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ランボー『Sensation/サンサスィヨン』を訳してみました|フランス詩🇫🇷

『サンサスィヨン』
 ─アルチュール・ランボー

青き夏宵のさなかに
小径こみちを行こう
麦の穂につつかれ
細い草を踏みしだきながら

夢見がちに
みずみずしい夏を
足もとに感じつつ

剥き出しの髪を
風のなぶるがままにして


ものも言わず
考えもしない

けれど無限の愛が
魂へとこみ上げてくる

遠くへ行こう
ただ 遠くへ
さすらいびとのように

自然の中を
女でも連れたみたいに
幸せに満たされて

(1870年3月)


辞書によると、「春蒔き小麦」のことを、"blé de mars" (3月の小麦)と呼ぶそうなので、ちょうど麦蒔きの頃に書かれた詩なのですね。


🇫🇷 フランス語の原詩

SENSATION
 ─Jean Nicolas Arthur Rimbaud


Par les soirs bleus d'été j'irai dans les sentiers,
Picoté par les blés, fouler l'herbe menue:
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds,
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.

Je ne parlerai pas, je ne penserai rien.
Mais l'amour infini me montera dans l'âme;
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la Nature,---heureux comme avec une femme.

Mars 1870


🇫🇷 ランボーについて

アルチュール・ランボー(1854-1891)は、当時のフランス詩だけでなく、広くまた遠くはるかに、現代の詩にまでつながる道筋をつくったと言われています。
15歳で詩を書き始め、わずか20歳で筆を捨て、世界のあちこちを放浪。軍隊や商業に身を投じ、病を得て37歳で没するという、荒々しい生涯を送った"早熟の天才"です。

既存の因習や秩序、既成概念に挑戦した革命の詩人でもありましたが、むしろ詩を詩として突き詰める、原理主義的なまなざしを持った人なのではないかと感じています。

友人宛に書き送り、のちに『見者の手紙/Lettres du voyant』と呼ばれるようになった詩論(1871)の中で、彼はこのように述べています。

「詩人は、あらゆる感覚の、長く限りない合理的な錯乱によって、見者となる」
« Le Poète se fait voyant par un long, immense et raisonné dérèglement de tous les sens. »

「私は一人の他者である」
« Je est un autre. »

歌人の穂村弘さんが、現代短歌のことを「名前のなかったもの(現象、事柄)に名前をつける」作業と述べておられました。
それはちょうど、かつてランボーが、『母音』の詩(↓)によって、言葉の音そのものに光を当てて根本から見つめ直し、『サンサスィヨン』によって、「夏の宵」というものを鮮やかに浮かび上がらせ、新たな名を与えたのと、同じ種類のことなのかもしれません。

そうやって詩人たちが名指し、つくり上げた世界の(認識の)基盤。ふだん意識することはなくとも、文化のなかに(あるいは文化よりも深い基底に)確かに息づいていると、私は思っています。

それは、詩を読む習慣のないひとも含めて、皆がひそかに、豊かに共有しているもの、なのではないでしょうか。

そう思うと、詩人たちの詩のひとつひとつが、大切な友人や家族の手記のようにも思えてきます。

《参考》『母音』Voyelles(冒頭)

アは黒、エは白、イは赤、ウは緑、オは青。母音たちよ、
私はいつの日か、あなたたちの隠された誕生について語ろう。


A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu, voyelles,
Je dirai quelque jour vos naissances latentes.


🇫🇷 訳してみて思ったこと


まず、タイトルの sensation に悩みました。
それが、かの中原中也氏が「感動」と訳しておられましてね...。
中也先輩に「ぼくは《感動》がいいと思う」と、灯りをともされてしまったら、後輩の私たちに、何が言えるでしょうか…。
中也先輩は、そのままふらりと浜辺に向かい、ひとり月夜のボタンを拾っておられるわけですから...。

でもね、この詩の入り口として「感動」という語を冠するのは、ちょっと違うと思うのです。「感動」という言葉を目にしたときの、心が少し高揚し、反応しやすくなる状態(化学に、"励起状態"という便利な言葉があります)で読み始めるような詩ではないと思うの。

もっとさりげなく、五感を澄ませて息を吐き、静かに歩み出すような詩だと思うのです。「感動」するのは、読んだあとのこと。

"sensation"には、「感覚(作用)、知覚」、「(生理的な)感じ、印象、気持ち」「驚嘆、センセーション、衝撃」の意味があります。

似た言葉"sens" は、「感覚、知覚(機能)」「勘、センス」「【古】思慮、分別」「意味」「価値」。

麦の穂のちくちくする感じ、髪を梳いて吹き抜ける風―「感じ」が一番良いけれど、タイトルには不向き。「感覚」あるいは「サンサスィヨン」あたりにしておきましょうか。

"un bohémien"ですが、bが小文字なので、ジプシーの意味ととり、不定冠詞 un のニュアンスから「あるひとりの(名もなき)ジプシー」→「さすらいびと」としました。

最後の"une femme" も悩ましくて...。
「女」と「恋人」で迷ったのです。ランボーの破天荒な生涯を思うと「女」、でも16歳前後の青年ならば「恋人」なのかもしれず...。
ですが、ロベール仏和大辞典には「愛人」はあっても「恋人」はないのです。辞書は単語の感覚まで忠実に移し替えているものですので、編纂者が省略したとは考えにくい「恋人」は、ニュアンスとして不適当ということなのでしょうね。

あと、訳していて愉しかったのは、日本語だと語り手(私/ぼく/俺)を明示しなくても訳せてしまうところ、でした。


🇫🇷 朗読&ショートフィルム


Google 検索で、冒頭の3語を入れるとヒットするほど愛されている詩だけあって、動画の数も多め。
ナチュラル系、憂愁系、そしてフランス人シンガーソングライターによる歌(!)を見つけたので、ご紹介します。

「詩が好きで好きで、つい朗読しちゃった」みたいな愛好家に出会えるので、YouTubeがなんとも楽しいです♪


タイトル画像は Pexels様@pixabay です。淡い黄金色の写真でしたが、あえて(青でもなく)無彩色系になるよう、色を抜きました。


#ランボー #アルチュールランボー
#詩 #フランス文学
#フランス語 #フランス

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星の汀 / ほしのみぎわ
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