Boat@ゆっくり文庫

無類の本と読書好きです。 ジャンルを問わず小説作品の古本蒐集が好きで、その好きが高じたもので、私の読書体験と蔵書記録を綴ってみたいと思います。

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無類の本と読書好きです。 ジャンルを問わず小説作品の古本蒐集が好きで、その好きが高じたもので、私の読書体験と蔵書記録を綴ってみたいと思います。

最近の記事

読書記録 | 何の変哲もない事だからこそ面白い。正宗白鳥の短篇「玉突屋」の光景

 世の中にはどんでん返しからのどんでん返しや、ジェットコースター式に流れる凝った趣向の小説も溢れる中、ただ何の変哲のない日常のどこかで起こっているだろう一時が小説になっているのは、”ソんなこともあるよナ“という感じを受けるので、却って新鮮である。  つい先頃私の本棚に入った、正宗白鳥の作品集の中にある冒頭の短篇小説「玉突屋」のごく短い中において、殊にそのような感じを受ける要素が多分に含まれており、すぐ再読を促す程面白い上、どことなく現代にも通じる文明開化の時代の瀟洒な雰囲気

    • 読書記録 | 小山清の自伝的小説「落穂拾い」から感じるささやかな日常の風景と慈しみの情

       もし、私の記事をご覧下さっている方が居られるのであれば、なぜ今更旧い小説ばかりを貪るように読むかという事を感じるかもしれない。  現代の小説、昔の小説(所謂、近代文学)はどちらも同じ小説で創作というものであるが、私個人として両者が明らかに違うと感じるものが幾つかある。  たとえば、後者は文でしか表現出来ない人間の普遍的な部分や情緒、感情の機微がある。 要は活字でしか感じ取ることが出来ない作者の生活や人生から来たものが、心や感情に訴えるものがあるので、まったく流行り廃り

      • 読書記録 | 三島由紀夫の「憂国」に想う、それは尊厳ある死であったか

        ある文学系のスレッドに「国内文学で最高と思う作品を一つ挙げるとしたら」というようなスレタイがあり、少数派ではあったが三島由紀夫の「憂国」が挙がっていた。 私がこれまで通読した三島由紀夫の作品は「金閣寺」をはじめとする代表的な長編をいくつか、短編小説でいうと「ラディゲの死」といったごく狭い範囲ではあるが、独特の端整で流麗な文体にいつも感銘を受けたものである。 作品の存在は知っていながら、これまで読む機会がなかったこの「憂国」であるが、読み手の身に迫るような文の一つ一つが、こ

        • 読書記録 | サイコキラー美青年「真珠郎」の猟奇的で耽美な世界の再読と横溝正史作品の思い出

          私の小説好きの源流を辿れば、中学生の自分から関心を寄せていた横溝正史のミステリー小説にあることが確かである。 きっかけはテレビドラマの視聴が先であったか、友人から面白いからと薦められたのが先かは今ではもう憶えていないが、小説で言えば当時地元にあった小さな古本屋さんで「八つ墓村」「悪魔が来りて笛を吹く」など、カバーがすっかり傷んで少し砂っぽい手触りになっていしまっている数冊を買ったのが最初である。 実はそれから数年間その本数冊を読まずに持っていたというのが正直なところで、本

          読書雑感 | 小川未明の「時計のない村」は普遍的であり、教訓も存分にある

          「日本児童文学の父」と称される小川未明の作品の一つ「時計のない村」は、私が最初に読んだ小川未明の作品であり、同作者のうちで今のところ最も印象的な作品である。 児童文学ということがあり読みやすいので、子どもは然ることながら、大人が読んでも考えさせられる教訓めいたものを含ませているのが、小川児童文学の作品の最大の持ち味と言えるのであるが、この「時計のない村」はその最たる例ではないだろうかと思う。 とはいえ、これはあくまで私個人の意見としてであるのでほんの参考程度のものである。

