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ちょっと休憩、雑多コラム

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訪問看護師ではなく、私として・母として・妻として・親にとっての子どもとして・人としての話。
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#訪問看護

こどもの未来は、おとなの今。 ~2年前の手紙~

『二十歳の集い』の朝は早い。 早朝、着付けのサロンまで娘を送り届け、ようやく一息。 コーヒーを飲みながら急に思い出した。 2年前、娘が私にくれた手紙。。 当時娘は高校3年生。18歳。 獣医学科への進学を決め、もうすぐ卒業式という頃。 『春が来ました・・』で始まる手紙。 思い返せば、 仕事も3人の子育ても、決して楽しい事ばかりではなかった。 「小さいこどもを保育園に預けてかわいそう。」心無い言葉も浴びた。 「もしかしたら自分のわがままで、子どもに負担をかけているのでは」と

相手を「変えようとする」のではなく、「相手を受け入れる」ことについて

私は、仕事中は事実だけを事実として受け止め、そこに自分の価値観や感情を付加しないよう、気を付けている。 こんな風に ↓ 「〇〇さんは、〇〇〇〇〇と言いましたとさ~(昔話風に)」 事実は「事実だけ」なのだ。 〇〇さんは、〇〇〇〇〇と言っただけなのだ。 そこに、「~だから良い」「~だから悪い」「~だから好き」「~だから嫌い」など、自分の価値観や感情を付け加えるから、ややこしい事になってしまう。そんなことは重々承知のはずだった。 今年に入り、私は新型コロナウイルス感染症の影響

私には1つだけ、コロナの恩恵がある。

コロナの影響で子どもたちの休校が決まり、部活動も中止となった。 次男の高校の入学式もどうなることやら。まだ制服に袖を通して学校に行っていない。 高3の長女は大学受験の年となったが、自宅学習中だ。 私の仕事は医療従事者として、なかなか厳しい状況が続いている。 それでも私には1つだけ、コロナの恩恵がある。 私の休日は平日にも増して、朝が早い。 3人も子どもがいると、誰かしらが学校だの部活だの、スポーツクラブだの、遠征だの、大会だので朝早く出ていく。 出発時間に間に合うように起き

HP(ヘルス・ポイント)が足りない

私はもともと、何かに没頭してしまう傾向がある。 義務感のようなものに駆られているときは、食事を抜いても、睡眠時間を削っても平気だ。 ものすごーく頑張る時や、新しいことを始めた時、人に会うとか、相談受けるとか。 訪問看護や、人事採用に関すること、スタッフの指導管理などなど.... 気付かないうちに、ものすごくエネルギー使っている。 (アンパンマンが、いろんな人に顔あげすぎて、力がでない的な) そして、オーバーワークを重ねると、 私は、 「HP(ヘルスポイント)が足りない

4月30日、5月1日、5月2日の勤務が終わり、休日の今日。遅ればせながら「平成を想う」

私が看護師になり、 そして 訪問看護を始め訪問看護とともに歩んだ平成。 たくさんの方に出会い、 たくさんの方とお別れした平成。 たくさん泣いて、 たくさん笑った平成。 今の訪問看護師としての私は、 「平成でできている」 といっても過言ではありません。 それから 家族ができ、 親になり、 3人の子育て全盛期だった平成。 私の人生の中で色濃く、 最も密度のあった時代でした。 4月30日の夜はいつもと変わらない夜。 オンコールをしている大晦日のような夜。 穏やかに「令

「生きることは、自分が大切だと思うことを、大切だと言い続ける闘い」

昨日、東京駅で電車までの時間があり、たまたま寄った本屋さんで、たまたま手にした「ヤマザキマリ」さんの本の文中の言葉。「テルマエ・ロマエ」の作者と言えばご存知の方もあるだろう。 ・・・・・・・・・・・・・ 3月、そして4月に入り、ずっと私はいつも以上に忙しかった。スタッフからいろいろな相談を受け個々への対応、業務調整や改善で問題が解消する事への対応、年度末の役所との会議、新入社の方のお迎え準備やオリエンテーション、各事業所周り。夏に向けての看護師さんの採用計画の検討や採用面

人生は 1/1 (いちぶんのいち)ではないと思った

私の娘は、小学校、中学校、高校と吹奏楽部に入部している。 今日は吹奏楽コンクールのため、娘は始発電車に乗らねばならず、私は弁当作りのため4時起きだ。 娘が吹奏楽を始めるまでは、音楽は私の人生の中で一番遠いところにある物の1つだった。 でも、娘が吹奏楽を初めてくれたことで、クラッシックを聴くこと、吹奏楽のコンサートやコンクールに出かけることが、定例行事となった。 娘からの「お母さん、この曲知ってる?」というような会話も日常のものとなった。 もちろん、吹奏楽を続けること