホームラン打てばいいのさ。」みたいな。何の足しにもならない。打てないボクはどうしたらいいの?「打てないのがダメよ! 打てるように自分が変わらないとダメよ!」みたいな。

だらだら、あっちこっち書いたのだけど、他人の過去の逆境を説明されて、その対応を説明されても、あれれ、何の気づきにもならないような。だったら、自分のその時の素直な気持ちを信じて、動く/動かない、諦める/諦めない、受入れる/受入れない、今の道/違う道、をすればよいだけ、のような。

今日のベターアイデア:
誰かの過去の逆境の話。乗越えたのか、諦めたのか、そんな話を聞いても役に立たないような。個別性が高い、再現性低く、汎用性無い。非常に類似しているなら参考にはなるかもだけど、その同じ手法で自分の思う結果に至るかは不明。だから、今、自分が逆境にいると思うのであれば、自分の正直な気持ちに従えばいい。他人の過去の事例を参考にしてもよいが、答えは見つからない。自分を信じ、諦める、あるいは、動けばよい。どちらも成功しえるし、失敗しえる。悩んで悩んで、自分を信じて、決意して、動く。諦めるも含めて、動く。

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