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グロービスとは何だったのか

何だかグロービス関係ばかりが続いていますが、飽きないうちに結論を書いておこうと思います。グロービスとは私にとって何だったのでしょうか。
入ったときはある意味自信満々でした。何者かになるため、その何者かをはっきりさせるために入りました。卒業したときに、どんな自分に変身しているのかが、楽しみで仕方なかったと言っても過言ではありません。
で、通学しながら気づいたんです。いや単科の頃には薄々気付いていたんですが、見て見ぬふりをしました。でも、入学できたときに思ったんです。そうじゃないのかもしれない。やっぱり何者かになれるということなのかもしれない、と。
ドラゴンボールに超神水というものがあります。ものすごい毒で、ヤジロベーがちょこっとなめて、ゲーゲー吐いてたやつです。悟空はそれを湯呑み一杯飲みました。そしてピッコロとの対戦に向かうわけです。超神水が何だったかと言うと、あれはポテンシャルを引き出すものです。確かカリン様も言ってましたが、飲んで運良く生き残っても、ポテンシャルがなければ何も変わらないと。グロービスとは超神水のようなものです。
グロービスに通って、運良く卒業できましたが、私は何者にも変身していませんでした。持っていた自信や自負、自尊心は吹き飛び、等身大の自分と向き合うことになりました。何者でもない、何者にもなりそうにもない、そんな等身大の自分と向き合うことになっただけでした。
平たく言えば、狭い世界の中でトンガっていたんですが、本物に出会って、怖気づいたのかもしれません。怖気づいたという日本語が適切とは思いませんが、細かな心の機微を気にしなければ、大筋は合っている言葉だと思います。
あ、今いる場所で、今与えられた仕事に、全力で取り組む以外の選択肢はないのだなと痛感させられました。さらっとこの結論にたどり着いたような書きぶりですが、実は2、3年はその現実に向き合えず、それこそヤジロベーよろしく、ゲーゲー吐くような時間を過ごした挙げ句、たどり着いたというか、漂着したようなものでした。
グロービスとは何だったのか。別に卑下するわけでも、開き直るわけでもなく、自分が何者にもなれないことを知るための超神水のようなものだった、というのが今の私の結論です。

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