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博物誌、やはり面白い/串田孫一

先日メルカリで購入した串田孫一の博物誌。


写仏したり、出かけたり、別のエッセイを読んだりと、開けずにいた。

ずっと枕元に。

今日、目次を見ながらも、どれから読んでもいいので、あまり考えず開いたところを読もうとページを開いた。

蟷螂
蟷螂については、書くことがいっぱいあって困る。ファーブルに負けないつもりだと言うほどの元気はないが、ひと夏、つまり蟷螂にとっての一生をじっくり付き合ってきたので、少々感情問題も絡んでくることになって、書くことがたくさんあっても、具合が悪く書きづらい。
ところで今日、いつも葉書ばかりくれる友だちが珍しく、十一円の簡易書簡をくれた。封緘端書がいつの間にかそんな名前に変わっていたのだ。上下のミシンをビリビリと破いてみると、用件の終りに蟷螂が脱皮したと書いてあって、ぬけがらが二つ入っていた。簡易書簡の中には何も入れてはいけないんだよ、それは違反だよ、という人もいた。しかしそれはもう届いてしまったし、入っていたものはとにかくぬけがらなのだ。私はそれよりも研究の不足を痛感した。ぬけがらによってその蟷螂の雌雄を区別する方法を知らない。この二つの、脱ぎ捨てた薄い衣装には何のしるしもない。ズボンだろうか、スカートだろうか。余計なことだが、こんなに薄く透けていていいんだろうか。
うっかりしていると、なかなか凝ったことをする友達のことだから、このぬけがらを私に送ってくれたことによって、彼の思想的な脱皮を伝えているのかもしれない。あるいは彼にとって今重要な間柄にある彼女が脱皮したことを知らせてくれたのかもしれない。

串田孫一/『博物誌 上』蟷螂

適当に開いたのに、一つ目だった。

目次は、

蟷螂
すもも
時計草
毒蛾
たまあじさい
ひぐらし

以下どんどん続き、
最後の方は、

つわぶき
くろほうじゃく
おなもみ
つるこけもも
しめじ

で終わる。

しめじ!

しめじ
相変わらず、動植物の鑑定では、頭を悩ましている。しかし、面白くないこともないので、送られてきた子虫のために数時間を有意義に潰す事はよくある。それは大変だ、そう言って、専門家でない僕の苦労を慰めてくださる方もいる。しかし、はっきりしないと気持ちが悪い。たとえそのために十人の友だちを怒らせることがあっても、気になることをそのままにしておくわけには行かない。
つい四、五日前に中学生が新聞紙に包んだものを持ってきて、これ食べられますかと言う。知人の息子さんだ。開けてみるとしめじである。においをかいでみてもしめじだ。けれども、大丈夫ですね、毒ではありませんね、と念をされると、私は自信がなくなる。持っている限りの本で調べてみると、似たようなものがたくさんあるし、結局食べられると思うけれど、気味が悪いと思ったら絶対に食べないで、と言うより仕方がなかった。その坊ちゃんが帰ってからも気になるので調べていると、大正十年八月、猛毒のタマゴテングタケをしめじと誤って食べ、一家四人全部死亡した例が出ていたし、翌日の新聞にもきのこ中毒の記事が出ていた。青みがかって毒々しいそのかさの色が目にちらつく。それは本当のしめじだったらしく、その一家の元気なことを知らされたが、きのこ鑑定だけは、恐ろしくてもうお断りだ。

串田孫一『博物誌 上』しめじ

こんな感じで、私には面白い。

好きなタイトルを見つけて読む。

エッセイはそれが好き。

本を読んだり絵を描いたり見たり、自然に触れると心身が回復する。

仕事イヤイヤ病にかかったら、それ以上ストレスを溜めないために消化するしかない。

そのうちの一つが本を読むこと。

串田孫一ワールドが今私の楽しい時間の一角を担っている。

本当は、思いを持たなければいい。
仕事に。
思うから、思いと違うから、ストレスになるんだから。

思いを持たなければストレスもなくなる。
(頭で分かりつつまだまだ修行中)

今日は北と南から写真が届いた。

夕暮れ時の新千歳空港
きれい
これは本当は動画
ゆらめく錦江湾に癒された
鹿児島の桜島


友達にも恵まれてるんだから、仕事のことは忘れよう。

今は夜の母の洗濯物2回目。
終わったと思ったら、寝かせようとしたらズボンが濡れている。
でもオムツは濡れていない。謎。

仕方ない。

明日に持ち越したくないから、洗う。

今洗濯機がまわっている時間。

腰が痛い。。。

終わったらお皿洗いして、洗濯物を干して、
それから本を読むか写仏か、絵を描くか。寝るか。

わたし時間に戻るつなぎの時間を作りたい。

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blanche
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