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読書記録 | 何の変哲もない事だからこそ面白い。正宗白鳥の短篇「玉突屋」の光景
世の中にはどんでん返しからのどんでん返しや、ジェットコースター式に流れる凝った趣向の小説も溢れる中、ただ何の変哲のない日常のどこかで起こっているだろう一時が小説になっているのは、”ソんなこともあるよナ“という感じを受けるので、却って新鮮である。
つい先頃私の本棚に入った、正宗白鳥の作品集の中にある冒頭の短篇小説「玉突屋」のごく短い中において、殊にそのような感じを受ける要素が多分に含まれており、すぐ再読を促す程面白い上、どことなく現代にも通じる文明開化の時代の瀟洒な雰囲気が漂っている。
舞台は深夜、もうすぐ日付が変わろうとするとあるビリヤード場での一幕である。
とにかく眠くて眠くて堪らない若いボーイ(当時は遊びであっても、贅沢に横にジャッジが付いていたのが贅沢だ)の心持ちに反して、もう1ゲーム否、明日は休みだから朝までやらないかと仲間に持ちかけている常連客とのやり取りが実に絶妙で面白い。
気の毒なボーイは故郷の長閑な風景を幻想に視る程眠気に陥るのであるが、その光景が理想と現実のギャップを暗に表しているようで少し切なくもなる。
そしてボーイと客とのどちらの立場から覗いても、“あるある”と頷けるような何気ないやり取りに、往年のドリフのコントを観ているように愉しめつつ、しっかりした文学性と玉突きという大人のお洒落な遊びの絡み合いに、馥郁たるものを感じるのである。
私も下手ながらも、機会あって幾度か玉突きを嗜んでみたことがある。
十数年前、海外出張先のホテルのバーに置いてあったビリヤード台で、タイガービール一杯を賭けて愉しんだ玉突きの一時が懐かしいものである。