「オディロン・ルドン―光の夢、影の輝き」展覧会レポート|ひろしま美術館
象徴派の画家と目され、その謎めいた幻視を描き続けたフランスの画家、オディロン・ルドン。
画業の前半を彩った、あまりにも豊かなモノクロームの次元、また後半に開花した光と波の干渉しあう色彩空間──たっぷりと夢の中を逍遥することのできる展覧会でした。
ルドンの版画、木炭画、パステル画、油彩画など、岐阜県美術館のコレクションを中心に、画業の全容を紹介する巡回展。
展示室は第1から第3に分かれています。広島会場では、《プロローグ〜ルドンと日本》と題する第1展示室で、モノクロとカラー、それぞれの世界に軽く触れたあと、地下に降りていく構成。
この、地下で見るルドンというのは身体感覚としてなかなかよいもので、特にモノクロームの微視的な幻視ワールドをひとつひとつ訪れ、額縁という窓を通してルドンの無意識にダイブしていく時間は、とても濃密でスリリングでした。
💎 オディロン・ルドンについて
オディロン・ルドン/Odilon Redon
(1840-1916)
本名ベルトラン=ジャン・ルドン。ボルドー生まれ。ボルドーおよびその近郊で、病弱な少年時代を過ごす。建築家になることを望まれながら画家を志し、ボルドーやパリで修業。アンリ・ファンタン=ラトゥール、ゴヤ、ドラクロワ、ロドルフ・ブレスダンらの影響を受ける。印象派の画家たちとほぼ同時代ながら、独自の世界を構築。科学、音楽、キリスト教、文学などと交差する思索をもとに、内省と幻想を追い続けました。
代表作:「夢の中で」(版画集)、「キュクロプス」、「目を閉じて」
💎 黙想する光と影
19世紀後半のフランスといえば、科学技術の発展や流入も進んでいた頃。
17歳の頃、のちに長い友人となった12歳年上の植物学者アルマン・クラヴォー(1828-90)から科学や文学の手ほどきを受けたルドンは、顕微鏡を覗き込んで植物に魅了されます。
同じ頃、故郷ボルドーとパリを行き来しており、シャルル・ボードレール(1821-67)の『悪の華』を読んで影響を受けたそうです。この1857年という年はちょうど『悪の華』初版が発行された年に当たります。そのあとで有名な「悪の華裁判」へとつながっていく同時代に、偶然パリに出入りしていたというわけで、私などから見るとうらやましい限りです・・・。
その『悪の華』より1点。
もとの詩は「サタンへの連祷」/ "Les Litanies de Satan" 。ルドンがタイトルに冠したのは、最後の連からの2行でした。
長い詩なので要約しておきます。──かつての天界ナンバー2だった堕天使を、栄光と挫折と悲嘆を知る"もうひとりの神"と呼び、常に真・善・美でいることができない人間の慰め手とみなして、祈りまた呼びかける・・・という内容。人間の苦悩や不条理を謳い上げた、なかなかに鮮烈な詩です。
画像では伝わりそうにありませんが、このサタン(≒人間)の表情に深みがあって、憐れみを乞うまなざしながらも憧れに満ちて気高く、独特の透明感がありました。哀しみほど澄んだ感情は、ほかにないのかもしれません。
ルドンのリトグラフには、こういった複雑な要素の混在する、なかなか魅力的な人物像がたくさん見受けられます。モノクロームとは思えないほど、能弁で豊かな《闇》の世界。
さて。ボードレールは、アメリカの小説家・詩人であるエドガー・アラン・ポー(1809-49)を翻訳し、フランスに紹介(1846年頃〜)した人物でもありました。
ですので、ルドンはおそらくボードレールの翻訳によってポーを知ったと推察されます。インスピレーションを得て連作リトグラフを描いています。
有名なのがこちら。
こうやって見ると奇妙でおどろおどろしいのですが、実物を目の当たりにし、ルドンの無意識にチューニングを合わせたあとでは、不思議に違和感がありません。当時のカトリシズムによれぱ、《目は神が創り給うた最も完璧な器官である》と考えられていたそうで、その眼球がひたすら空を見上げて天に昇ろうとしている様は、天界や幻想世界への飽くなき憧れと探求を示しているようで、胸を打つものがありました。
のちにフランスの象徴派詩人ランボー(1854-91)が、voyant/見者(普通の人には不可知な世界を探る詩人のこと←ロベール仏和大辞典)という概念を生み出しましたが(1871年)、この潮流はポー→ボードレール→マラルメ/ユイスマンスといった無意識界(≒デカダン)の星たちが歩んだ道であり、その道の真ん中にルドンもまた居たのだなあ・・・と、感慨深いものがありました。
なお、ルドンの《ノワール》と呼ばれる悪夢系イマージュを世に知らしめたのが、頽廃派の騎手ユイスマンス(1848-1907)。象徴派のバイブルとも呼ばれる代表作『さかしま』において、主人公デ・ゼッサントが暮らしている部屋の壁は、幻想的かつ怪奇趣味の絵画で埋め尽くされています。ギュスターヴ・モロー、ヤン・ルイケン、ブレスダンとならんで、ルドンも仔細に語られます。
ルドンの絵について、こんなにも不気味で奇怪でおぞましい・・・と言葉を尽くして力説すればするほど、「でも、そこが大好き♡」という熱量が伝わってくるので、読んでいてクスッと笑えてしまいます。
💎 モノクロームから色彩へ
ルドンがモノクロームの世界から抜け出し、coloriste(色彩画家)と呼ばれるまでになった理由。最愛の妻、かわいらしい息子との心安まる日々の影響とも言われます。ですが、長男を生後半年で亡くし、若き日からの畏友であったアルマン・クラヴォーが自殺するなど、悲劇にも遭遇しています。
