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たとえ世界が終わっても

世界が終わる、と言われてまず思い浮かぶのはこの人達でしょうか。
というのはさておき、橋本治『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』を読みました。

イギリスのEU離脱(Brexit)をきっかけに、橋本治が編集者2人と語った対談形式の一冊。橋本治は2019年に亡くなっており、これは世界がまだCovid-19を知らない時代に出版された本です。
対談はEUが結成された背景についての話から始まります。

ヨーロッパの歴史はこれまでずっと「大きなもの」を目指そうとしてきた、と橋本は語ります。
元々はそれは領土を争う戦いであり、大航海時代、産業革命を経て、ヨーロッパによる世界各地の植民地化が進められていきました。
しかし、二度の世界大戦を経て、軍事力による領土の拡大は間違っている、という方向に。その結果、領土ではなく今度は「経済圏」の大きさが争いの中心に変わっていきます。
EUはそんな「大きなもの」を目指し続けたヨーロッパが行き着いた先にありました。

一方の日本はどうでしょうか。
第二次世界大戦後、焼け野原からの出発となった日本は、驚異的なスピードで復興を遂げ、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国となります。領土争いでは敗れましたが、経済の戦い(貿易戦争)では勝利しました。「大きなもの」を目指していくヨーロッパの思想が、日本の経済発展の根本にもありました。
しかし、昭和が終わって平成に切り替わるタイミングで、日本はバブル崩壊を迎えます。

橋本は、昭和の終わりは日本にとって「経済の終わり」でもあった、と語ります。
経済は無限に大きくなり続けるわけではなく、どこかで「飽和」してしまう。貧乏を克服した豊かになった日本で、本来はもうそれ以上の過剰な経済活動は必要がなかったはず。

だって、必要じゃないもの作られたっていらないでしょ?

『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』

だから、日本では昭和の終わりに経済も終わったのだ、と。
日本ではバブルが崩壊し、イギリスではEU離脱の動きが生まれた(イギリスのEU離脱はもちろん日本とは全く違う状況が異なりますが)。
「大きなもの」を目指す時代はもう終わったのだ、と橋本は主張します。

経済規模の大きさを争う戦い(≒資本主義)が限界に達したならば、それに代わる社会、経済のあり方を考えなければなりません。それは一体何なのでしょう。
この本では何か明確な答えや提案が示されるわけではありませんが、もっとちゃんと考えようよ、という話が続きます。
そしてそれを考えるためには過去・歴史を理解しなきゃいけないよね、と。

「物事を既知の事実」にしてしまうと、「もう知っているからいいや」になって、「それはなんだったのか?」を考える気がなくなってしまいます。つまり、「知っている」と思うことは、「実は知らないでいる」という事実を隠蔽してしまうのです。

『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』

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