日本のびわを変えた人
びわの収穫量、全国一位
枇杷の収穫量が全国一位の長崎県。特に長崎県南部、茂木地方で収穫されるびわは、茂木びわと呼ばれ、その品質も高く、全国的に評価されています。長崎は全国的なびわの産地でもありますが、その歴史をたどると、江戸時代まで遡ります。
長崎のびわを変えた出島と一人の女性
三浦シオさんという女性が、長崎のびわの歴史を作り上げたと言っても過言ではないでしょう。江戸時代末期、三浦シオさんは長崎の代官屋敷で働いていました。ある時、中国から長崎の代官にびわの種が送られたものを三浦シオさんが譲り受けました。そして、実家がある現在の長崎市茂木地区で栽培を始めたのが、長崎の茂木がびわの産地となったきっかけの一つとなりました。
甘くておいしい「びわ」
その結果、びわが長崎で栽培されるようになりましたが、長崎がびわの産地になったのは、単にそれが理由だけではありません。それまで主に千葉などで栽培されていたびわとは違い、大きさ、甘さにおいて、上回っていたようです。このため、長崎のびわは「茂木びわ」として、全国に名前が知られるようになったのです。
出島とびわ
長崎の「出島」は世界的にも有名ですが、日本においてその果たした役割は非常に大きなものでした。西洋との唯一の窓口であったとともに、中国との大きな窓口でもありました。そこから開国や明治維新といった日本を大きく変える出来事に携わるような人たちが、長崎を経て日本を動かしていきましたが、そのようなまさに混沌とした時代に、びわも長崎に運び込まれ、一本の木から現代にいたるまでその歴史を紡いできたと考えると、茂木びわの楽しみはまだまだありそうですね。
参考文献
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?