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映画「アデライン、100年の恋」を観て

2月10日、「アデライン、100年の恋」という映画を観た。
英題は「The Age of Adaline」。2015年のアメリカ映画で、リー・トランド・クリーガー監督の作品だ。

キャストは、アデライン・ボウマン/ジェニー・ラーソン役のブレイク・ライヴリー、ウィリアムハリソン・フォード、フレミング役のエレン・バースティンなどである。

あらすじは、

若く美しい女性アデラインは、交通事故と落雷による偶然が重なり、不老の体となってしまう。その事実を知られないようにするために、アデラインはたびたび、居住地を変え、名前を変える必要があった。当然のごとく、アデラインの恋は長続きすることがない。
サン・フランシスコに住みジェニーと名乗っているアデラインは、ニューイヤー・パーティでエリス・ジョーンズという青年と出会って、つき合い始める。ジェニーはエリスの両親の結婚記念日を祝うため、彼の実家を訪れるが、そこでエリスの父親ウィリアム・ジョーンズに会うと、彼は初対面のはずのジェニーを見た途端に驚きの表情を浮かべ、「アデライン」と呼びかける。偶然にも、ウィリアムは若い頃にアデラインに出会い、愛し合っていたのだった。ジェニーは、自分はアデラインの娘で、よく容姿がそっくりだと言われる、と言い繕う。だがウィリアムは、ジェニーの手に残る傷跡に気づき、それがかつてアデラインが怪我した時に自分が縫合したものだと確信する。
もうジョーンズ家には居られないと思い詰めたジェニーは、車に乗って去ろうとするが、途中で再び交通事故に合い、瀕死の状態に陥るのだった。

出典:Wikipedia

といった内容。

で、観終わっての感想。

歳をとらないことは、素晴らしいことではない

世間では、「歳をとらないことが素晴らしいこと」というような風潮がある。それは、実際には歳をとっているけれども、若く見えるということでの評価だと思う。
しかしである。この映画の主人公は、見かけだけでなく、実際に年を取らないというか、老いていかない。
こんな人は、実際には存在しないとは思う。
ではあるが、いわゆる「永遠の命」の美学の考えを、完全に塗り替えてくれる映画だった。
歳をとらないことは、決して素晴らしいことではない。
映画の中でも、自分の娘が自分を超えて、年老いてゆく。
それは、常に別れが連続してゆくことなのだ。
人を好きになることもできない。
歳をとらないことは、幸せではないと感じた。

運命のいたずらは、運命を戻す

さて、運命のいたずらで、若い時の事故から歳をとらなくなった主人公。
そんな主人公は、100歳に近い時期に、新たな恋に落ちる。
ところが、その相手の父親が、かつて自分と恋に落ち、彼からのプロポーズ直前で逃げてしまった相手だった。
まさに「運命のいたずら」としか言いようがない。
さらに、このことにより、運命は再びあの日の事故と同じようなシチュエーションが起きてしまう。
そして、そのことで、歳をとらない特別な能力は終わるのである。
主人公は、運命のいたずらに、しっかりと誘導されているのだった。

特別な能力は、国家も黙っていない恐怖

怖いのは、この歳をとらない能力を、FBIが嗅ぎつけ、彼女を拉致しようとしたことである。確か、ほかの映画で、特殊な能力を持つ人が、政府の闇の組織に追われるようなシーンがあった記憶がある。
つまり、特別な能力は、国家も黙っていないということだろう。
これは、恐ろしいことである。おそらく、彼女があのまま捕まっていたら、人体実験が行われたり、その先が恐ろしい。
それは、人権など存在しない世界であろう。

ラストシーンは、歳をとることへの喜びのシーン

映画のラストのシーンで、主人公が鏡を見て、髪の生え際に白髪を見つける。彼女は、それを見て何とも言えないような、嬉しい表情をする。それは、歳をとることへの喜びのシーンのように思えた。
ようやく主人公は、歳をとらないとらない世界から解放されたのである。
その喜びが、鑑賞者にまで伝わってくる。

この映画を観て、
人は歳をとるからこそ得る、大切なものがある。
そのように感じた。

永遠の命ほど、残酷なものはないのかもしれない。

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