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心折れてしまいたかったけど、心が折れなかった自分。


”働くとは、何だろう?”

社会人2年目になって、なんだか1年目より考えるようになりました。
でも考えてるけど、別に答えを見出そうともしていない。というより、答えを出すつもりもない。ただただ漠然と考えてる時間が増えました。


私ごとで恐縮ですが、2年目の上半期が終わった頃、ある省庁にペコペコしなければいけない仕事がようやく終わったのです。
なんで私が各部から色々矢面に立たされるんだろう?と、負の感情を抱えていた頃には、片足を突っ込んでいて、私がやるしかない状況になっていました。


”もしも、課内が超繁忙期ではなかったら、もっともっとその仕事に対する姿勢も変わっていたのかもしれない。”

”もしも、課長が変わっていなかったら、もっと良い解決方法があったのかもしれない。”

”もしも、上司が違ったら、私にアサインされなかったのかもしれない。”


せっかく終わったのに、解決したのに、、、なんで達成感が無いんだろう。
よりによって、色んな”たられば”な想いが交錯しています。


苦労話を語るのは、嫌なのですが、、

でも、なんだか、半年間、正直に言うと、しんどかったです。
思い返すと心をすり減らして、時にあまりにも大変で眠れない日々もありつつも、なんとかやり抜きました。


そんな上半期が終わって、私はカフェで、ボッーと働くことを振り返ってました。


なぜこんなに必死に働いてるのだろう?

>母親が職を転々として、なんとかお金を稼いでくれたのを見ていたからだろうか。

>父親からは、ことあるごとに、「あなたは男に頼ることなく、1人で稼げる人間になりなさい」、と言ってきたからだろうか。

>母親が、病院事務で働いている時、突然「30日後には来なくていいよ」と言われ、家に帰ってきて隣で泣いているのを見たからだろうか。

>母親が常に努力をして、資格を取ってくれた姿を私に見せてくれていたからだろうか。

>父親が、仕事を一時期休職しても、復職し働いたのを見たからだろうか。


働くということがどれだけ大変で、こんなにも家族のために、誰かのために必死にならなくてはいけない、ということを、幸いにも両親の背中から教わってきました。
変な話、「お金を稼ぐことは大切なのだ」と両親から言われて育ってきました。

だから私は、自分自身が独立した女性になれることを目的に、就職活動をしました。



「●●さんは凄いから、自走できるよ」「みんな余裕がない状況だから、〇〇さんしか頼りにできない。申し訳ないけどお願い」「他の仕事やらなくてもいいから、これ月内までによろしくね」

なんだか、とてもとっても胸が痛くなるチクチクした言葉を沢山かけられた気がします。


仕事の量に苦しんでいる人、早く帰れないことに苦しんでいる人、逆に残れないことに苦しんでいる人、家族サービスができないことに苦しんでいる人、質を保てない人に苦しんでいる人、大丈夫じゃないと言えない人、みんなそれぞれ苦しみはある。



私の苦しみはなんだろうか?

正直分からない。でも、ただただトゲがある言葉が苦しかった。なんだか痛くて癒えなかった。



たまたま、Twitterで、電通に勤めていた高橋まつりさんのお母さんが、今でも戦っている姿を見て、心が痛くなった。

彼女は、お母さんを楽にさせたいという気持ちで、電通に入社し、月100時間を超える残業をしていた。
彼女の足元にも及ばないけれども、なんだか胸が痛くなる。

私も結局は、良い意味でも悪い意味でも、自分のために、家族のために、働いている節がある。
なんだかそこに共感したのかな。そしてまつりさんの強い責任感にも共感した。


せっかく働くなら、嫌々労働をするのではなく、自分がいい仕事をするために、それにチームがイキイキと働ける環境で、進んで仕事をしたい。

他人を気遣い、手助けは申し出たいが、なぜか自分からは援助を求められなかった。

上司の要求も、多くの人が受け流したり、10のうち8で諦めたりしているのに、
私には最後までやろうとする責任感があり、やり抜く努力ができてしまい、ただ時にその責任感が自分を苦しめた。


そんな上半期を乗り越えて、今は少し気が楽になっている。
一皮剥けた気がする。
辛かった上半期をどこかに残しておきたかったから、ここに残しておく。


ガムシャラじゃなくて、良い意味で余白を持って、自分のことを大切にできる、そんな社会人になりたい。


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