『銀河英雄伝説』から『文明の生態史観』、からの文化人類学
ぎんかわひでおでんせつです。
嘘です。
ぎんがえいゆうでんせつです。
夢中になって読んでいたけど、
読んでいたのは高校生のころだったか、大学生だったか、
『銀河英雄伝説』をわたしが卒業したのはいつだっただろう、と思うと
ああ、そうか、あれだ。
民族が書けていない。
そう思ったときだ。
同盟と帝国の人間は、価値観、風俗、習慣といったものに大きな違いはなかった。アメリカとドイツを想定されているようにみえたが、その民族性(アフリカ系中国系etc)がふるまいに影響をおよぼしているようにはみえなかった(どっちがどっちに行ってもあんまり苦労してそうにない)。
目指すのは同じ公平と公正、その責任をどういうかたちで社会に埋め込むか、のみにテーマは絞られていたと思う。
どっちがいいのかな、と自分でも考えてみたことはあるが、専制といえば、一党独裁のお隣の国。永久凍土の某国。
それで手にとったのは『文明の生態史観』。
歴史というのはとても退屈な、永久につづくレイヤーを暗記するだけのもののように思っていたのだが、立体的に世界が力くらべをしているようにみえたのは初めてだった。
学校の歴史もこういうふうに教えてくれたら面白かったのになと思った。
そこで思ったのは、この場合の帝国だと、それが「帝国」であるためには、自分たちとは違う民族が必要だったんじゃないのかな、ということ。
歴史学科にいたとき、長城ができたから「中国」がうまれた、というようなことを聞いたことがあった。そういう地理的要因は、『銀河英雄伝説』にはなかった。あったのは外圧が専制を必要とした、というより腐敗が専制を見逃させた、のほうか(他山の石)。
するとこの帝国はモデルはやっぱりモゴモゴ…のほうになる…のか。
すると共産主義、社会主義の「帝国」は、ここにはないわけで、
そうなると世界観のスケールはけっこう小さめ、
地球教の扱いも、宗教ってこんなもんじゃないんじゃないんかと思っていたが、近年の騒動をみると、モゴ…がモデルなら地球教でジャストミーry。
『文明の生態史観』は初めて読んだときは発想の奇抜さに圧倒されたが、イスラム世界は実は中国にダイレクトに接してはいないだろうかとか、イスラム世界は乾燥地そのものなんじゃないだろうかとか、モンゴルとイスラム世界の違いは?とか今思うといろいろある。
天国(いけんのかな)についたらぜひアルコール抜きで梅棹氏と議論をさせていただけたらな、といまからそのときが楽しみなのである(あの世代は酒量がゴイス)。
わたしが大学の歴史学科で東洋史、かつそこにおける異民族史を選んだのは、いままで耳にしたことのないものを求めていたからだと思うのだが、
異民族の歴史専門の教授がおっしゃっておられたことでいまでも覚えていることがある。
「中国史で首都の位置をかえたのは全部遊牧民の王朝」
なんで漢民族は首都をかえられない民族だったのか、
遊牧民とは、どんなひとたちなのか。
中国を大きく動かした遊牧民として、モンゴル人についてはよく読んでいた。
これは、「世界の歴史」シリーズで唯一読む価値のある巻なんだと教授がおっしゃっておられたのはオフレコといわれたが、ずいぶんまえのことなので時効でよいかな教授。
青花とよばれる白地に青の陶器、それが世界が東西でむすばれたモンゴルという稀有な時代の産物だったとは思いもしなかった。うちにもふつうにあった白地に青の陶器。それを戸棚からだしてさわってみて、自分もまたこの歴史のうえにのっていることを知った。
モンゴル史については、そのころ行った教育実習(高校)で熱く語ってくることになった。
指導の先生(高校)が「何をやってもいい」とおっしゃったので、受験前の高校生たちに、受験で出題されるとはほぼ思えない、中央アジア史+モンゴル史+オスマン朝史という趣味全開の3コンボをかましてきた。
大学のゼミに戻ったら、ほかのゼミ生に「こっちは西洋史やれっていわれて泣きながらやったのに、そっちはなんだ」と噛みつかれた。
そこまでやってモンゴルの文化人類学的研究に向かわなかったのは、
モンゴルの文化人類学的調査をされている先生が、すでにおられたからというのもあるし、ウイグル族にはすでに出会ってしまっていたというのもある。
人のいないほうへ、
行こう。
ウイグルについてはそのころはあまり本をみつけていない。
卒論で楼蘭をやりたいといったゼミ生がいたが、先生は
「あそこに新しい資料はないぞ(論を書く余地がないぞ)」とおっしゃっておられた。そういう簡潔なものいいがおもしろいなぁといまでも思う。
わたしはウイグル族について資料をさがしていたが、でてくるのは数百年前の借金文書。閉口である。
あんなに面白い民族なのに(バックパック旅行をしていた)、あんなにおもしろいひとたちが今あそこにいるのに、なんで数百年前の借金文書であのひとたちのことを知らなければいけないのだ。だんだん人類学に傾いていたのがこのころである。
歴史学の先生がおっしゃっておられた。
「牧畜民は文字を残さない」
だからモンゴル史は、中国語の資料で読んでいるうちは、野蛮な民族の暴力(すごい暴力だったわけだが)がふきあれた時代があったとしか、理解されてこなかった。
それが、中国語以外の言語(ヨーロッパやロシアや中東や)の資料もつきあわせてよんでいくことで、それまでとはまったく違うモンゴルの姿がたちあらわれてくるようになった。
だけど、なんで文字を残さなかったの?
ウイグルもさぁ。
中国語の資料などはどっさりある。床を踏み抜くほどある。なんでモンゴルは、ウイグルは、床を踏み抜くほどの資料を残そうとはしなかったの?
このことは長いことわたしの頭のかたすみに残っていた。
わたしがいつか、できるならあきらかにしたいとおもっていたことのひとつだ。
そこにいるひとたちは、社会に興味がなかったんじゃないの?なんて
遅れてるあつかいをするような視点しかでてこないであろうなかで、わたしがいまみているものは、
ウイグルのイスラムの、
牧畜民の家畜名称の、
ほかの人と共通合意をつくってそれをもとにして社会をつくろう、という方向にまったくむかわないもうひとつの言語文化ともいうべき、それはそれで奥深い文化、につきあたっているところなのであり。それをみていると、学部のころの歴史学の先生にいまもの申したい!となる、ことがある。
床を踏み抜くほどの文字資料。
それとはちがうものをめざす「人」って、なに?
歴史的には長いこと中華の漢文世界にあこがれる立場だった日本。
その関係を通り越して
わたしは、
わたしも首都を動かしてみたい、
と思うようになってしまった。
わたしが感化されてしまったのは、帝国をおびやかす正体不明の暴風のほうだったのである。
小沼はたくさんあった。『銀河英雄伝説』も『文明の生態史観』もわたしのなかにいまもかわらず息づいている。
それらを包括して、今もハマって抜け出せない、到底出られるとは思えない人生最大級の大沼は、
それらの中心にあって空洞とされてきてしまっていた
京大で幾人もの研究者をとりこにしてきた、牧畜民の文化人類学的研究である。
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