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鬼滅の刃から学ぶ大和魂と大局を生きるということ

読んだほうがいいよ!と言われ、
全巻貸していただいて、鬼滅の刃をついに読みました。

いろんな考察や思いはあるんだけれど、
自分の中で少しずつ形になってきたものを
文字として残していきたいと思います。

盛大にネタバレ含みますので、悪しからず。


過去世の本当の意味

過去世ってないのかもしれない。
そんなことを、鬼滅の刃の一番最後、現代のエピソードを読んで思った。
実はこれ、最近なんとなく感じ始めていたこと。

例えばソウルメイトとは、自分が過去世で縁があった人ではなくて、
自分のうちに宿るご先祖さまたちの記憶や繋がり、縁なのかもしれない。

ソウルメイトと思う人は、実はご先祖様が昔仲良かった人が、
思い出して懐かしがっているのかもしれない。
そんなことを、思った。


鬼と人の違い

現代社会って、鬼滅の刃でいうところの「鬼」の感覚に寄っているのだと思う。

自分だって、悪いことをたくさんされた。
なんで自分だけ苦しまないといけないの?
なんで自分だけ辛い思いをしないといけないの?
自分が人にされたことを、
自分が人にしたら、どうして「鬼」と言われ、
恨まれ、憎まれなければいけないの?

実は、わたしは「鬼」の考え方は、
別に間違ってはいないと思うの。
でも、「鬼」と「鬼殺隊」が相いれず、
理解し合えないのはどうしてなのか。

鬼舞辻無惨の主張。
ちなみに私は、ここまで読んで
鬼舞辻無惨の主張も確かに納得できるって思ってしまった人😂
炭治郎の反応を見て、
「あ、これ納得したらあかんかったところなのね!
炭治郎、ごめん!😭💦」ってなった😂


「鬼」の目線では、自分が人生の主人公なのだ。

「自分」が傷つけられた。
「自分」がひどいことをされた。
そのとき「他人」は誰も守ってくれなかった。
愛してくれなかったし、優しさを与えてくれることもなかった。

だから「自分」がされたのと同じように
「他人」にひどいことをするのは、悪ではない。

つまり、「鬼」の考え方は、「自分」が主体なのだ。

でも「鬼殺隊」の隊員たちは、少し違う。
主人公としての「自分」も存在しているけれど、
家族や友人、名前も知らない「誰か」ですらも
広い意味での「自分」として認識している。


「自分が経験した悲しいこと、痛みや苦しみを
他の人に味わわせることはしたくない。
そのために、自分の生命を賭しても戦う。」


鬼殺隊も、鬼も、戦いの最中を見てみたら
どちらも残酷だし、どちらも憎しみや怒りを持ち、
どちらも殺すという選択をしている。

そういう視点で見ると、鬼殺隊の隊員たちも、
ある意味「鬼」であると言えるのかもしれない。

でも、戦う理由が違う。
それが、「鬼」と「鬼殺隊」の唯一の違い。

「自分」のために戦うのか。
「自分以外」の大切な誰かのために戦うのか。


「利他の心」を奪われた日本人

昔の日本人は、鬼殺隊の考え方だったんだと思う。

戦前までの日本人は、和を重んじた。
大きな関係性、繋がりの中の一部としての「自分」として
自分自身を認識していた。

だから、自分の生命を差し置いて、
誰かを守るという選択をすることができた。

そこにあるのは、「想い」の違い。
「想いを繋いでいく」という大局の考え方。

そして、この和のこころと
「大局の一部としての自分」という考え、
人生の在り方と死生観は、
敵にとっては一番厄介で、煩わしく
コントロールが難しいものだったのだと思う。

このことを書いているとき、
私の中に浮かんでいるのは、第二次世界大戦での
日本の戦い方のこと。
その時、戦争で生命を落としたたくさんの人たちの
想い、願い、そして、世界が恐れた、その強さ。


だから、戦後、この和の心や
「大局の一部としての自分」という考えや死生観を
カタチとして残していた古神道や武士道、
修身教育というものは徹底的に排除されたのだと思う。

そして、「個人」が主体となった
「鬼」たちのような考え方は、
コントロールしやすく、支配がしやすい。

実際、鬼の総大将である鬼舞辻無惨は、
この「自分主体」の怒りや恨みを利用して
人を鬼に変えて、自分の目的のために利用していた。
鬼同士には、仲間意識もなく、思いやりや優しさもない。

これって、なんだか現代社会の
闇の部分に似たもののように感じるの。
(ここらに関しては、いろんな意見があるだろうから
とりあえずは、ここら辺にしておこうかな)

本当の意味での死の超越とは

この「利他の心」で生きる、一見弱さや甘さに見える考え方の
本当の強さを、鬼舞辻無惨は理解できない。


産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の会話
産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の会話
産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の会話


