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『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』著:桜庭一樹

はじめに

職場の部下が鳥取市出身ということで(?)、2年前に読んだ本作を再読した。

「百合」の観点からは評論しないので、悪しからず。

また、例によってネタバレありなのでご注意を。

では。

あらすじ

鳥取県境港市の女子中学生、山田なぎさは自身の境遇から
実弾・・・生活、生きていくことに直結すること、実体のあるもの
↑以外には関わるまいと決意していた。

ある日、転校生として東京から海野藻屑という女の子が、なぎさのクラスにやってくる。
なぎさとは正反対に
砂糖菓子の弾丸・・・自分を人魚だと名乗るなど、”役にたたない"こと。当然、生きていく上で必要ではない。

それを撃ちまくる藻屑。

だが、藻屑の境遇を知るにつれなぎさは、砂糖菓子の弾丸に惹かれていき・・・。

砂糖菓子の弾丸と実弾が飛び交い、周囲の人物にも変化をもたらす作品。

以下、主要と思われるキャラクターについて述べる。

「山田」「なぎさ」

本作の主人公。この中学生女子の視点から物語が語られる。

父親を亡くしており、兄は引きこもり。
生活はいつも不安。そういった境遇から
実弾(生きることに直結する、金などに関すること)」以外には関わらないようにしている。

本作の視点担当だけあって、普通の感性は持っているが上記モットーに反し、
・引きこもりの兄に強く出られない
・藻屑と些細なことで熱く議論するなど、実弾以外の事柄に普通に関わっているなど、

不徹底なところがあり、単なる「キャラクター」ではなく人としての現実感が増している。

「『実弾』以外には関わらない」と言ったそばから、藻屑の体を心配するのだ。
砂糖菓子の弾丸を撃ちまくる、砂糖菓子そのもののような女の子を。

赤の他人の藻屑のために泣きもするのである。

それがなんといってもいい。

そもそも、名前が「山田」「なぎさ」という、海やら山やらはっきりしないものである。現実的で、実弾らしいといえばそうだ。

ここでも、「海野藻屑」という出来すぎたような、フィクションの申し子のような名前との対比があるわけで(藻屑の両親が娘を「人間」として扱っていなかった説もあり得る。ネタでつけた説)

『A Lollypop or A Bullet』(本作の英題)のような対比構造が示されている。

そして、「or」となっているのでLollypop(砂糖菓子の弾丸)かBullet(実弾)、

我々はどちらを選ぶのかが迫られている。

↑のように書くと、二人が不仲のように思われるかもしれないが、そうではない。むしろ、互いに境遇は違うが
本質的には似たように不幸なことから、仲は深まっていく。

海野藻屑

なぎさとは対照的に、現実感のない女子中学生。

もちろん、ただの女子中学生ではない。

歩き方がおかしいし、

山田なぎさに「死んじゃえ」と言ったかと思えば、次の瞬間には「友達になって」と言う。

上記は一例だが、藻屑がなぎさの中学校に転校してきた際の自己紹介も
砂糖菓子の弾丸に溢れ、不自然極まりなかった。

どうやって生きてきて、これからどうやって生きていくのかが心配になるような奴だった。

時間は守れない、会話はかみ合わないなどADHDの私から見ても(私が実際やったことがあるから?)心配してしまう。
言葉が強いというか、変に芝居がかっているもので相手を怒らせるんじゃあないかとこちらが不安になる。

何より、なぎさの父は漁師であり、突然の嵐で亡くなったことを藻屑が聞いたとき、「自分は人魚だからなぎさの父に会った、元気にしていた」という趣旨のことをなぎさに話している。
目の前の人を喜ばせたくて。

