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『カミーユ・クローデル』
1,511字
イザベル・アジャーニ、ジェラール・ドパルデュー出演
ブルーノ・ニュイッテン監督。1989年 フランスの作品。
カミーユは規則が嫌で芸術学校を辞めてしまった。
人に紹介してもらい、彫刻家ロダンを自宅に招く。
ロダンは忙しいから、とすぐに帰ろうとするが、カミーユの彫刻を見て才能を見抜く。ロダンが美術院から依頼された仕事は大掛かりなもので、何人もの人手がいる。その仕事を手伝うように、とのこと。
友人から、ロダンは女癖が悪いから注意するように、と忠告を受けるカミーユ。
カミーユは他の何人もの作業員の一人としてロダンの仕事を手伝うが、ロダンから声もかけてもらえない、と仕事を辞めて自宅に戻ってしまう。
カミーユの自宅を訪れ、仕事を続けるように伝えるロダン。
カミーユはロダンの元に戻る。自ら服を脱ぎ、ロダンのモデルになる。
愛し合うロダンとカミーユ。粘土について、構図について、大理石について、話は尽きない。ロダンは教えることはない、と呟く。芸術とは、それぞれの内側から湧き、技術も独自に磨き、完成されるものなのかもしれない。
映画の冒頭から、イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューの放つ存在感と魅力がすごい。
ロダンとカミーユは、二つの火の玉のよう。魂と魂がぶつかり、共鳴し、燃え上がる。片時も離れられない、とでもいうような二人。周囲からも噂される。カミーユは奥さんと別れて結婚して、とロダンに迫るが、ロダンは今さら感情で生活することはできないと答える。
一人アトリエに住み、作品を作り続けるカミーユ。ロダンへの恨みつらみから、次第に精神を病んでいくカミーユ。ロダンとの関係を世間から噂され、カミーユの母は恥じている。彫刻家として大成すると信じていた父はロダンと出会ってからサロンへ出品していない、とカミーユに作品を出品するように言う。
サロンへも出品し、彫刻家と名乗り始めるカミーユ。音楽家のドビュッシーとも交際を始める。詩人を夢見ていたカミーユの弟はロダンの口利きもあり、外務省へ勤めることになった。アメリカへ旅立つカミーユの弟。
カミーユの作品を認め、販売は任せるように、と申し出る美術商も現れた。
カミーユは一人で制作するも、お酒に浸り、声も姿も一時期の輝きを失ってしまう。身なりにも構わなくなり、疑り深くなる。全ての来客をロダンの差金と感じ、周囲の人間もカミーユの異常を感じ始める。
カミーユの弟は詩人として名を挙げる。昔からカミーユの才能を信じて味方をしていた父までも、弟の詩を朗読し、カミーユにはがっかりしたと言う。泣くカミーユ。
カミーユの美術商が個展を開いてくれた。カミーユの弟が中国から駆けつけ、カミーユを讃える詩を朗読する。しかし、娼婦のような出立ちで個展に現れるカミーユ。ギョッとし、早々に立ち去る弟。
大理石の彫刻を美術商に全て託し、石膏像だけ送り返すように伝えるカミーユ。一人自宅で、全ての石膏像を壊すカミーユ。
カミーユはついに精神病院へ入れられた。
30年そこで過ごし、亡くなったという。
・・・愛とか恋というものは、
歓びの体験でもある一方、一歩間違えると
心や人格、人生を破壊しかねないほどの威力をも備えている、のかもしれない。
特に芸術を志す人は持っている感情の量、気性の激しさ、というものを自ら持て余してしまうのかもしれない。
カミーユが若すぎて、ロダンという大きな存在に呑み込まれてしまったのかもしれない。
しかし、ロダンもカミーユの変貌ぶりには悲しんだことだろう。
カミーユも当然苦しんだ。
・・・カミーユも、もう少し感情をコントロールして創作に打ち込むことはできなかったのだろうか。カミーユのその後が悲しすぎる。