初めてインタビュー記事を書いてみてわかったこと
先日、初めて執筆を担当したインタビュー記事が公開されまして。
(こちらの記事です)
この記事の執筆中や執筆後に感じたことを、覚えているうちに書き留めておこうと思います。
もっと解釈していい
これはライター講座でも教わったことだからわかっていたつもりだし、インタビュー終わりに取材相手の方からも「抽象的な話をしてしまったので、どんどん解釈しちゃってください」と言われてもいた。
けど、実際執筆を始めてみて「あれ、『解釈する』って意外と難しいぞ?」と気づいた。
相手の人が、その人の言葉で、その人なりの考えを話してくれている箇所を文章化しようとしたときに、「この言葉は変にいじらないでそのまま書いたほうがいいんじゃないか」と考えてしまって、自分なりの解釈を加えるということがなかなかできなかった。
読み手に取材相手の考えがわかりやすく伝わるよう、解釈して言語化するのがライターの役割だと頭ではわかっていたのに、だ。
赤字を入れられて戻ってきた原稿を見て、あぁもっと言い換えてしまっていいのだな、もっと解釈してしまっていいのだなと気づいた。
とはいえ、やりすぎはよくないと思うけれど。そこは記事の担当者や編集者とのやり取りで修正していけばいいだけの話だ。
「真面目で優等生な自分」という課題
なんでうまく解釈できないというか、相手の言葉を言い換えるのが苦手なのかについては思い当たることがある。
最近自分のなかで課題だと感じているのだけど、私には優等生で真面目ないい子ちゃんの自分が子どもの頃からずっといて、怒られそうなことを必死に避けようとしてしまう傾向がある。
だから自分なりに解釈して「違う」って言われたり、「こんなこと言ってない!」って怒られたりするのが怖いんだと思う。これは半分無意識で、常にそう思いながら書いているわけではないけれど、そういう自分がどこかにいるのは否めない。
そういう真面目でビビりな自分を呆れたように眺めている、もう一人の強気な自分もいる。
「何そんなにビビってるんだよ、まったく」とでも言いたげに。
そういう、相反する自分がそれぞれにいて、ビビり面が強いときと強気面が強いとき、どっちもある感じ。
真面目ゆえに、文章を書こうとすると定型文みたいな、こう書いておけば間違いないだろうみたいな書き方を選択してしまうクセがある。その結果、ある程度整ってはいるけれど工夫や面白味のない、つるっとした引っかかりのない文章が出来上がる。
きっと、小中学生のころに、そういう文章を書いて先生から褒められてきた経験も影響していると思う。先生としてはそういう変な癖のない文章のほうが評価しやすかったんだろう。
真面目なこと自体は悪いことではない。けれど、文章を書くときにそれが悪い方向に作用してしまっていることに、ちょっと困っている。
これはほんとうにどうにかしないといけない課題だと思っていて。
いかにして自分の文章の型を作っていくのか、自分らしい文章を書けるようになるのかを目下模索中です。
真面目だけど工夫のない文章を書く人ではなく、「わたしはこんなふうに解釈しました、いかがでしょうか?」と恐れずに表現できる人になりたい。
インタビュー記事、また書きたい。
今度は取材から全部自分でやってみたい。
それでは今回はこのへんで。
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