藻屑なりに、なぎさを想ってはいたのだ。

だからこそ、そんな奴が、到底この世で生きていけそうにないことがやるせなく感じた。

砂糖菓子の弾丸は(なぎさしか)撃ちぬけない。

そんな結末となった。

むしろ、藻屑は弾丸撃ち込まれている側ではないかとすら思う。

花名島に図星を突いた発言をしてしまい殴られ、そうでなくとも、父親により元々体は痣だらけ。


急に私の話になるが、以前読んだときはADHDの診断は下りていなかった。

下りた後に読むときついんだな、藻屑がコミュニケーション失敗というか誤解されてひどい目に遭うのが。

なまじ藻屑の魅力も描写されているところが、さすがは直木賞作家の作品である(直木賞作家、というだけで本作を手に取ったわけではない。念の為)。

変わっているだけ、のキャラクターでは決してなかった。

周囲

再読したとき、印象深かったのはなぎさの兄、友彦と担任教師だった。

友彦

高校にも行かず引きこもり、死んだ父の保険金を通販などで使い切ってしまった男(17)。容姿端麗で、家族としか話さないので年齢とは不釣り合いに落ち着きがあり、「貴族」のように描かれている。

なぎさと母と共に住んでいるアパートから全く外に出ないので、こいつも現実感がない。藻屑と似たようなところがある。

実弾は、おそらくこの頃の彼では撃てなかった

兄としては、その性格からか妹に慕われているようなのだが、浪費ばかりするので結果的に妹を追い詰めるという形になってしまっている。

どうやらトラウマが元でこうなったそうだが、触れづらいのかなぎさや母は彼に強く出られない。

その彼が「貴族」である自分を捨て、妹のためにカッコ悪いながらも外出するシーンは

藻屑が放った砂糖菓子の弾丸がなぎさを撃ちぬいて、
そのなぎさを心配した友彦に、行動という形で実弾を打てるようにさせたように思い、

再読して新たな解釈ができ、名作と言われる理由がわかった気がした。

藻屑の弾丸は、山田家を救ったと言えるかもしれない。

しかし、簡単にハッピーエンドだとは言いたくない。

私も、本作という砂糖菓子の弾丸にやられてしまったのだろうか?


担任

この人も、なぎさの家に行き友彦を働かせ、なぎさが高校に行けるようにしようとしたり、
児童相談所と相談し、藻屑を父親から救おうとしたりする重要人物である。

それに加えて、私はこの人こそが砂糖菓子の弾丸をかつて撃っていたのではないかと思っている。

根拠は、

・花名島(なぎさのクラスの男子)が野球部を退部させられたとき、
「これで髪が伸ばせるな」と失言する(空気の読めない藻屑と似ている気がする)

・「俺は大人になって、教師になって、スーパーマンになったつもりだった」という発言。これは大人が撃つべき実弾と言い張るには苦しい。

以上である。

「スーパーマン発言」から、この人は結構ヒーロー物の作品とかが元々好きで
(砂糖菓子の弾丸)、しかし教師になったからには実弾も扱えなければならない。

そうやって、ここまで生きてきたように思える。

父親が藻屑を殺したことが明らかになり、なぎさの母がその原因を「現代の病魔」
だと言う。これは砂糖菓子の弾丸だ。誰も救えない、しかしテレビのコメンテーターがもっともらしく言うものだから、普通の人は実弾だと思い込んでいる。

担任は上記発言を否定する。バランス感覚が抜群にいい。
両方の弾丸について、考えたことがあるのかもしれない。

思うに、このキャラクターは子供時代を終え大人になり、
砂糖菓子と実弾、その両方を使い分けている大人像を示しているのではないだろうか。

実弾でも砂糖菓子の弾丸でも、どちらがあってもハッピーエンドを迎えられなかった女子中学生二人への希望として。

終わりに

大人になってしまった我々が砂糖菓子の弾丸を撃つ機会は限られている。

家事やら仕事で実弾ばかり装填している毎日である。

しかしこの本を手にとって、あまり人の目に触れることもないnoteを私は書いている。

砂糖菓子の弾丸に撃ちぬかれたい

砂糖菓子の弾丸は、もう逃がしてくれない

再読したらテレワークなんてほっぽり出して読んでしまった。

撃ちぬけとるやん。少なくとも私は


できれば、私も高望みかもしれないが、誰かを砂糖菓子の弾丸で撃ちぬいてやりたいもんだ。

「実弾」でもいいんですけどね。

以上




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Blumenkranz
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