疲れた時は、休めばいいんだよ。
最近は、中年の意識高い系と言うのが多いらしいと言ったことが週間誌に載っていましたが、
まぁ、色々な人が居るんでしょうね。
まぁ、私も陰で「痛い人」だなぁと言わていたら嫌だなぁと思いつつ、今日もこうして綴ってみたいと思います。
ということで、私のことを「うざいなぁと思う人」も「そうでない人」にもこの言葉を送りたいと思います。
頑張っているあなた。
「疲れたら、休んだらいいんだよ」
肉体的に疲れた場合は本能的に人は休むことを求めますが、精神的に疲れている場合、更にそこで追い打ちを掛けるように頑張ろうとしてしまいます。
それゆえに余計に精神が参ってしまう。
人には下記のような3大欲求があるようですね。
1「誰かに認められたい」
2「いい人と思われたい」
3「大切な人と思われたい」
この3つの基本欲求です。
これは「生存的欲求」とでも言うのでしょうか。
悲しいかな、学がないのでこうしたことはとんと苦手なのですが自分なりに言葉を探して、皆様に伝えていこうと思います。
上記のような要求を満たすことは、人間の基本的欲求であり、其のために其の表現手段として自分なりの方法でそれを実現しようとするのだと思います。
そしてそれを認めてもらうために自身の言葉で自分を傷つけていくと結果的に精神が参ってしまって「鬱」な状態になってしまいます。
私も郵政を辞める直接のきっかけは、自身の今までの努力も何もかも全否定された職場での立位置でした。
かっては、郵政局の企画部門でノンキャリとはいえエリートを歩んでいた【自分では少なくともそう勘違いしていた】のに、気がつけば集配の仕事で、、さらに「お前は、全く役立たずの穀潰しだ・・・こうしたことを毎日業務に付かせずに1ヶ月続けられたらどうでしょうか?」
正直、毎日の仕事は出勤して出勤簿に判子を押す→集配課に置かれた机に座る→終業時間までそこに座っている。
それだけで、何もさせない。
業務図書を読ませるわけでもなく、雑用をさせるわけでもなく、ただひたすら仕事をさせない・・・。
いわゆる退職を強要するための最も卑劣な手段なんですね。
言わば人材活用センター状態・・・。(^^ゞ
そんな「鬱モード」を解消できたのは、自分なりに「心を休ませたから」と思っています。
考えてみたら、「心を休ませたというよりも、現実逃避に走った」とも言えそうですが・・・まぁ、その辺は皆様の想像にお任せします。
鬱な時って本当に危ないですよね、電車を見るとフラフラとホームの端に歩いて行こうとする衝動にかられて・・・。
でも、そんな中で私の場合は「写真に熱中する」ということと、「国鉄があった時代」というサイト並びにそれに関連する画像掲示板などがあったから救われたと思っています。
昼間は役立たずだけど、ネットの中では有名人?みたいな。
結局、自分で自分の生存欲求のための鍵を見つけることが出来ましたので、今の自分があるのです。
頑張っているあなた、疲れたら心を開放して。
何か熱中できるものに集中してみたらどうかな。
また、それでも上手く行かなかったら「何もしない日」を作って一日でも二日でも過ごしてみたら・・・きっとリフレッシュするための何かが見つかるのでは・・・と思います。(^^ゞ