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はじめに

noteを書き始めるにあたって、どんな思いで誰に対して書くのか整理しておこうと思います。

私は栄養療法アドバイザーという仕事をしています。
以前は妊活中の方をメインに活動していましたが、お子さんから高齢者まで幅広く栄養療法のお手伝いをさせていただいています。

それまでは製薬会社に勤務していたものの、II型双極性障害だと診断され薬を処方されそうになった時に、少しずつ蓄積していた違和感をやはり強く感じたので、会社を退職し分子栄養学を学びました。

分子栄養学は、細胞を整えることで健康維持や病気予防や治療を行う医学ですが、それは別途書こうと思います。

「脳の不具合は栄養でしか治せない」

誰かれともなくこのフレーズは折に触れて耳に入ってきました。
一時期、若年性認知症を疑った私が今では思考力、記憶力ともに罹患前と同等レベルに戻りました。6年かかりましたが、やはり分子栄養学に出会えたおかげだと思っています。

この仕事についたのは自身の精神疾患がきっかけではありますが、以前から栄養には興味があり、ちょっと足を踏み入れては会社の仕事が忙しくなりいつしか熱意も薄れ・・・、ということが何度かありました。

実際、会社員時代と今の収入は雲泥の差があり、完全フリーランスとして身を置き稼げないのは自分の責任ではありますが、まったく後悔はありません。(夫には申し訳ないですが)

経済的にも精神的にも追い詰められてはいますが、やめる気がしないのはやはり好きだからなんだと思います。

人に喜んでもらえるととても嬉しいし、また頑張ろうと思う。

人に与えられた仕事をする会社員時代とは満足感が違います。

で、なぜ栄養に興味があったかというと、母が何かにつけて栄養を気にかけていたからです。

かなり若い頃、私が友人を実家に泊めた時、晩酌で気持ちよく酔っ払った母は「カボチャは栄養の王様!」と真顔で叫んで、友人が大笑いしていたことを思い出します。

富士山の近くの片田舎でラーメン屋のおかみさんをしていた母に、大した知識はありませんでしたが、忙しくても私たち子供の食事を一生懸命こしらえてくれた母。

母は終日家にはいるものの、朝から晩まで働いていてろくに口もきかないような距離感でしたが、食事が唯一、母と私をしっかりと繋ぎとめているように感じていたのだと思います。

同じ話を繰り返したとしても黙って私の話を聞いてくれて、いつでも無条件で味方でいてくれた母が大好きでした。

そんな母が6年ぐらい前から冬になると食欲が落ちて元気がない状態に陥ることがしばしばありました。一時は、1日にアンパン1個しか食べられないということもありました。

なんとか元気を取り戻してもらいたいとサプリメントや食事のアドバイスなど行い、その度に見事に復活してくれました。

やはり栄養の力はすごい。
高齢者ほど如実に効果を感じます。

2018年の春には重度の貧血になり、ヘモグロビン2.9、フェリチンに至っては0.8を記録し、医師には「よく生きていますね」と感心されたぐらい。
ちなみに通常その年齢であればヘモグロビン12.0、フェリチンは50ぐらいはあります。

おそらく小腸から出血していたのだと想像しますが、危険な検査をなんとかすり抜けて完全復活できました。

最悪の事態を想定し、何度も母には心の中で「さようなら」と告げました。

そんな母は今では、認知症が進み、新しいことを記憶できないばかりか、昔の記憶まで徐々に失っています。

そして、今年に入り、乳がんだと診断されました。

昨年はじめに父が亡くなり一人暮らしとなりました。
週3日は終日デイサービス、それ以外は親類や姉が訪れるものの、認知症で食事の準備もままならず、さらに栄養状態が状況を左右するガンに侵されいよいよこのままでは捨ておけないと考えるようになりました。

来週母に上京してもらい、私の自宅でゆったりと過ごし、大学病院にも連れて行く予定です。
母がこちらに来るのは東日本大震災があった年以来ですから11年ぶり。
認知症になってからは初めてです。
今から何が起きるのかドキドキします。

急に環境を変えると認知症が進むと聞いています。
だから今までずっとためらっていたのです。

それでも柔軟性が高い人なので、意外にもしっくりと馴染んでくれるのか、はたまた、1日で帰りたいと泣き叫ぶやもしれません。

家族のことも含めそんなこんなや、栄養療法的見地から実践すべき食事や生活習慣など共有しながら、私と同じような境遇に置かれている方と繋がりたいと思っています。そして少しでも気持ちを楽にしたり、新たなことにトライしたりと一緒にこの時を刻めればと思っています。

今日は留学時代に知り合った友人とランチしてきました。
帰ってきてから何年の付き合いだったか思い返してみると、30年も続く関係でした。彼女は無条件に私の言葉や言動を受け入れ励ましてくれました。
きっと身勝手な発言もしていたと思いますが、そんな風に家族のように話を聞いて助けてくれる友人がいることに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

友人は決して多い方ではないと思いますが、悩んでいると言えば話を聞いてくれる人が何人もいます。幸せなことです。

介護はともすれば孤独な務めです。
でも、話してみよう、助けを呼ぼうという相手がいるのといないのとでは雲泥の差が生まれるように思います。

誰かにとって私がそんな存在であってもいい。

そんなことを思いながら徒然ない思いと栄養療法の知見を残して、困っている誰か、悩んでいる誰かの支えになれれば嬉しいです。



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