映画「グラントリノ」からみる良い「最期」のための「生」との向き合い方
今日は有給休暇。妻は仕事、子供たちは学校。
そのため夕方までひとり時間♪
昨夜からわくわくしながら「やりたいことリスト」をメモメモ
・ジョギングして、汗だくになった後に冷水シャワーを浴びる
・映画観賞して、心の琴線にビンビン触れ明日への活力を注入
・読書をして、これからあるかも知れない人生を妄想する
・温泉にいき、サウナに入って身も心も整う
そして、すべて実行!
日々色んな事があり思い悩むこともあるけど、こうやって好きなことをして過ごせる時間があることは本当に幸せだ。
今日鑑賞した映画は「グラントリノ」
ご縁があってお世話になっている方が過去に行っておられた映画鑑賞会で何度も上映されていた映画だったため、とても気になっていた。
主人公は、朝鮮戦争の退役軍人で、自動車工として勤め上げた人物。
引退後も常にイライラし歯に衣着せぬ嫌味な言動で周りからも煙たがられていた。
その主人公が、はじめは鬱陶しがっていた東南アジアからの移民であるモン族の隣人との関わりがきっかけとなり、人生を大きく変えてゆく・・・
途中から目が釘付けで、最後は涙が止まらなかった・・・
朝鮮戦争で何人もの人を殺した、それも自らの意思で殺したという自責の念に苛まれ続けている心の傷を背負ったままの人生後半戦。
亡くなった妻から遺言を預かっていた神父に「生より死の方が詳しいですね」と言われ、ハッと気づいたような表情を見せていた。
戦争で未来ある若者を何人も殺してしまったことを毎日のように思い出してしまうということ、昔フォードで働いていた時に自ら手掛けた高級車「グラントリノ」を何よりも大切にしていることから窺える過去への執着。それがゆえに時代が変わりあらゆる環境が変化している中で「今を生きる」ことに適応できず苦しんでいるように感じた。
デンマークの哲学者であるキルケゴールに言わせると「死に至り病」すなわち「絶望」の状態なのでなかっただろうか。
厄介なのは、本人は絶望の状態であるとしても、周りの人々は過去への執着(立場や役割、成功体験、生前の愛する人との関係)により変化できない人として腫れ物に触るように距離をとってしまうということだ。
そこがより一層の心の隔たりを生んでいた。
そんな中、ある出来事がきっかけにしつこいほど関わってくる隣人のモン族の人々から見る仲間意識と、そこから生まれる人と人との温かい関わり、更には自身の病気により意識せざるを得ない死期が重なり合うことで、人生の大きな転換点を迎えることに・・・
自分の「生」の残された時間を意識した時の最期(「死」)の迎え方
以前観た黒澤明監督の「生きる」でも感じたテーマだ
そして、主人公の残りの人生で多くの時間を過ごした隣人のモン族の男の子、タオ
主人公は、残りの人生で「今を生きる」ことによりタオに対して次のようなものが芽生えたのだと感じた
・年の大きく離れた人生の先輩としての愛情
・同じく苦難を乗り越えようとする同志としての友情
・そして未来を力強く生き抜いてほしいと願い接する父性・・・
本当の息子たちとはうまく関係を築くことができなかったことをタオとの関係のなかで実現していく、タオの成長と共に自分も成長していく・・・
過去の執着から解放されて、大切にしてきたものや「~であるべき」という自分への規律を手放していきながら本来の自分を取り戻して感情豊かになっていく主人公の姿は、タイプA気質の自分にとってとても学びの多いシーンだった。
更に私を興味深くさせたのは、「タオ」という名前だ。
老子の教えに出てくる「道(タオ)」、すなわち、人や物が通るべき道や普遍的な法則、道徳的規範という意味と重なり、「人としてどうあるべきか」という問いを視聴者に投げかけているのでは!?とも感じた。
神父も重要な気づきを与えていたが、そういった宗教や文化の枠を超えた、でも「生」と「死」に対する教えの本質は同じ・・・そんなことも考えさせられた。
死を意識し残りの人生を自分が納得いく形で迎えようと覚悟を決めた人の穏やかな顔とその背景にある心の平穏。
鬼滅の刃の煉獄さん、黒澤明監督の「生きる」に加えて、映画「グラントリノ」からも感じることができた。
あ、そういえば映画「アルマゲドン」でブルースウィルスがベンアフレックを締め出してロケットに乗り込んだシーンもそうだ!
まさに主人公が地下室にタオを閉じ込めたシーンは、BGMにエアロ・スミスの『I Don't Want to Miss a Thing』が流れてきそうだった!
また一つ、いい作品の出会いをいただき感謝感謝