8月最後の夜に〜『山の独奏曲』串田孫一著
8月が終わった
いつのまにか、夜に聞こえる虫の音が秋のものに変わっていた。
毎年思う。
いつ変わったんだろうって。
気づいた時にはハッキリしない。
先日友達と話していて、改札で切符を切る係の人を見なくなったのはいつだろう?(その人の最後の勤務はいつだったんだろう)
とか
電車のホームの行き先と発車時刻の掲示板がパタパタと変わるものから今の電光掲示板に変わったのはいつだったんだろう?
とか
最後に公衆電話で話したのはいつだろう?
とか、いずれもハッキリとした区切りが思い出せなかった。
変化、変わった境目を覚えていないのがなんだか寂しかった。
虫の音もそうだ。
いつから、秋の音色に変わったんだろう。
とにかく8月は終わってしまった。
もう秋はすぐそこに来ていて、そんな夏の終わりの夜にショートエッセイを読む時間があるのは幸せだ。
小さな秋を購入🍂
この夏は本当にいろんなことがあった。
きっと忘れられない夏になる。
本は静かに読みたい
カフェが苦手な理由。
好まない音楽(音量も私には大きい)があるからだ。
どうしてクラシック(中でも万人が好きそうな曲)を低音量で流してくれないのだろうか。
うるさい半端な曲ならいっそ音楽はなくていい(美容院も同じ)と思う。
8月の最終日、時間調整のため入ったカフェで読もうと思った本が音楽が邪魔で集中できない。
いつでも、どこでも、寝られて、
音や匂いにも敏感でなかったら、
もっと楽だろうと思う。
カフェで仕事ができる人を尊敬する。
とはいえ、仕事で切羽詰まっていたらそれどころじゃなく電車でも自動車内でも仕事はしているから、結局は、読書と睡眠に関しては私は環境を選ぶのかもしれない。
でも、電車や自動車は余計な音楽は流れてないか。
前置きが長くなった。
ともあれ、『山の独奏曲』は静かに紐解きたくて、帰宅してゆっくり読んだ。
カフェでは文字が目には映っていたものの、心まで言葉が入ってこなかった。
串田孫一著『山の独奏曲』
串田孫一著『山の独奏曲』、買ってよかった。
これは何回も紐解くと思う。
どうしてこんな文章が書けるのだろうと思う。
例えば、東野圭吾さんの書く物語は怖い。
「よくこんな恐ろしいことを思いつくわね」と思うのであまり読もうと思わない。
(お好きな方ごめんなさい。)
串田孫一さんの随筆は、読んだら理解できたり、共感できたり、その思考が面白くて好きなのだ。
そして自然や山が好きな人なら、山に行きたくなるのではないかと思う。
私は今は行けないと諦めているけれど、Sが生きていたら『山に行こう!』って誘いたくなる。
本と山が好きだった彼に『読んでみて』と勧めたと思う。
七十二篇のショートエッセイ
もう60年くらい前に書かれたショートエッセイ。
1つのエッセイは2ページから3ページと短いが、読み応えがある。
輪樏
→『樏』ーかんじき
久しぶりに見た漢字。
羚羊
→一瞬、なんだっけ。久しぶりすぎて固まる。
『かもしか』と読む。
栗鼠
→これはすぐ出てきてホッとする。
『りす』
草いきれ
→夏、強い日光に照らされて、草の茂みから生ずる、むっとした熱気のこと。
言葉が違うのにユーミンの『メトロポリスの片隅で』を思い出した。
人いきれ飲み込む通勤電車〜🎶
涙ぐむ間もなく〜🎶
周りは、竹内まりや派が多かったけど、私はユーミン派だった。
失恋の歌も上手く言えないけどしんみりしすぎないし、表現がおしゃれだし、悲しいのだけどどんよりしすぎてない気がして。
”草いきれ”と全く違うところに思考が飛んだ。
#なんのはなしです歌
串田孫一さんの随筆に戻る。
ピックアップ
幻想
後記にあった文章。(私は後書きから読むことも多い)
読者が「あれはいい」と言った「幻想」が気になり、これを一番最初に読んだ。
以下一部抜粋。前後に文章はある。
この”幻想”の随筆はまだ続く。
片っ端からは、片っばし。
私は片っぱしと発音していた。
"私は素晴らしいことを考えたとも言える。また、他のどんなところでも、これほど幼稚な考えを抱いたことはないとも言える。それは同じことであった。"
これはどういうことなんだろう。
秋風がかなり激しく吹く山中の山頂でも頂上に近いところでもないところにいた串田孫一さんが考えたこと。
こんなことを秋の山で考えたことがあっただろうか。
山に行けば、外の風景に心を奪われその時の感情を深く掘り下げたことがあっただろうか。
あったとしても、上りや下りの苦しい時は思考や感情はどんどん流れていった気もする。だからストレス解消にもなるのだけれど。
この串田孫一さんという方ご本人に会ってみたかった。
つくづく自分が単細胞だと感じる。
風は串田さんから”何を”持って行ったんだろう。
なんで思い出したくないんだろう。
山でつまみ捨てた何の役にも立たなくなった神経ってなんだろう。
串田さんの頭と心の中を知りたくなる。
この随筆を読むと、自然の中にいながら、外の風景に想いを馳せつつ、内省して自分と向き合う著者の思考と一緒に私の思考が動き出す。
串田孫一さんの他の随筆を読んでも、彼の中のいろんな感情が抑制気味に描かれいて”実際のところ”がどうだったのか気になるのだ。
うまく言葉にできない。
陽炎
長い橋を渡って丘陵を一つ越せば駅という時に、誘惑に駆られて中洲に降りた串田さん。
そこで陽炎がゆらめいていることに気が付く。
陽炎を見て「透明な悪魔的な炎」・・・
雲がどこにも見えない空のまんまん中に「太陽が美しく輝いていた」ではなく「孤独な太陽が燃えていた」
こういう表現が心に響く。
石仏
旅の途中に寄った部落で石仏を見つけた串田さん。
どのショートエッセイも良くて、順番を気にせず紐解いている。
あっという間に4,000文字近くなってしまった。
抜粋が多いのは、私の拙い言葉ではこのショート
エッセイ集の良さが伝わらないと思うから。
感じたことをうまく言葉にできないので「感想文」は苦手。
画文集『山の独奏曲』
手元に置いて良かった随筆だ。
*マーク・ロスコの作品だけを展示したロスコ・ルーム
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