bochi_78

それなりに年を重ねてきて、いろんな話があるんですが、若い人に聞かせる話でもないので、ここで吐き出したいと思います。とりとめない話です。

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それなりに年を重ねてきて、いろんな話があるんですが、若い人に聞かせる話でもないので、ここで吐き出したいと思います。とりとめない話です。

最近の記事

できてる風への誘い

SNSのおかげで、できてる人達のできてる談に多く接するようになって、あぁこの人できてる、で終われれば良いものを、ムクムクとできてる風を装いたいという気持ちが抑えられなくなることがあります。 かくいう私もその誘いに負けて、たぶんグロービスに行ったんだと思います。動機はさておきグロービス自体はとても良き場所で地獄のような生活でしたけど、私の場合は振り切って、できてる風を装う欲を抹消させられるというトラウマを残す結果になりました。 とはいえ、このnote自体ができてる風装う欲そ

    • 怒っているとき

      そこまでの人生経験を積んでいないからだろうと言われるかもしれないけれど、他人に対して本気の怒っているときは、自分の不手際や限界と向き合うことを避けているとき。怒りに任せて、視界をボヤかせて、仮想敵に罵声を浴びせることで、自分に目を向けること、自分のミスに身を向けられることを避けてる。 さあ、気持ちを落ち着かせて、視界をはっきりさせて、思い切って向き合おう。全部、お前のミスだ、不手際だ。全ては向き合ってからだ。悔しい気持ちを晴らしたいのなら、全ては向き合ってからだ。

      • チームワークって何だろうか。

        チームワークという言葉に特別感はなく、誰もが何気なく使っていますし、誰かが使っていても、そこで頭を止めることはないと思います。 チームワークって、チームがワークするって、一体どういう状況なんだろうかと考えてみた時に、そこの細かな定義をすっ飛ばして使っていることに気づきます。それ自体は悪いことでも、ドヤってマウント取るようなことでもなく、意識せずともみんながラジオ体操ができるのと同じようなことかなと思います。 ただ、組織を管理する立場になって思うのは、うちのチームはワークしてい

        • ことに向かえ、時に損して得取れ

          グロービスに入学する前に、堀さんと南場さんが対談されるセミナーに行ったことがありまして、そこで最後に南場さんが「MBAなんて取ったって意味ありませんよ。」みたいなことを仰られて、なんとなく「また冗談を」みたいな感じで終わったんですが、ご本人の感じは、全然ネタっぽくなくて、ああ、これ本心なんだろうなって思った記憶があります。通学生や、私みたいに入学を考えてる人達の前で言うわけですから、強烈に印象に残っています。 その後、セミナーで紹介されていた著書も読んだんですが、ああ、やっぱ

          損して得取れ

          海外ドラマのsuitsが好きで、よく見ていたのですが、すごい雑な振り返りですが、そのなかでハーヴィーとマイクが戦ってるときに、情勢が二転三転するなか、マイクが劣勢になって「こないだ言ってたあの案を受けるよ」みたいなことを言うと、ハーヴィーが「もう今となってはあの案はないよ」みたいなことを言うシーンがあって、つまりオプションって、生き物というか、状況によって、とても流動的なんだということを痛感した思い出があります。 そんなの当たり前って感じもあるでしょうが、ふと思い出しました。

          損して得取れ

          別に短期的に成果が出なくても、長く続けることで価値が出るかもしれない。

          仕事でも短期的な価値発現が求められる時代、限られた時間を効率的に使わなきゃ置いていかれる、なんて焦ることも多いです。 仕事に限らず、自己研鑽や子育てにしたって、とにかく短期的に成功するハウツーを得て、トライ・アンド・エラーの繰り返し。これも大事ですし、今の時代に間違いなく求められていることだと思います。 ただ、その一方で、結果なんか出なくても続けておくことも大事だと思います。仕事はなかなか難しいですが、自己研鑽や子育てであれば、いつどこで閾値を超えて成果が出るかわからないよう

          別に短期的に成果が出なくても、長く続けることで価値が出るかもしれない。

          誰かを応援することは、何かを成すのと同じくらい尊い。

          誰もが成功するわけではありません。運動会で活躍する子もいれば、活躍できない子もいます。活躍できない子にとっては、運動会なんて、嫌がらせのようなものです。雨でも降って、中止になればいいのに、と願っているかもしれません。 もしくは、活躍しそうな子を見て、転べばいいのにとか、失敗すればいいのにとか、そんなことしても、自分には少しも得はないのに、願ってしまうかもしれません。 自分がどうやら活躍できそうにない領域にいるとき、どうすればいいでしょうか。そんなときは応援してください。活躍し

          誰かを応援することは、何かを成すのと同じくらい尊い。

          友達について考えてみたら、友達についての経験値が少なすぎて、説得力ゼロだった

          ドラマ「ハゲタカ」のナレーションで「世の中には二種類の不幸がある。お金のない不幸と、お金のある不幸だ。」というのがありますが、これって意外に何でも当てはまってしまって「カレーのある不幸と、カレーのない不幸」とかでも、なんか深い感じがしたりします。 「友達のいない不幸と、友達のいる不幸」なんてのも、かなりいい線いっていると思います。友達は多い方がいいなんて言われます。100人できるかななんてフレーズもあるくらいですから、世の中的には、友達は多い方が良いとされているようです。 お

