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「生きることは、自分が大切だと思うことを、大切だと言い続ける闘い」

昨日、東京駅で電車までの時間があり、たまたま寄った本屋さんで、たまたま手にした「ヤマザキマリ」さんの本の文中の言葉。「テルマエ・ロマエ」の作者と言えばご存知の方もあるだろう。

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3月、そして4月に入り、ずっと私はいつも以上に忙しかった。スタッフからいろいろな相談を受け個々への対応、業務調整や改善で問題が解消する事への対応、年度末の役所との会議、新入社の方のお迎え準備やオリエンテーション、各事業所周り。夏に向けての看護師さんの採用計画の検討や採用面談。先日は、「グーパンチ事件」もあり、サテライトの責任者とは、夫婦げんか3日後の様な気まずさが漂っているし....。

私は、仕事中は事実だけを事実として受け止め、そこに自分の価値観や感情を付加しない。
起こった出来事について「~だから良い」「~だから悪い」「~だから好き」「~だから嫌い」などを付け加えないようにして淡々とこなすようにしてきた。
そうしないと、本来、情的で喜怒哀楽の強い私はココロがもたない。
私という車のエンジンは、新しく乗せ換えられないので、ポンコツで癖のあるエンジンの車をいかにうまく走らせるかという運転技術のようなものだ。
それから、ひどいモチベーションの時もある。でも「どんなひどいモチベーションの時でも、いつもの事が、いつも通りにできる。それがスペシャリスト。モチベーションの高い低いなどは言い訳に過ぎない」と思っている。
結構、自分に厳しかったりもするのだ。
だから、職場では一見、冷静沈着で感情を出さないタイプに見えるかもしれない。

そうやって、自分自身の内面には意識を向けないようにして、年度末、年度初めと突っ走ってきた。
先日、私の中の「自動緊急停止ボタン」が発動してしまった。

「これ以上はココロをを壊すからやめなさい」
という身体からの黄色信号の様なものだ。

きっかけは業務に関する上司とのやり取りだった。
私のパーソナルスペースという中庭の中で、私が大切にし、大切に育て、成長していくのを楽しんで眺めている花壇の草花があったとして、上司はその中庭にノックもなく入って来て、草花を見て「何、この雑草」と言い、引き抜いていくようなそんな言動だった。
しかも全く悪意はなく、本人はそうしている事すら気づいていなかった。

自動緊急停止ボタン発動後、思考とか、感情とか、生理的欲求(睡眠・食欲・排泄)が止まってしまった。いつの通りの思考が巡らない、気持ちが沈む、眠くない、食べられない、便秘。
今までも一時的に落ち込むことはあっても、1日くらいで元に戻せていた。
今回は戻せない。1日目、2日目、3日目、4日目....。
私は看護師なので客観的に自分を観察するもう一人の自分がいて、
「これはまずい。非常にまずい。」と思った。
どこをどうやっても、自動緊急停止ボタンの解除方法がわからない。
「なんか....。もういいかな....。」
そんな気持ちさえ湧く。
普段は仕事と感情は分けているのに、仕事中もお構いなく感情が噴き出してくる。

それでも、いつものように朝はやって来て、相談事や依頼事、日々こなさなくてはいけない。
業務は、いつものようにお構いなしにやって来た。
ひとつずつ何とかこなしたが、仕事が苦痛で、GWがこれほど待ち遠しいと思ったことは本当に久しぶりだった。

私の異変に気付いた入職以来の知人が、食事に誘ってくれ、どうせなら銀座へ行こうという事になった。
GW前金曜の夜の銀座はキラキラしていた。
昔話やこれからの事、お酒を飲みながらいろいろ話した。
久しぶりに食事を美味しいと思えた。

そうだ。そうだった。

「私が大切だと思っていることは、たくさんあるし、今回の事で無くなったりはしない。」

知人のおかげで気付くことができた。

そして、ヤマザキマリさんの本が解除ボタンの場所を教えてくれた。

どんなにパワフルな価値観が自分を叩きのめそうとしても、何が何でもこれだけは大切だと言えるものがあれば、人はそこからいかようにでも自分だけの道を切り開いていくことができる。
生きることは、自分が大切だと思うことを、大切だと言い続ける闘い

人との関わりや言葉に苦しめられることもあるけれど、
人との関わりや言葉によって、人は生かされると思います。
だから、多分、私は大丈夫です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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