読書記録 | 葉山嘉樹の衝撃的な短編「淫売婦」から人間の尊厳を問う
プロレタリア文学者、葉山嘉樹の「淫売婦」を通読すると、大抵の人がその人なりの何らか衝撃を感じるのではないかと思う。
斯くいう私もこの例に洩れず、読んで一日経った今もトラウマのようにあの小説の中の出来事を頭に引き摺っている。
小説の中の出来事、いわゆるフィクションにも関わらず、意識の中に尾を引くというのは、作中に見るその切迫したリアリティの中にあると言える。
その前に知っているようで知らない「プロレタリア文学」という言葉について、生半可な知識ながら少し考えてみたいと思う。
Wikiから得られた俗に言う「プロレタリア文学」の意味を考えるとこのようにある。
細かく述べると、プロレタリア文学の中でもいくつかの派閥があり、当時の社会背景とともに主義思想の異なるもの同士の対立があったようであるが、ここで述べられるほど詳しくないので、それは割愛したいと思う。
そしてこの作品を自分なりに読み解くには、余り本意ではないのだが、あらすじを述べてみないとならない。
主人公の男が通りを闊歩(歩くより闊歩が相応しい)していると、風変わりな三人の男に連行され、暗く寂れた異様な建物の中に通される。
そこで男が見たものは、裸体のまま自分の吐瀉物にまみれ、痩せ細り半ば死にかかった状態で横たわっている若い女性であった。
異様な臭気と熱気の中、邪悪な意図を汲み取った男は、意を決して女性を連れ出すことを持ちかけるが、あろうことか女性は、あの三人の男性に養ってもらっているので、このままにしておいてくれと応えるのである。
このただならぬ状態は、半死半生の女性と三人(こちらも病身)の男性が既に、貧困の抜け出せないループに入っており、日々食いつなぐにはこうするしかないという絶望的な状態になっていることが窺える。
女性としては、仮に連れ出されたとしても金がなく、身体もままならない(結核に癌腫)ので、今の方がいいということで、もう男が手を尽くせる状態ではないのである。
結局男は為すすべもなく、泣く泣くその場を後にするのであるが、ここに社会的弱者に滅法厳しい資本主義の厚い壁が見え隠れしているような気がする。
何せこの葉山嘉樹の筆致には、ただ想像で書いているのではないという魂を感じるのである。
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