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新たな医療の形
ふと図書館でタイトルが気になって手にしたこの本。
僻地医療などを経験し、今は東京都内で開業されている医師が書かれた本。
科学的根拠に基づく医療 エビデンス・ベイスド・メディスンを日頃の診療で実践しておられる方らしい。
今の医療のあり方、人々が自分の健康維持や病気の治療に対して医療に寄せる期待の“過剰な”大きさに警鐘を鳴らすべく、最初はちょっと過激な内容で極端なものの言い回しをされる方なのではないかと思いながら読んでいた。実際に強めの言い回しをされていて、そうすることで凝り固まった現代日本人の価値観を、一旦崩してやる必要があったためではないかと思われる。
しかし、読んでみると、科学や医学が発展し、長寿を全うすることができる現代の日本において、どのように考え方をシフトチェンジしたらより幸せな人生を送ることができるのかという提言のような内容であった。
皆さんもご存知の通り、現代の日本人は世界の中でもトップクラスの長寿国である。
長生きをすることこそが善であり、なんらかの病気に罹った折には、徹底的に医学の力を借りて、より長く生きられるようにすることが標準的な考え方や価値観となっている。
しかし、一方で日本人の高齢者に幸せを感じている方が少ないのだという。
昔よりも治る病気、抑えられる症状も増え、長生きできるようになったのになぜなのか。
ここからこの本は始まっている。
ぜひ読みたいという方はここでそっとこのnoteを閉じていただきたい。
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要旨としてはこうだ。
確かに寿命は延びたが、科学や医学が発展した現代においても不死身というわけにはいかず、人はどう頑張ってもいずれは亡くなってしまう。
昔なら生存曲線がゆるゆると右肩下がりになっていったものが、現代ではある程度の高齢者までは生存曲線が横ばいで、ある年齢からは急にストンと生存曲線が下向きになり、つまりは亡くなる率が高くなり、結果として全員が亡くなってしまう。
ここで薬や医療行為などの医療介入を施しても、その生存曲線の減少カーブの角度がよりもっと急峻になるだけである。
血圧が高い方がちょっぴり塩辛いものが食べたいなぁと思う食欲と、
血圧を下げて脳出血の発生を抑えて元気に過ごしたいなぁと思う健康欲、
長生きしたいなぁと思う生存欲、
あるいは
糖尿病の方が、たまにはコッテリ、あま〜いものが鱈腹食べたいなぁと思う食欲と、
血糖を下げて合併症の発生を抑えて過ごしたいなぁと思う健康欲、
長生きしたいなぁと思う生存欲、
これらの欲は、どれもが等価なものであり、どれかが良い悪いという優劣は本来ならばつけ難いものではないか。
我慢して我慢して、少し寿命が延びたとしても、亡くなる間際に、
「あぁ、もっと美味しい料理を鱈腹食べたかったなぁ」と後悔するならば、
多少早くに寿命に到達してしまったとしても、たまには美味しいご馳走をたくさん食べることがあってもいいのではないか。
著者は、前者を「死なないための医療」、後者を「死ぬための医療」と名付けていた。
「死ぬための医療」と書くと、あたかも人を亡くならせるための、とも捉えられかねないがそうではなく、一例として挙げるならば、いわゆる末期癌の患者さんの緩和ケアに該当する考え方である。
癌にどれだけアタックして癌細胞を消滅させるかではなく、いかに余生を痛みがなく過ごせるか、という医療のあり方である。
そういう緩和ケア的な医療の考え方も、癌の患者さんに限らず、あらゆる病気の高齢者に対する医療に、選択肢としてあってもいいのではないか。
今の医療で寿命が延びても高齢者の方の幸せが増えないのであれば、現状の医療のあり方では限界がきており、新たな医療へとシフトチェンジしていく必要がないだろうか。
...と、こういう内容である。
著者は決して医療不要論を唱えているわけではない。
ただ、医療を徹底的に利用するという選択肢と同じように、それを選ばないという価値観も大切にされるべきで、医療は絶対必要!いや、医療なんて受けなくていい!という極端な論、つまりは「単純化」をしても何も生まないし意味はないと述べている。
***
テレビやラジオでも、CMといえば健康食品ばかり。