          読書雑感 | 小川未明の「時計のない村」は普遍的であり、教訓も存分にある

          読書記録 | 森鴎外を読むなら2作目はスリル溢れる「魚玄機」あたりがいいかもしれない

          私の数少ない森鴎外の作品通読から申し上げさせていただくのであれば、最も最初に読むべきで最も感銘を受ける作品は余りにも高名な「高瀬舟」であろう。 この短い作品のうちで嘱託殺人について、状況的に仕方のないものとして受け取るか、殺人は殺人と情状酌量の余地もないものとして受け取るか、その出来事の是非を読者に委ねる部分、それから終盤の作品のすべてを覆いつくすかのような情景が印象深いものである。 では、その次に読むとすればどの作品が最適か。 勿論それは個人の考えによるものなので、あ

          読書記録 | 森鴎外を読むなら2作目はスリル溢れる「魚玄機」あたりがいいかもしれない

          読書記録 | 太宰治の「畜犬談」から思う、太宰さん実はポチのこととても気にかけてますよね?談

          恥ずかしながら漸く今頃、太宰治の「畜犬談」を拝読したのであるがこれがとても面白い。 これまで通読した太宰治の作品はほんの一握りで、その中でも私は「八十八夜」を好むのであるが、「畜犬談」はそれを凌ぐほど面白かった。 何が「面白いか」、作者独特の流れるようなリズムと滑らかな文に、犬を相手取るおそらく作者の感情の機微が、いつの間にか読者の鼓動に相まってとても豊かなのである。 おそらく作者太宰さんであろう主人公は、畜生と呼ぶぐらい徹底して犬が嫌いで、噛みつかれる報復を畏れている

          読書記録 | 太宰治の「畜犬談」から思う、太宰さん実はポチのこととても気にかけてますよね?談

          読書記録 | 夢野久作の幻夢郷より少しミステリー仕立ての短編「けむりを吐かない煙突」に触れてみる

          夢野久作の作品といえば、タイトルから漂う特異性と本の表紙画の薄気味悪さから、ホラー小説のイメージが強いのであるが、「ドグラ・マグラ」他いくつかの作品を通読すると、私個人としてはミステリーとホラーの間の子のような存在に思えるのである。 つまりは「夢野久作」というジャンルではないかと思えるのである。 今月は国内短編小説の読み比べが私のトレンドとなっており、先月まであれ程に拘っていたSF小説は何処へやらというところで、久しぶりに本棚から引き出したのは、以前表題作だけ通読した夢Q

          読書記録 | 夢野久作の幻夢郷より少しミステリー仕立ての短編「けむりを吐かない煙突」に触れてみる

          読書記録 | 福永武彦の「退屈な少年」と佐藤正午の「リボルバー」の共通性

          福永武彦の「退屈な少年」を今になって漸く読んだのは、確実に以前通読した佐藤正午の「リボルバー」がきっかけである。  「リボルバー」の作中に、銃を所持して北上する少年が「退屈な少年」を読んでいる場面があり、そこから少年が銃を構える緊迫した場面を引用することで、作品に一層不穏な緊張感を含ませる効果を出している。 なので「退屈な少年」はきっと物々しいものとばかり思っていたものの、実際読んでみると登場人物それぞれの鬱屈した内面と銃の存在をうまく絡めた、どちらかと言えばヒューマンド

          読書記録 | 福永武彦の「退屈な少年」と佐藤正午の「リボルバー」の共通性

          読書記録 | フォークナーの「サンクチュアリ」から考える「聖域」を穢すということとは

          訳者によるこの小説のあとがきにあるフォークナーの小説は、本を読み慣れた人が数回読み直しても、物語の全容が掴み難いという説に私もまったくの同感である。 作者はアメリカを代表する作家でありながら、なかなか小説の人気が出なかったのは、この難解な作風に一因があるとされている。 まずもって、以前通読した「サンクチュアリ」においては、「彼」「彼女」やファーストネーム、ラストネームがことあるごとに入り交じり、誰のことを指しているのか読みながら、頭がこんがらかることがしばしばあった。 

          読書記録 | フォークナーの「サンクチュアリ」から考える「聖域」を穢すということとは

          読書記録 | 大江健三郎の「死者の奢り」における異様な世界での恍惚と抒情性

          読書の趣を変えて少し非日常的なエッセンスを混ぜてみたいと思えば、SF小説やホラー小説、ミステリーなど奇想天外なものを選ぶことも一つの選択肢ではあるのだが、極めて特異な世界でありつつ現実にあるかもしれないものを味わいたい場合、大江健三郎の短編の世界を読んでみるのもいいかもしれない。 そう思って本棚から取り出したのは「死者の奢り・飼育」という短編集である。 以前「個人的な体験」を途中で断念してからというもの数年ぶりの大江健三郎である。 何せこの「死者の奢り」は、はじまりから大

