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ツインレイは自分を知る起爆剤?

2020年11月からnoteを始めたが、数回で終わった。2年前の6月に書いたのが最後。

この頃私は、自分の身近にいた人が「ツインレイ」という概念に当てはまると思い始めていた。

スピリチュアルは嫌いではないけど、「ツインレイ」という言葉や概念は全く知らなかった。

ツインソウル、ツインフレーム、魂の伴侶、そんな言葉は聞いたことがあったから、まあ運命の人ってことだろうな、くらいのイメージ。

でも、どうやらツインレイという関係はなかなか過酷だという情報が多いと知った。
「ツインレイプログラム」とか言われても???っていう感じだったけど。

だって、「ツインレイ」というものだったとしても、自分が他の人と同じような展開になるとは限らないし…サイレントとやらも無い人もいるらしいし、あまり気にしないでおこう。そんな風に思っていた。

脳の仕組み的に「そうなりそう」と思っていたら、ほんとにそうなりそうだし…と。

でも、結局そんなにサラリと流せるものではなかった。

この2年近く、私の感情は海のような状態だった。凪状態から荒波へと、何度もそれを繰り返して、メンタルはボロボロだった。

2021年の夏以降は、特にひどかった。
恋人でもない相手に、強く執着している自分。それを必死に隠そうとして、一人きりになると涙が止まらず、号泣していたり。

そんなことが続き、昨年の2月、私は彼に思いを打ち明けようと思った。

結局、思いをストレートには伝えられなかったが、連絡先を交換してもらった。

すごく嬉しかった。このまま上手くいきそうな気がした。


なのに、彼は次の日から目も合わせてくれなくなり、そのまま仕事で会うことも減っていった。   

でも、すごくシャイな人だし、ちょっとこじらせ系な気もするから、と思って彼が声をかけやすいようにメールしてみた。

すると、しばらくしてまた、にこやかに挨拶をしてくれるようになった。

でも、進展は一向にしていかない。

3カ月くらいすると、ツインレイあるあるの「既読スルー」「未読スルー」も始まってしまった。

そうなるともう、

私の中に眠っていた自分の孤独感は、バリバリ刺激されていった。

“失敗ばかりの人生を送ってきた私には愛される価値はない。

いや、そもそも恋愛に関心を向けること自体間違ってた“

“自分の趣味に夢中になって、マイペースで一人で生きていく方が私には合っているんだから、恋愛なんてしない方がいい“  

そんな言葉が全身に浴びせかけられる。
(自分から自分に なんだけど。)

いい年して何やってんだ…とか、

とにかく自分を責めて、めちゃくちゃ辛い時期だった。

だけど、ここから私は本格的に自分と向き合うことになった。

そのおかげで、今はかなり快適に楽しく、自分らしく生きられるようになってきている。

今となっては、ツインレイは自分ときちんと向き合うための起爆剤だったと思っている。

起爆剤というと語弊があるかもしれないけど…。

その人に出会うことで、今まで奥底に眠らせていたもの (=自己否定や孤独感といった、過去の記憶により植え付けられた意識 )
に気づかされるのだ。

それは最初  真っ黒い球体に見えて、
いつ爆発してしまうのかと怖くてたまらない。

“本当の自分“ へのスイッチが入って、そのスイッチが入った瞬間、
カチ、カチ、カチ… と、タイムリミットの迫る音が聞こえてくるように感じるから。

だから、今まで真っ黒い球体を眠らせていた自分は、それに気づいて
「ヤバイ!どうしよう!!」
ってなってしまうのだと思う。

でも、自分と向き合わざるを得ないスイッチが入り、その流れに乗っていくと
(最初は流れに乗るというより、波にのまれていると感じたけど)

その真っ黒な球体が、ある時パッカーンと開いて、その中には、忘れていたあらゆるものが入っていたことに気づく。

それは、もう思い出したくないような、ものすごく悲しい感情や怒りだったり
実は興味があって、ほんとはやってみたかったけど、無理だと決めつけて放置していたことだったりする。

ほったらかしていた感情やしなかった行動と改めて向き合うことは、しんどい時もある。
でも、眼の前にそれを拡げてじっと眺めてみると、自然と気づいてくる。

私はあの時、すごく辛かったんだな、でも周りにさとられないよう無理していたな。とか。
めちゃくちゃ怒りにまみれていたけど、結局、怒りを向けていた相手を羨ましく思っていただけやん、とか。

何がうらやましかったのか?本当はどうしたかったのか? いろいろ掘り下げながら自分の心を見ていくと結局自分に自信のないちっぽけな自分がいる。

そして、そんな自分をまるっと誰かに受け入れて欲しかっただけなんだと思う。

一番は親かもしれない。それができなかった場合、私も含め人はそれを他人に求め始める。

でも、本当は一番身近な人間が受け入れるのがいい。親や兄弟以上に私に近い人。


そう。私自身だ。


それに気づいてからは、もう怖くはない。

この体験は私に、自分と向き合い、自分らしい自分になっていくチャンスをくれた。

私は私でいればいい。それを私がまるっと受け入れていけばいい。



 

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