子なし夫婦のぼくらがサンタクロースになる時
クリスマス
言わずと知れた12月のイベント。
大人になるにつれ下心だったり、物欲がなくなったり気持ちが下火になって行きがちだが、子供の頃はサンタの正体が親なんじゃないかとわちゃわちゃしたりしながらもみんなプレゼントを楽しみにしていたと思う。
僕の両親はかなり手の込んだサンタクロース工作をしており、隣人に依頼して12月24日の夜 8時ちょうどに玄関のチャイムを鳴らしてもらう。
家族全員で走って玄関に行くと隣人に依頼しておいたプレゼントがある。
ご近所付き合いのゆるい田舎ならではだったと思う。
小3の時なんかは隣人サンタはご丁寧に赤いハンカチを落としていった。
翌年に玄関にハンカチとお礼のお菓子を置いておいたらハンカチとお菓子を回収していく始末だ。
おかげで僕は小6まで「サンタクロースはいるんだ!」と現実を知った同級生たちと争うハメになった。
結局、中学に上がる前に親にカミングアウトされひどく落胆した。
「小6まで信じてるとかバカじゃねえの」と茶化してきた5歳年上の兄は中3まで信じていた。
いつか自分に子供ができたらどうやってサンタクロースを演じることになるのかなあ。なんて考えるようになったのは大学くらいだっただろうか。
両親や家族のこと
サンタのことなど忘れ社会人になり、いつしか僕も結婚したが子宝には恵まれず10年くらい経っていた。
元々夫婦ともに子供はあまり得意ではない事と、なにより不妊治療のストレスに耐えかねて子ナシで生きていくことを決めた。
少なからず両親への罪悪感はあるが、それにしても不妊治療はあまりにも辛い経験だった。
ところで、僕は結婚するまであまり家族を大事にしていなかった。
両親の元を離れ自由に生きることが楽しすぎて、特に用もないのに数県またいだ実家へ帰ろうと思うことはなく、地元の友達と飲み会があるからと年1回だけ宿代わりに帰省する程度だった。
なんせ親からはいつも
やれ彼女はいるのか、
仕事は大丈夫なのか、
ちゃんと生活してるのか。
うるさい。
それに対して妻は家族関係をとても大事にしており、父の日、母の日、敬老の日などイベント毎に会いに行けないなりに贈り物をしていた。
特に義務感でない贈り物ってのは楽しそうに選ぶもんだなぁと思った。
結婚してからは当然妻からの勧めで僕の両親にもイベント毎に贈り物をする事になるのだが、僕は両親に興味を持たず生きてきたため何を買って良いかカラッキシだった。
が、両親との会話からヒントを探して妻ばかりが色々と提案してくれるのが申し訳なくなり、定期的に実家に帰るようになり話もよくするようになった。
そのせいか両親はよく笑うようになった。
電話をしても「嫁ちゃんは元気?」「贈り物ありがとうって嫁ちゃんにもしっかり言っておいて!」と僕よりも気にかけている気がするほどだ。
さすがの僕も両親が小言を言わなくなって嬉しそうにしているのを見て、妻には感謝しかない。
おばあちゃん
90歳を越える祖母は、今では腰を悪くして車イスで生活をしているが若い頃は旅行が好きで世界中を飛び回っていた。
僕がまだ5歳になったくらいの頃、早くから経験した方が良いと言って兄、姉、従妹と一緒に海外に連れて行ってくれた。
5歳児なんて記憶にほぼ残らないだろうし、当時元気な小学生だった兄、姉、従妹も一緒で大変だったと思う。一緒に行った母でさえ疲れ切った写真があったくらいだ。
存外僕は当時ことをよく覚えており、祖母とその時の話や、海外の色んな話を聞いたりするのが好きだった。
富士山から手紙を出す
ふとした機会があり、あるとき妻と富士登山をした。
富士山の山頂には郵便局があり、そこから手紙を出すと富士山頂の消印で手が届く事を知っていた僕は頂上から旅行好きの祖母に手紙を出すことにした。
山頂に手紙も売っているだろうと思い準備はしていかなかった。
山頂に辿り着くと普通の絵はがきも売っていたが、薄く切った丸太状の木のハガキがあったため祖母も驚くだろうと思い丸太に書いて送った。
下山して数日すると、祖母から手紙が届いた。
そこには水彩で描いた富士山と、送った丸太ハガキの絵が描いてあった。
「ハガ木」が届いて驚いて、友達に言いふらした事を嬉しそうに書いてあった。
孝行とは何か
僕はなんとなく、妻が家族にやっているのはこういうことなのかな、と思った。
社会人になって親孝行はしないと後悔するだろうなと思っていたがいまいちピンと来ず、いつか旅行に連れて行くとか高級品をプレゼントするとか大きいことを返したら良いのかなと思っていた。
でも孝行っていうのは、何か大きな恩返しをすることも良いけど、こうやって良い関係を作っていこうとすることが一番大事なんじゃないかと思った。
そんな折、もうすぐクリスマスが近くなっていたため、本腰を入れて家族に送る物を考えた。
妻と雑貨屋などを巡り、それぞれの両親や祖母、兄弟に送る物を決めた。
僕の両親には、幼少期に手の込んだサンタ工作をしてくれた過去があるため、フィンランドの郵便局にある本物のサンタクロースから手紙が届くサービスを利用してクリスマスカードが届くように手配した。
基本は年変わりの定型文だが、最後の数文字だけは自分で作ることができるため家族しか知らないメッセージを入れた。
祖母は手先が器用で箱庭などをよく作っていたため、その周りに置けるような小さいツリーをプレゼントした。
ツリー自体はただのプラスチックの骨組みで、付属の粉をかけてさらに水で濡らすと粉が葉のように膨らむギミック付きだ。
数日後、母から電話があった。
母「おばあちゃんにツリー送ったみたいだけど、なんだかすごい興奮してたよ。どんなの送ったの?「葉っぱうわーって生えるの!」って。」
メガネ「雑貨屋さんで買ったやつだけど、興奮するほど喜んでくれたなら良かった 笑」
母「そんなにすごいんだねって言ったら「あなたは見てないからわからないわよ!見にきなさい!」ってすごい。あと、ウチにもついに本物のサンタからエアメールが来たよ。誰の仕業だかわかんないけど 笑」
両親にはモロバレだったが、結果は上々のようだった。
母のリアクションは概ね想定内だったが、祖母に倣って海外のものが好きだったりするので今は実家の神棚に置いてある 笑
しかも、サンクロースからのクリスマスカードにはさらに返事を書くことができ、返事を書くと夏ごろにサマーカードまで送られてくるのだが、神棚にサマーカードが追加されたのを見て成功を確信した。
最終的にそのサンタへの返信ハガキは郵便局から依頼があり匿名で郵便局の専用サイトに公開されたのだが、並み居る子供たちの書いた返信ハガキの中に一枚だけ高齢者のハガキが混ざることとなった。
サンタクロースになる時
こうして子供のいない僕らもサンタクロースになった。
プレゼントを贈る相手が親や祖母になるなんて考えてもいなかったし、まして子供のように喜ぶなんて想像もしていなかった。
以前、ヤフー知恵袋に小学6年生の質問で「サンタはいますか?」との問いにとても良いアンサーがあった。
初めて見た時はイハナシダナーくらいしか感じなかったが、今ならこれがよくわかる。
誰かの幸せを願って何かしようとするとき、相手が誰かとかは関係なく、誰しもがサンタクロースになる機会があるのだと思った。
いつか何かしようと思っている人は、クリスマスじゃなくても小さなことでもなんでも良いからやってみてほしい。