自分らしさを持っている人と、持っていない人
大河ドラマ「光る君へ」を観ています。
吉高由里子さんも好きなんで。
「ウェーイ!」(←ハイボールのCM)
私は自分で副業をはじめてからというもの、
「自分らしさ」について考えることが多くなってきました。
今日は、大河ドラマに学ぶ「自分らしさ」についてお話します。
文章を書くことに生涯をささげた女性
紫式部のお話。
これは千年以上も前のことか…と改めて感慨深い思いです。
「誰がために書く」・・
そういった紫式部の想いも垣間見れて、
毎回楽しくて仕方ありません。
内裏で働きながら
あの内容の物語をガンガン書くあたり、
紫式部は大胆だし豪胆ですよね。
さて、物語も佳境に入ってきましたが、
紫式部の「想い人」である藤原道長が月夜に歌を詠むシーンが印象的でした。
有名な歌ですが
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
現代語訳にすると、
「この世は自分のための世である、望月が欠けたことのないように」
というような内容です。
自らの栄華を誇った、
いわば「自画自賛する歌」にもとられがちですが、
実際の道長の心は私にはもちろん分かりません。
大河ドラマを観ている限りでは、
単なる驕り(おごり)から詠まれた歌ではないと感じます。
決して得意満面ではなく。
どこか寂しそうでいて、
肩の荷を下ろしたように力の抜けた道長さんでした。
前置きが長くなりましたが、
今日お話したかったのは
主人公・紫式部の「自分らしさ」についてです。
道長と紫式部は
幼少時からお互いに想い合っている人、
という体で描かれているのですが、
この二人の対比が面白い。
道長は政治の手腕もあり
周りからも慕われているのですが、
どこか「自分らしさ」とは何ぞや?
と常に追い求めている感じがあります。
対して紫式部は、
幼少時から一貫してブレない心を持ち、
人生において常に「自分らしさ」を体現しています。
2人はお互いに想い合っていましたが、
しっかりと紫式部に依存していたのは道長のほうで。
紫式部が別れを告げてサッと旅立った時の彼の落胆、動揺ぶりは見ていられませんでした。
この大河ドラマは女性が書いたようですので、
このあたりの描き方も女性らしいなあ、と思いました。
常に自分らしく、
他者に依存することなく生きていく紫式部と、
立派に政治を行いながらも紫式部に依存し、
自分らしさの軸が揺らいでいた道長。
いや、もちろん実際の道長はあれだけの手腕を発揮した人ですから、きっと自分軸はしっかり持っていた人なのだろうけど!
私も一度仕事で挫折してから、
自分らしくありたい、
しっかり自分軸で物事を考えたい~と常々思ってきたので、
今回の大河ドラマからはたくさん学ばせてもらっています。
最終回まであと2話くらい…かな?
楽しみです!