この産屋敷耀哉が最後に無惨に告げる
「私自身はそれ程重要ではないと言ったが…
私の死が無意味なわけではない」という言葉。

この言葉の意味を、このときの無惨は理解できなかった。
彼がそれを理解するのは一番最後。

鬼舞辻無惨の最後の思考


実際、鬼殺隊員たちの

「自分が経験した悲しいこと、痛みや苦しみを
他の人に味わわせることはしたくない。
そのために、自分の生命を賭しても戦う。」

この引き継がれ続けた想いによって
無惨は負けることになったのだ。

そして、最後の無惨の言葉。

鬼舞辻無惨の最後の言葉


「私をひとりにしないで。置いていかないで」

そんな、断末魔の叫び。

この言葉は、炭治郎が鬼になって
自分の意思を継いでくれなかった
悔しさから出た言葉ではないと思うの。

人は、自分が死んでしまったとしても、
「想い」をつなげることで、
生きている次の世代の人たちの中で
いつまでも生き続けることができる。

戦闘の中で亡くなってしまった柱たちや、
鬼殺隊員の家族やご先祖様たちがそうだよね。

カタチとしての自分は消えても、
自分の志や想いは、子孫や仲間たちの中で
いつまでも連綿と受け継がれ続けていく。

それは、ある意味で死の超越なのだと思う。


でも、「自分」を主体として生きてきた無惨は
繋げようとしても受け取ってもらえるような「想い」を持っていなかった。
だって、自分だけが主体の想いだったから。

「自分」が消えたら、それで終わり。
なにも、残らない。
ただ、消えてなくなるだけ。
誰も、自分のことを思い出してくれることはない。

そのことに、無惨は最後の最後で氣づいたんじゃなかろうか。
そして、その孤独に恐れをなして
炭治郎にしがみつこうとしたんじゃないだろうか。

わたしには、そんな風に思えてならないの。


大局を生きるとは

「鬼」たちの考え方は、
現代社会でいうところの「個人至上主義」。

自分が人生の主人公であって、
自分以外の人は、自分の人生においては
脇役にすぎない。

「自分の人生」という物語の中で、
スポットライトに当たった
「自分」を彩るキャストでしかない。

こういう考え方は、
競争を生み、勝ち負けを生み、
優劣を生み、苦しみや妬みを生む。

例えてみるならば、
短距離走や長距離走の個人ランナーだ。

「自分の人生」という舞台の中で
どれだけ派手に走れるか。
どれだけ目立てるか。
どんな世界記録を打ち出せるか。
どれだけ人を追い抜けるのか。
どれだけ勝ち続けることができるのか。

このレースは、「自分」が
この世に生を受けた瞬間に始まり、
「自分」がこの世から息を引き取る瞬間に終わる。

単発的で、刹那的な在り方。
自分主体の、自分で完結し、自分のみで終わる
人生観と在り方。

だから、自分が死んだら終わりなのだ。


でも、鬼殺隊員たちは、同じ「走る」でも
その趣きも、目的も、走り方もまったく違う。

彼らの走る目的はただひとつ。
自分に渡された「想い」という名のバトンを
次の人に渡していくということ。


彼らは、「繋ぐ」ために走る。

永遠に続く「生命」という流れの中で
「繋いでいく」のが自分の存在理由だと知っている。

自分が走っているときに、
派手に目立つこともなければ
たくさんの人を追い抜くこともないかも知れない。
それでも、構わない。

「繋ぐ」ことが、走る目的だから。
バトンを渡していく。
受け継いだバトンを、次へと渡す。
自分は、大きな流れの中の大切なひとつの走者なのだと知っている。


鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」


そこに、主人公も脇役も存在しない。
勝ちも負け、妬みや憎しみもない。
焦りも、不安や恐れもない。

ただ、自分ができることを、
自分ができる最大限の愛と努力でやっていくのみ。

そして、そこには、始まりも終わりもないのだ。
それが、日本人がもともともっていた死生観。
大和魂と呼ばれる、縄文の和の生き方。


陽から陰の時代へ

私たちは、大きな時代の転換期にいる。
個人至上主義が尊ばれるのは、陽の時代。
カタチの時代。男性生の時代。西洋の時代。

でも、今は夕方。
陽は落ち始め、少しずつ夜の帳が下り始めている。

これから始まるのは、陰の時代。
大局の中の自分。
大いなる生命の連なりの一部としての自分。
想いの時代。女性性の時代。東洋の時代。

日本人が、世界の人々が、
大きな歴史の流れの中で忘れ去られた
生命と調和して生きる在り方。
「神ながら」の在り方。

それを、思い出していくタイミングに
人類は来ているのだと思う。
そして、それを思い出す要となるのが、
日本であって、
大和魂や縄文のこころを
己の中に受け継いでいる
私たちなのだということ。

そんなことを、鬼滅の刃は
言葉にならない言葉で
伝えてくれているんじゃないかと思います。


最後まで読んでくれてありがとう。
感謝。拝。


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