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名前に込めた気持ち
ちゅうよう 【中庸】
①儒教の徳目。中は偏らず、庸は平常で、偏らず常に変わらないこと。不偏不倚で過ぎたると及ばざるとのないこと。②(mesotes ギリシア)アリストテレスの徳論の中心概念。過大と過小の両極の正しい中間を知見で見定めることで、それにより徳として卓越すること。
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私のペンネームの話である。
mesotes (メソテス)は、上記の通り、中庸という意味だ。
告白すると、哲学のことや儒教のことはよくわからない。
ただ、自分が病気になったとき東洋医学に出会い、この考え方に通ずるものを学んだ。
自然界も人間の体も、ある一定の幅を持って「ゆらぐ」ものである。
現代医学はどちらかというと、ビシッと「ここからが正常でここからが異常!」「だから一点に定めて揺らがないように同じ状態をキープすることが大事!」というようにピンポイントでターゲットを定め、動かないようにする状態を望ましい状態と捉える向きがあるように思う。
その考え方で救われる病や症状もあるけれど、人間やそれを含めた自然界は、ある一定の範囲で変わり続けていくものだ、という考え方のほうが、いろんな現象を説明しやすく受け入れやすい。
でもそんなに揺れ動かれては、変化に人間が振り回されてしまう。
だから、一定の幅以上に行きすぎたり、逆に機能が幅を超えて低下しすぎたら、それを元の幅に戻してやれるように心と身体を調節してやる。
動きながらも自分の心地よい幅や場所やあり方を見つける。
それが人間本来の姿なのではないか?と。
私もぐわんぐわんに揺れ動いたり
あるいはストイックに行きすぎたり、行かなすぎたりすることが多い。
noteを書いて自分の考えや気持ちを言葉にしていく過程で、自分の中の心地よい幅、場所=中庸が見つけられたら、という思いを込めて、メソテスという名前にした。
さらにメソテスという言葉の中にme=私という言葉を見つけた。
世間的な普遍的な中庸という状態を見つけたいわけではなく、「私の思う」「私が心地よいと感じる」中庸という場所を見つけたい。
そんなことからmesotes→Me'sotes にしたというわけだ。
おかげさまで、こんな私のnoteを見て、読んでくださる方がいるので、私の頭の中に通りすがる独り言や他愛もない考えが形を帯びてくる。
まだまだ中庸という状態に到達はできていないけれど、地道に私の頭や心の中身をこのnoteに吐き出させてもらって、形作っていきたいと思う。
...余談だが、目で見て文字でMe'sotesというのは良いかもしれないが、実際もし音声配信とかで口頭で名前をなのらねばならない時はちょっとカッコ悪いような気もしている。
音声配信の予定は無いのだけれど、密に交流させてもらってるnoterさんとはいつか対話したいなぁなんて思う日々である。
いかがでしょうか、皆さま。
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