          友達について考えてみたら、友達についての経験値が少なすぎて、説得力ゼロだった

          社会人になって本気の自分に出会うことが何度あるだろう。

          学生時代に戻りたいという話は、たまに聞きますが、私には一切そういう気持ちはありません。小学生、中学生、高校生、大学生、どれを取っても、戻りたいという思う時期はありません。それは単にしんどかったからとか、いい思い出がないからとかいうことではなく、もう一度あの頃を乗り切る自信がないからです。 思い返しても、紙一重というか、神がかりというか、ギリギリのところでクリアしてきたという感想しかありません。合格を何度か経験しましたが、何かの間違い、誰かの答案と間違って、私が合格してしまった

          社会人になって本気の自分に出会うことが何度あるだろう。

          仕事は自己実現の場所じゃない。仕事をするところだ。

          働くということは、人生においても多くの時間を割くところですが、そのやる気、動機みたいなところに、悩むこともしばしばでした。せっかくの人生なのだから、自分のやりたいことをやろう、みたいなことは、散々聞かされてきました。特に自分のやりたいことをやっている人は声高にそう叫びます。その人に悪気はないんでしょうが、そういう確信を持てない人は、それを聞いてひどく焦るものです。かく言う私もそうだったと思います。 自分のやりたいことをやる、自己実現する、その状態にならなきゃだめ、そう思い込ん

          仕事は自己実現の場所じゃない。仕事をするところだ。

          今こそ熱量のリミッターを外せ

          がむしゃら、という姿勢とは縁遠い感じになってから、それなりの時間が経ちました。社会人になりたて、転職したての頃など、できることを増やすフェーズでは、とにかくがむしゃらでした。それは意図してというよりかは、必然的にそうならざるを得なかった、という方が正しいとは思います。 今の組織でそれなりの時間が経ち、もちろん、できないことがなくなったわけではないですが、がむしゃら、というのとはまた違う姿勢で働いています。それは管理職になったことも関係しているかもしれません。 ただ、それは後付

          今こそ熱量のリミッターを外せ

          ごちゃごちゃ言わんと仕事で圧倒したらええやん、という話

          マネジメント、リーダーシップ、グロービスでも学びましたし、本を読んだり、動画を見たり、インプットはヤマのようにしたように思います。グロービスに通っているときは、マネジメントをする立場でもなく、あまり実感も臨場感もないままに学んでいました。 ようやくここ数年、そういう立場につき、これまてインプットしたものを、あれやこれやと試し、そして答え合わせもできないまま、アレヤコレヤと悩み、迷い、まあそれでも何とかするのがマネジメントだ、なんて思いなからやってきました。 端的に言えば、ごち

          ごちゃごちゃ言わんと仕事で圧倒したらええやん、という話

          読書は間違いのない時間

          「読書というのは間違いのないものだ。」という認識を持っています。 例えば休日をずっと寝て過ごしたとか、ずっとテレビを見ていたとか、ずっと動画を見ていたとか、1日を振り返って後悔することがありますが、ずっと読書をしていた、であれば、後悔することはないと思います。そういう意味で、読書というのは間違いがないというか、何も考えずに、絶対的普遍的に有意義だということになります。こういう状態を恐らく、手段の目的化、というのかもしれません。 何のために読書をしているか、目的は何なのか、とな

          読書は間違いのない時間

          グロービスとは何だったのか

          何だかグロービス関係ばかりが続いていますが、飽きないうちに結論を書いておこうと思います。グロービスとは私にとって何だったのでしょうか。 入ったときはある意味自信満々でした。何者かになるため、その何者かをはっきりさせるために入りました。卒業したときに、どんな自分に変身しているのかが、楽しみで仕方なかったと言っても過言ではありません。 で、通学しながら気づいたんです。いや単科の頃には薄々気付いていたんですが、見て見ぬふりをしました。でも、入学できたときに思ったんです。そうじゃない

          グロービスとは何だったのか

          グロービスの入試の面接で言われたことで覚えていること

          グロービスは単科といって、一部の科目は入学してなくても受けることができました。今はどうだかわかりません。その頃はたいていの人は単科経由で入学する感じだったらしいです。かくいう私も単科から始めて、入試を受けたと記憶しています。入試自体は年に何度かあったかと思います。 単科を受ける際にも、エッセイのようなものを書いた覚えがあります。入試の際にはかなりがっつりとしたエッセイ、入学動機のようなものを書いた気がします。その後、試験も受けました。問題数も多く、難しかったので、あまりできた

          グロービスの入試の面接で言われたことで覚えていること

          何者かになりたくてグロービス経営大学院に通っていた

          もう卒業してから数年が経ったようです。Googleが卒業式の写真をリコメンドしてきて、別に今回が初めてだったわけじゃないでしょうが、改めてあれから数年経っだんだと、感慨にふけってしまいました。グロービス経営大学院の話です。正しくは、グロービス経営大学院大学ですが。 通うようになるまで、通っている間、卒業してから、それぞれの時期でいろいろな葛藤がありましたし、いまだに葛藤は続いています。葛藤というか格闘というか、良い意味でも悪い意味でも、心が休まらない、安まらないです。良い意味

          何者かになりたくてグロービス経営大学院に通っていた