映画「プラトーン」を観て
5月3日「プラトーン」という映画を観た。
原題は「Platoon」。1986年のアメリカ映画で、オリヴァー・ストーン監督の作品だ。
キャストは、クリス・テイラー役のチャーリー・シーン、バーンズ役のトム・ベレンジャー、エリアス役のウィレム・デフォー、ウォルフ中尉役のマーク・モーゼス、キング役のキース・デヴィッドなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
戦争は精神を崩壊させる
この映画は、ベトナム戦争の映画である。
ベトナム戦争も終わってから50年以上経つ。ボクが子供の時代は、ベトナム戦争はつい先日のような、そんな感覚があった。
それも昔の話。この映画も38年前の映画になる。何だか驚いてしまう。
さて、昔この映画を観たことがあるが、内容をよく覚えていなかったので今回再度鑑賞の形となった。
観終わって、思うこと。
やっぱり、何があっても戦争はしてはいけない。
瀬印相の中から生み出されるものは、憎しみと悲しみ、そしてトラウマである。
そこに、未来へ向けての明るい将来は、1ミリもない。
精神を崩壊させ、人を人の命だと思わなくなる。
地獄そのものだ。
だから、いかなる理由があろうと、してはいけない。
あたり前のことだが、再確認した。
味方の中の敵との闘い
戦争は、もちろん経験したことは無い。
でも、戦時下というものは、戦地ではこうなるだろうと予測はできる。
同じ時間を費やし、常に顔を合わせ、敵との戦闘で仲間が死んでゆく、人を殺す。そうなれば、味方の中にも敵を感じるのではないだろうか。
そして、その味方の中の敵と戦う。
残念なことではあるが、このようなことは戦地ではいくつか起こっていたかもしれないと想像できる。
戦争とは、許される殺人なのだ。そう考えると、恐ろしい。
そして、敵は自分の中にいる”悪”であったりもする、のではないだろうか。
1980年代に多かったベトナム戦争の映画
この80年代から90年代は、ベトナム戦争を主題にした映画が多数ある。
その後、湾岸戦争やほかの戦争が起こり、今ではこの戦争を取り上げる映画は少なくなった。ベトナム人は東洋人である。日本人である自分からすると、映像がより生々しく見える。ベトナムの村の襲撃シーン。「何を笑っているんだ」と、銃弾を地面に撃つクリス。そのベトナム人は、おそらく障害を持っているように感じた。
そして、村人を疑い、射殺したり、女性を犯したり、もう犯罪者集団である。これが戦争なのだ。
映画の中で、エアリスが「俺たち(アメリカ)は横暴すぎた、そろそろバツが与えるころだろう」のようなことを言っている。そして、実際にその結果となる。
敵(ベトナム側)の死体を、ブルドーザー処理するシーン。
戦争は、人の扱いを、ここまでしてしまうのである。
人は平和を当たり前に思い、忘れてしまう
今の時代。現在の日本は平和である。
そう思わない人もいるかもしれない。
でも、少なくとも、戦時下から考えると確実に平和である。
でも、それを自分も含め当たり前だと思っている。
そう、これは怖いことかもしれない。
いま日本では、無関心の中に、法を変え戦争をできる状態にしようとする動きが見える。平和が当たり前のボクらは、これに気づけないでいる。
このこと自身が、危険なのではないかと思う。
平和は、当たり前ではない。
もう一度、心に刻みたい。