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【読書】『日本でわたしも考えた』 ― インド人ジャーナリストが体感した、禅とトイレと温泉と。

 2016年から2020年まで東京に居を構えた、インド人ジャーナリストの4年間の日本滞在記。

 インドを代表する英字紙『ヒンドゥー』の元北京支局長である著者。
 EU代表部に勤める夫と2人の息子とともに初めて来日した彼女の目を通して見た日本の、おもしろいことといったら!

 世界各国に移り住み5ヵ国語を操る彼女の視点から見る日本は、世界の中でも際立って独特だ。
 
 この本は、すでに日本を後にし次の居住地スペインに移り住んでいる著者の、「日本語版への序文」として書かれたこんな言葉から始まる。

 日本からスペインに引っ越して一年になる。両国は多くの点で対極にある。スペイン人はあけっぴろげな性格で、おしゃべりな上に話し声も大きい。インド人にとっては、スペインはより「故郷」に近い存在に感じられるだろう。しかし、これ以上ないほど予測不可能な日々の中で、わたしはもう一つの故郷である日本を恋しく思っている。
 わたし以上に日本を懐かしんでいるのは子どもたちだ。9歳になったニコラスは、大きくなったら宇宙物理学者になってJAXAに勤めたいと言っている。長男のほうはと言えば、リタイアした後は軽井沢で暮らしたいそうだ。
 わたしたちはみな、東京で過ごした日々をこれからも忘れずにいることだろう。自分たちが今後どう変わっていっても、透明な着物をずっと羽織っているようなものかもしれない。

『日本でわたしも考えた』より

 この文章から伝わってくる日本への深い好意をベースにしつつも、彼女の鋭い考察は日本礼賛に留まらない。
 途中、日本人として耳の痛い個所や「それは違う」と異議を唱えたくなるくだりもあるけれど、それも含めてぞくぞくするような楽しい読書体験だった。

* * * *

 2016年に初めて日本に訪れた著者の様子がよくわかるこんな一節がある。

 引っ越してくるまで、わたしにとって日本は多くの点で、中国以上に不可解で実感の伴わない国だった。
(中略)
 日本についてわたしが知っていたのは、刀剣やウォークマンといった断片的で中途半端な情報でしかなかった。
(中略)
 東京では自動販売機で若い女性の使用済み下着を買えるという話を誰かが教えてくれたことがあった。村上春樹の小説は何冊も読んできたが、だからといって現地の事情を知るという点ではほとんど役に立たなかった。  
 2016年の夏に東京に引っ越すことになるとジュリオ(夫)から聞かされた時点で、わたしが日本関連で知っている文化方面の知識は全体でもこの程度でしかなかった。

『日本でわたしも考えた』より

 わたしは学生時代から東京各所に住んで25年になるけれど、女性の使用済み下着が買える自動販売機など一度も見たことがないし、刀剣やウォークマンに至っては現代の日本を象徴するものからはあまりにもほど遠い。

 つまり著者は、現代の日本についてはほとんど何も知らない状態で来日した、ということになる。
 そしてこの状態から、彼女はその聡明さと好奇心と鋭い観察眼で、日本について深く知っていくことになる。

 来日したばかりの彼女の目に映る日本は、例えばこんな風だ。

 東京に着いてまだ二日目というタイミングで、六歳くらいの小さな子どもが自分の身体と同じくらいの大きさのランドセルを背負って、人通りの多い通りを一人で歩いているのを見た。わたしは男の子が何かの理由で親とはぐれて迷子になってしまったと思い、ならばもちろん助けてあげなくてはと走り出した。ところが、わたしが追いつく前に男の子はポケットからメトロの定期券を取り出し、不安などない元気な様子で、東京で最大級の地下鉄駅へと消えていった。
 小学生がバスに乗り込み、地下鉄で乗り換えをし、大通りを歩いていく  ―  何人かと一緒というときもあるが、多くの場合は一人で  ―  という通学風景がわたしにとって当たり前のものになるには数か月かかった。これまで住んだ大都市ではどこでも(ニューデリー、ロンドン、ロサンゼルス、北京、ジャカルタ)、そんなことは考えられなかった。しかし日本では、清潔な公衆トイレと並んで特段珍しいことではないのだ。
(中略)
 日本の子どもたちがこれほど単独で行動するのを可能ならしめている最大の要素は、大都市ではなく村の文化を思わせる、コミュニティに対する共通の信頼だろう。このテーマについて調べていく中で、『アトランティック』誌に掲載された記事を見つけた。そこでは、文化人類学者のドウェイン・ディクソンによる次の発言が引用されていた。「(日本の)子どもは、コミュニティのメンバーに対して何かを頼んだり助けてくれるようお願いしたりしてもいということを小さい頃から学ぶのである」

『日本でわたしも考えた』より

 通学ひとつとっても、日本の「当たり前」は著者の目にはこのように新鮮に映る。
 そして彼女はその驚きをその場限りのものとせず、持ち前のジャーナリズムを発揮して、ひとつひとつ調べ、掘り下げていく。

 ちなみに彼女は、滞日生活二年を経てようやく自分の息子に一人で通学する許可を出す。
 そのときの気持ちを、彼女はこう語る。

「もしインドネシア時代の自分がこのシナリオについて説明を受けたとしたら、人口3000万の大都市を子どもたちだけで移動することよりも、翼が生えて家まで飛んで帰ってくるといわれた方が現実味を感じたことだろう。『事実は小説より奇なり』 ― 日本での生活ではそう感じることが多かった」。

* * * *

 日本の生活習慣や言語に留まらず、俳句や金継ぎなどの伝統文化、政治・社会問題、落し物が返ってくる社会(大都市で落とした財布が返ってくるという「奇跡的な」体験をした著者の冒険譚と考察はとても面白かった)、外国人への恐怖心(英語でコミュニケーションを取ることへの過剰なまでの苦手意識)、ウォシュレットや温泉などなど、日本についての発見と彼女ならではの視点からの洞察が詰まった本書。
 聡明な彼女の「日本発見」の旅に同行するのはとてもとても面白く、通学についてのくだりのみならず引用・紹介したい箇所がそれこそ山ほどあるのだけれど、内容が濃すぎてとても書ききれない。
 ぜひ手に取って読んでみていただきたい、おすすめの一冊です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どうぞ素敵な読書体験を!

※書影は版元ドットコム様よりお借りしています。


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