
まだ、答えは出ない。映画『どうすればよかったか?』
※若干のネタバレあり、未視聴の方はご注意ください
1月31日17時45分、私は茨城県那珂市にあるミニシアター・あまや座にいた。
この日で公開終了となる映画『どうすればよかったか?』を観るためだ。
定員が30名ほどの小さなシアターは満員だ。私が座った一番後ろの列からでも、スクリーンは十分に近かった。
上映前、スタッフの方による映画の簡単な説明がある。会場が暗くなると、「上映中の注意事項」の映像が流れる。これが、あまや座オリジナルなのがすごい。スタッフと思しき方が出演していたり、人形を動かしていたりと手作り感満載だ。面白い。
そして、映画が始まる。
冒頭から、ひとりの女性のヒステリックな声がシアターいっぱいに響いて衝撃を受ける。この音声は一体なんなのだろう。そう思っているうちに、あっという間に映画に引き込まれた。
*********
タイトルの問いに答えるならば「1分1秒でも早く医療機関につながるべきだった」としか言えない。なぜ、両親はそれをしなかったのか。
両親は、研究者として働いていた優秀な人たちだった。家も大きく調度品も高級感のあるものばかりで裕福そうな印象だ。そんな順風満帆な人生を歩んでいた両親にとって、娘の統合失調症(分裂病)は到底受け入れられなかったのではないだろうか。きっと、晴天の霹靂どころの話ではなかった。
もしかしたら、順調だった自分たちの人生に傷をつけられたような気持ちになったのかもしれない。特に母親は、理系の女性の研究者なんて少ない時代だったろうし、ものすごく努力してその立場を手に入れたのだろう。だとしたら、その栄光を傷つけられたくないと思うのも無理はない。もしかしたら子育てでその立場を捨てざるを得なかったのかもしれないし、そんなふうにして育てた子どもが精神病になったことで人生を否定されたような気持ちになったことも考えられる。自分の子育てが悪かったのかもしれないと、自分を責めた日もあったかもしれない。その辛さをを受け入れたくなくて、現実から目を背けた。
娘の病気を受け入れられない母親と、間違いに気づきつつも、母の言いなりになる父親。父親は娘が統合失調症であると感じつつも、妻を説得することができなかった。
冒頭のヒステリックな怒鳴り声は、おそらく母親が娘を責めているものだ。
「どうして恥をかかせるの」。この台詞からも、恥をかくことに強い拒否感があったと察せられる。だからこそ、他人に娘の病気を知られたくなくて、娘を家に閉じ込めるという暴挙に至ったのだろう。母親のプライドの高さが、そもそもの元凶なのかもしれない。
母親は、娘の病気よりも自分のプライドが大事だったのだろうか。娘に統合失調症の症状が出ていても、全て諦めたように、不自然にスルーする両親。周りの人に知られるくらいなら、自分たちが我慢すればいいと思っているように感じた。
娘を閉じ込めるに至ったのは、プライドの問題だけではなく、精神科にかかることのハードルの高さもあっただろう。現代ならまだしも、姉が統合失調症の症状を発症した昭和時代は、時代的にも精神科には暗いイメージがあったはずだ。両親の世代的にも、精神科にかかるなんてとんでもないという偏見があったかもしれない。両親が医師で研究者であったからこそ、精神科にかかるということは、自分の娘が今後どんな道を歩むことになるかをよくわかっていたのだろう。
しかし姉は、映画の中である時期から薬を飲み始め、それにより症状が劇的に良くなった。この流れを見ても、もっと早く医療につながっていれば、姉の人生はもっと違うものになっていたのでは? と思わざるを得ない。親のプライドと時代による精神科への偏見。これらが、姉を治療から遠ざけてしまった。こんなことを言うのは両親を悪く言うようで申し訳ないが、こんなのは両親による姉へのネグレクトでしかない。
早く医療機関につながればというのはもちろんだけれど、医療機関につながるためには、つまりは親ブロックを解除するためにはどうすればよかったのか、それは今考えても、まだ答えが出ていない。
いいなと思ったら応援しよう!