          読書記録 | 大江健三郎の「死者の奢り」における異様な世界での恍惚と抒情性

          読書記録 | 葉山嘉樹の衝撃的な短編「淫売婦」から人間の尊厳を問う

          プロレタリア文学者、葉山嘉樹の「淫売婦」を通読すると、大抵の人がその人なりの何らか衝撃を感じるのではないかと思う。 斯くいう私もこの例に洩れず、読んで一日経った今もトラウマのようにあの小説の中の出来事を頭に引き摺っている。 小説の中の出来事、いわゆるフィクションにも関わらず、意識の中に尾を引くというのは、作中に見るその切迫したリアリティの中にあると言える。 その前に知っているようで知らない「プロレタリア文学」という言葉について、生半可な知識ながら少し考えてみたいと思う。

          読書記録 | 葉山嘉樹の衝撃的な短編「淫売婦」から人間の尊厳を問う

          読書記録 | 「智利の地震」から感じる未曾有の災害を逃れながらも非業の死を遂げた無情さと群集心理

          私の住んでいる地域は、北は穏やかな海に面し、遠く南の方角は、時に碧く時に自然の緑に映える山脈が眺望できるという比較的自然環境に恵まれた場所である。 ゼロではないにしろ、身の回りで自然災害が比較的少ないのは、高い山々や周囲の自然環境がもたらす恩恵があってのことだと思っている。 しかしながら、このところの長雨や異常な暑さ、それから将来経験するであろう地震など、自分たちではどうしようもない災害が起こることを考えると、ふと心配になったりすることもある。 たとえば、もうわたしたち

          読書記録 | 「智利の地震」から感じる未曾有の災害を逃れながらも非業の死を遂げた無情さと群集心理

          読書記録 | 中島敦の古譚「狐憑」の回顧録

          中島敦の作品を本棚から取り出したのは、娘が関心を寄せている「文豪ストレイドッグス」という漫画の主役が以外にも中島敦だったことがきっかけである。 以前から読んだ小説作品のタイトルをノートに記帳しているものの、肝心の内容は時が経てばすっかり抜けているものが多く、ことに短編小説はその傾向が顕著である。 棚から引き出した中島敦の古い作品集「光と風と夢」に収められているいくつかの古譚もその例に漏れず、冒頭の「狐憑」なども内容をまったく憶えていなかったので、再読に至ったのが少し前のこ

          読書記録 | 中島敦の古譚「狐憑」の回顧録

          読書記録 | シュティフターの「水晶」に見る自然と人間生活の調和

          たとえば「人間喜劇」というものがあるとしたら、先程再読を終えたシュティフターの「水晶」は、壮大な「人間讃歌」というものに位置するのではないかと思う。 シュティフターの創り出す小説の世界は、余りあるほどの自然描写で私たち読者を誘導し、その中の一部分として自然と共存し、世代を超えまた次の世代へと受け継ぐ厳かで普遍的な人の生き方と生きることの歓びを表した、光差すようなものというべきであろうか。 いわば小説でありながら、NHKのナレーションだけで進行するドキュメンタリー番組を観て

          読書記録 | シュティフターの「水晶」に見る自然と人間生活の調和

          読書記録 | 私は「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズに何を読まされていたのか

          しばらく置き去りにしている盟友ジャン・ジャック・ルソーの「孤独な散歩の夢想」が私にとって少し難解な読み物だとすると(とは言え訳文によれば読み易いものもあるらしいが)、またそれとは別で終わりまで何を読まされたのか分からないものもある。 たとえばカフカの「城」であるが、これはきっと再読を促すものに違いなく、あの退屈に感じたたらい回しやお内儀とのやり取りも、もう一度読めば少し違ったものに感じるであろう。   そしてもうひとつは、SF小説の部類に属するであろう「銀河ヒッチハイク・

          読書記録 | 私は「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズに何を読まされていたのか