書籍でも、「◯◯は体に良い、悪い」「〇〇は治療しないほうがいい」「〇〇はこれを飲めば治る」という、人々の健康に対する興味関心の高さにあやかったものが多い。
そしてこれは子育て中の母親、特にまだ子どもが赤ちゃんや幼児などの場合に多く出会うものであるが、
◆自然育児
◆薬を使わない子育て
◆アロマやハーブ、ホメオパシーで病気や不調を治す
◆西洋医学の薬は毒
といった極端に振り切った情報を売りにして商売をしているケースだ。
これらの事例は以前にnoteに書いた→両極端は分かりやすい 「物事は良いだけ悪いだけのことはなく、両極端に振り切れたような断定的なものの考え方は、そのもの自体を正確に表しているとは言い難い」にも繋がる。
断定されるとわかりやすいし、明確に目指すものがわかれば、安心もする。
でもそれは、著者の言葉を借りれば「物事の単純化」をしているに過ぎない。
治療しなくていい、あるいはその真逆である、どんどん薬を増やして生活習慣もきっちり管理して厳格に守っていく、の二者択一ではない、ということだ。
高齢社会となった昨今、医療の施し方、受け方を今一度考えてみる必要がありそうだ。
***
私の祖父祖母はもう全員が他界してしまい、残るは主人の祖母のみだ。
今はとても元気で、少し耳が遠いのと膝が痛いくらいで特段大きな病気を患っているわけではない。
だから、つい我々も「いつまでも元気で長生きしてね。」というし、本人も長生きすることに生き甲斐を感じている様子である。
でもこれも、この本に照らしてみれば必ずしも善いことではない。
また日頃私が薬局で服薬指導を行う時も、
「血糖値が少し高めですね。甘いものお好きでしょうが、少し控えたほうがいいですね」
などと話してしまうのだが、それも高齢者の患者さんに関して言えば正しい服薬指導とは言えないのかもしれない。
ただ、医師にも薬剤師にも、責任というものがある。
それは、施すべき医療を行い確認すべき事項を確認しなければ、責任を問われるというものだ。
医療訴訟がその例だ。
たとえば、癌の患者さんに適切な治療を施さなかった、など。
患者さん自身も、「病気イコール薬を服薬、手術」というのが当たり前で、それを選ばないということ、あるいは、選ばないことを促すことは、医療倫理に反するという考えだ。
そういう暗黙の了解があるから、自然と普段接する患者さんには、「死なないための医療」を前提として服薬指導をし、薬をお渡しすることになる。
中には、「もうどうせすぐ死ぬんだからさ、食べたいもん食べて死にたいよねぇ。」なんておっしゃる方もいる。まさに、「生存欲」「健康欲」よりも「食欲」に重きを置いている方と言える。
現行の医療においては、そういう患者さんは「ダメな人」「服薬アドヒアランスが不良の人」というカテゴライズをされてしまう。
我々も今の医療の現場、世間の価値観の中においては、表立って、「そうですね、たべたいですよね。どんどん好きなもの食べましょう!」とも言えないのである。
その点がジレンマである。
自分が今後歳を重ねていくにつれて罹ることが増えるであろう病気の折に、周りの家族や主治医の強い医療介入の勧めに、自分が納得できずに他の道を考えた時にちゃんとNOと言えるだろうか。
また医療従事者として、健康欲ではなく別の欲を優先させてより良く幸せに生きたいと思う患者さんに対して、YESと堂々と言えるだろうか。
自分だけが意気込んでいても、結局周りの認識がどうかによって、意志が貫けないのではないか。
生き方だけでなく、死ぬことの受け入れ方というものも、この長寿社会においては必要だという提言であったように私はこの本から受け止めた。
急に世間や医療業界の状況、価値観は変わるわけではないし、医学界の権力によって、あるいは製薬メーカーの力によって、手術などの医療行為を積極的に行い、また薬もどんどん投与していくという現状はなかなか変えられるものではないのかもしれない。
でもたった一度きりの人生だ。
生き方も死への向かい方も、自分が選べる範疇のことであればしっかり考えていくべきなのかもしれない。
また医療従事者としても、今行っている患者さんへの関与の仕方を今一度考える良いきっかけになったと思っている。
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