おそらく、単一の要因ではなく、様々な出会いや出来事が積み重なっていった結果なのでしょう。
まずは、「絵画そのものの制約」から話を始めてみます。
画面にはじめから光を描くことはできず、ただ黒によって残りの白を対比で浮かび上がらせることしかできません。
先に影があり、そこから光が生まれる、という順番です。
ルドンはまず、孤独な少年時代を通して自然と親しみました。その自然からの贈り物である木炭を手にします。無意識から生み出された黒い「面」とグラデーションを用いて、モノクロームを描きました。リトグラフを習得したことにより、緻密な「線」を獲得、積極的に用いて「暗闇」の解像度をどんどん上げていきます。
やがて、影と光を、そして闇の世界を充分に描き尽くしたあと、闇との対比ではない「光」そのものに、直接触れることができるようになったのではないか・・・というのが、私の個人的な感覚です。
天地創造が進むにつれ、世界に色彩が溢れだすように──ルドンの世界もまた、長い創造の時を経て、光と色彩を獲得していったのではないでしょうか。
それは、ユイスマンスが頽廃からカトリシズムへふっと移行したような、「成熟」とも「奇蹟」とも呼べる類いの事柄なのかもしれません。
色彩との邂逅に寄与した、もうひとつの要因と思われるもの。
ルドン自身が友人宛書簡で述べているように(↓)、社会の発展に伴う新しい技術に引き寄せられて・・・というところも大きかったのではと思われます。
若き日に出会った顕微鏡、飛行船、ダーウィンの進化論、パスツール。それらがルドンの世界をそっと変えていったように、時代が差し出すものに囲まれて生きざるを得ないのが人の世の常。
ルドンの油絵の彩度がとても高いのも、ダ・ヴィンチやラファエロの時代では叶わなかった絵の具の工業化の恩恵です。
そういえば、理論科学がとりわけ顕著ですが、科学が使うことばやものさしは、(幻想がそうであるように、)日常からは何かしら隔たっているものだったりしますよね。(近年でいうと量子力学とか?)
ルドンが惹かれたもののなかに科学技術が含まれていたのも、そういった「現実の、その奥」への、透徹したまなざしゆえだったのかもしれません。
💎 そして空へ
ルドンが好んだモチーフのひとつ、ペガサス。長い間、大地や人につながれた姿でしか描けなかった天馬を、最後にはこのように、空へと自由に羽ばたく姿で描くことができました。
芸術家たちがあと二、三百年生きられたら、どこまで歩んでいったのでしょうね・・・
💎 展覧会概要
ひろしま美術館
「オディロン・ルドン―光の夢、影の輝き」
2025年1月11日(土) ~ 3月23日(日) 会期中無休
9:00~17:00(入館は16:30まで)
💎 展覧会コラボメニュー〜カフェ・ジャルダン&こぼれ話
展覧会のあとは、併設のカフェ・ジャルダンへ。
ルドンの出身地ボルドーにちなんだメニューでした。
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展覧会が始まったことを知り、矢も楯もたまらず駆けつけた私。想像以上に手応えがあり、すっかりのめり込んで見ていたら、半分強を見終えたあたりで息切れが・・・どうやら200点を超えるようです。そこで、後半も一応は見たものの、再訪してきちんと鑑賞することにしました。めずらしく図録を買い込んで帰宅、念入りに鑑賞しておりました。
すると、《悪の華》が9作品も、ずらっと並んでいるではありませんか。会場では1点しか見ていません。(私のことだから見逃した・・・?)(思わず翻訳しちゃうほど好きなのに、片思いってコトかしら・・・?) 気になって仕方がないので翌々日に再訪。でもやっぱり1点しか見当たりません。
遅ればせながら手に入れた展示作品リストには2点掲載されているので、展示室のスタッフさま(椅子に座っている人ね)に思い切って訊ねてみました。別の展示室の可能性もあるから・・・と、なんだかんだ複数のスタッフが集まり、みんなで《悪の華》探しが始まります。「《悪の華》だから、花瓶の花のコーナーかも?」などとひそひそ作戦会議をされています。《悪の華》という単語が飛び交うのが妙に心地良く(笑)、お手を煩わせているのが申し訳ないながらも、ちょっとうれしくなりました。見れるものなら是非拝みたいですし・・・。
けれど結局見当たらず、チケット売り場の方から担当学芸員さんに確認していただくことに。
どうもリストの掲載間違いだったようで、広島会場では1点のみ。汐留美術館ではもう1点展示されるとのこと(もっと多いのかもしれません)。残念ではありましたが、詳細が分かってすっきりしました。なお、汐留美術館での総展示数は110ほどなので、たくさん見られるのは広島会場のようです。
続けて展示を鑑賞していると、出会うスタッフさんが、ご丁寧にお詫びの言葉を述べて下さいます。そして、「先日も来られましたよね。2回目ですよね」と何人かの方に看破されてしまいました。《三日にあげず》通うこととなり、恥ずかしいので上から下まで(コートまで)装いを変えて、変装?していったのも効果なしだったようです・・・。また何度か見に行きたいのですが、どうしたものか・・・。
(気にしなくてもいいのでしょうけど・・・)
ともあれ、学芸員さんが悩んだ末に選び抜いた1枚を見ることができて(そのことに気づかせていただいて)素敵な経験となりました。
こちらのマガジンに、ボードレール、マラルメ、ランボーについての記事を収めています。ご興味があれば覗いてみてくださいね。