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【ライターの仕事】復帰後の仕事がカタチになって、本当にうれしい。

土曜日、地下鉄に乗った時、吊り広告にふと目をやると、昨年末に取材、ライティングさせてもらった雑誌のものだった。

大阪メトロ四つ橋線にて
慌てて撮ったからピントがあまいな

自分が取材させてもらった方の顔を探す。
ちゃんとお二人いらっしゃった。
おおっ!と思い、周りを気にしながらもスマホで撮ってしまった。

記名入りではないが、やはりたまに商業誌をやると嬉しいものだな、と思う。

1月22日発売の3月号
2ページの記事で、
書ききれないほど充実した内容の
JR西日本の取り組みと展望を
語ってくださいました
素敵な社長さんでした!
研究者としての矜持を感じました。
お肌ピカピカ✨
こちらの化粧品使っています!

自分がこれまでにやってきた仕事の多くは、業界誌や社内報、企業に配布する行政のもの、WEBサイトなどで、書店にも置かれないし、あまり一般人の目に触れない。基本的に地味なのだ。
だから、たまに一般商業誌や新聞で書くと、私というより親が喜ぶ。「ちゃんと仕事してるんだな」とわかってもらえるので、こちらもありがたい。
(まあ、親からどれだけ信用がないんや……って話でもある)
LINEでさっきの吊り広告の写真を親に送ったら、早速「買いに行く!」と父が張り切っていたから、私はもらえるので1冊あげることにした。これもある種の親孝行かな、と思う。

親の世代(87歳です)なんて、「フリーランス」の「ライター」なんてものは、よくわかっていない。
ある時は「かおりのやってる仕事って、お笑い芸人みたいなものか?」と父に言われた。
人気が出ればいろいろ呼ばれて忙しく、人気がなくなれば(?)急に連休になる。確かにそういう一面はあるけど、ちょっと違うんだよな……。いや、だいぶん違うか(笑)。
「まあ、人気商売ですわ」と答えてはおいたが、芸(取材とライティング)だけで身を立てているという面では、芸人ともいえるのかもしれない。

夫のお義父さんはお義父さんで、これがまたお堅い銀行員だったから、結婚してからしばらくは「最近はこういう仕事やってます」と話すと、「仕事って、どうやって見つけてくるんや?」とよく聞いてきた。説明するのだが、「ほお、そういう働き方もあるんやな」と、あまりわかってないような表情のままで、無理やり自分を納得させているようだった。
個人で営業するとか、勝手に向こうから仕事がやってくるとか、組織に属さずに一人で仕事をするとか、頭では理解できても、実感としてはつかめないようだ。
組織で働くことしか知らない世代だから、そりゃそうなんだろうなと思う。

コロナ禍以降はリモートやWEB仕事で、家にいながら働くスタイルも増えてきたから、最近は「一般的なこと」と認識されたのか、会っても聞いてくることはなくなった。
確かに、私が若い頃でもフリーランスで仕事をするのは珍しいことだったから、お義父さんの世代なんてもっとそうだったのだろう。
それも、実績をつくってから独立するならまだしも、どこにも就職したこともない、組織に属したこともない、特に資格をとったり勉強したり、何かのコネがあったわけでもない。そんな人間が会社にも勤めず稼いで、結婚するまでは一人暮らしをしていたのだから、不思議だったのもうなずける。

何より大前提として、きちんと大学を卒業しているのに、なぜそんなよくわからない道を自ら選ぶのかが理解できなかったのだと思う。
ただ、この「理解できないことをしっかりやり遂げている」というその一点においては評価してくれているようで、お義母さんと一緒に「かおりさんは偉い」とよく言ってくれていた。

ありがたい話だが、そのたびに、偉いもんかいな……と、むしろ恥ずかしくなっていた。
中学生で尾崎豊にかぶれて、「ラッシュアワーの電車に乗りたくねぇ」「サラリーマンにはなりたかねぇ」とかつぶやいて、「死んでも豚には食いつくな」と息巻いて、「自由になりたくないかい?思うように生きたくはないかい?」と自問自答して、ボケでなく真剣に、組織に所属せずに生きていくことだけを考えて実行したなんて、とんでもない黒歴史である。
盗んだバイクで走ったり、夜の校舎を窓ガラス壊してまわったりしなかっただけマシだった。

話が支離滅裂になっているが、とりあえず親世代からは「よくわからない仕事をしている」と思われているので、目に見える商業誌や新聞の類は安心材料なのだ。

先週末、もう1件、昨年末に取材・ライティングした雑誌が届いた。
私のnoteではすでにおなじみ(?)の「酒蔵萬流」である。

「酒蔵萬流」43号(2025年1月発行)

私は昨年3月から治療のために休業し、11月に復帰。とりあえずこの号は1社だけ酒蔵を取材させてもらった。1記事だけとはいえ、めでたい復帰号であり、感慨深かった。もう二度とこの仕事には戻れないかと思ったこともあったのだから。

取材先は、奈良県にある奈良豊澤酒造。「豊祝」「無上盃」「貴仙寿」などの銘柄のお酒を造っている。
特徴は、早くから純米酒を造りはじめ、それもリーズナブルで毎日の晩酌にふさわしい「飲み飽きしない」食中酒をメインにしていること。
「1杯目がおいしいだけでなく、2杯目からもおいしいお酒を目指しています」という社長の言葉が印象的だった。
また、立ち飲みの直営店を大阪や奈良に4店舗経営しており、同蔵の日本酒を扱ってくれる居酒屋(姉妹店)まで何店舗も持っている。よって、飲み手と非常に距離の近い酒蔵で、「お客様目線での酒造り」を経営理念として掲げているのもそのためだ。

大手酒造メーカーはおいしい酒を大量生産する技術や販促方法があり、小さな酒蔵は小仕込みで1本ずつ丁寧に造り希少価値を上げる方法がある。
しかし、日本酒の消費量が減っている今、中堅の酒蔵の継続・発展が一番難しいのではないかと個人的には思ってきた。
だから、今回取材させていただいた奈良豊澤酒造さんのように、「自分たちでつくった酒を、自分たちで消費者に売る」というのは非常に良い手段で、中堅酒蔵のお手本というか、参考になることがたくさんあるのではないかと思った。そういう記事を目指したつもりでもある。

自分が書いた記事が、一人でも多くの人のお役に立ちますように。いつもそう祈りながら書いている。もちろん、今回も。

また引き続き、いろいろな業界のいろいろな職種の人たちに取材して話を聞きたい。それを書きたい。
取材したものがカタチになるとうれしいし、もっと書きたくなる。
ただ、体調が思うように回復しないので(停滞中)、これから仕事をどうしていくか、現在考え中だ。
それについては、また別の記事で。

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