自己紹介C
今回は、著者の家庭の話をしたいと思います。
橋本翔太さん、高橋リエさんをご存じの方には、伝わる話じゃないかなって。
私の母は、身なりをきれいにして、外でフルタイムで働くことが好きでした。
子供が好きじゃない、と言ってて、一方で、産んでみたいという、本人の希望で育てたものだから、家にお金を入れないぞ!と脅かすような男性と籍を入れました。
そんな結婚を、兄弟姉妹、親戚中が反対したの。
だけど、母は一度決めると、てこでも変えないガンコさがありました。
反対された結婚なので、兄弟姉妹、親戚が訪ねられないような遠い場所で結婚生活をスタート。
なにせ、母には、10人も兄弟姉妹がいたうえに、母は一番末っ子でした。
母の実家では、地方裁判所や家庭裁判所の仕事をしているので、田舎だし、地元では名士でした。
母は受験して失敗しても、コネを使って入学させてもらったり、就職も、最初からコネで入ったりと、何か起きれば、まわりにいる兄や姉、親が解決してきたものだから、それが母はクセになっていたんですね。
母は、いつも、女優のようにド派手なことを言ったり、ふるまって、まわりの人の気をひいたり、迷惑をかけて困らせたり。
大きなことをしでかしては、責任が無く、だれかが解決してくれると、頼りきってしまい、口を開けば、「何もしてくれない」と、四六時中、不満ばかりでした。
学校行事には、中学までは、入学式と卒業式だけ顔を出し、あとは一切顔を出しませんでした。
私の友達や、その親とは交流しようとしませんでした。
担任の先生、進路相談の担当が何を言っても、「うちの子がそうあるはずがない!」と信じませんでした。
そんなんだから、常日頃から、コミュニケーションが取れませんでした。
ふだんは、私も親にわがままを言わず、親を助けて、勉強に精を出していましたが、さすがに、将来を考えた時、手に職をつけたいから、何がしたいか、自分の中で確固たるものがわかるまで、1年ほどバイト生活をしたいと母に告げたのです。
激怒されました。自分が大学に行って図書館司書になれなかったからなんだけど「大学だけは卒業しないとダメだろが!」と言い放ち、部屋を出ていきました。
とにかく、私をゆるせないということでした。
毎日、ドアや障子を思いっきり力いっぱい閉めたり、大きな音を出し続けたり、怒鳴るばっかりになりました。
しょっちゅう、皿を割りました。八つ当たりしてたんだと思います。
母の機嫌がわるいことがいやで、父は、私にも怒鳴ってきました。
リモコンを投げつけたり、足に当たる
毎日、それをされていたので、いつのまにか食事がとれなくなり、横になることが増え、3日間食事に手を付けないで、骨があたって痛くて、ガリガリになっていたのですが、母が保健師に相談したのです。
それで、すぐに車で連れていかれ、精神科で投薬を受けました。
19歳ですよ。
これが、保健師のアドバイスだったわけ。
母は、会ったこともない、保健師、医者、看護師の言うことには絶対聞き入れたので。
だけど、私が毎日会っている教師、担任、進路指導、友達、友達の親の言うことには、ひとつも耳も貸さなかったもんだから。
おかしなことになったわけです。
精神薬は、自分の意思を奪うのです。
自分の肉体から、自分の魂を切り離すイメージです。
医者の診断は、不安が強いと言うことでした。
だって、毎日、暴言、暴力をふるわれてるんだもの、だれだって不安になるよねぇ。
また、医者とかの前では、そういう親って、完璧な演技をするんですよ。
いい親の演技をするもんだから、だまされちゃう。
断薬するときが、死んだほうがましと思うくらい苦しかったですよ。
今では、強すぎるということで使われていない精神薬を飲まされたんだけど。
そうすると、自分の肉体を、自分の意志で動かしていないので、責任が持てないのです。おそろしい薬です。
しかも、兄弟や親戚から電話があると、母が「げんきだよ~」と噓をつくんです。
深刻な問題が起きても、まわりにウソをつく母を見てきました。
その期間が長いほど、社会復帰しづらくなります。
私のように、若くて貴重な時間を、棒に振ってしまいます。
15年かかったかな。
今は、児童精神科ができていて、若年者に薬を投与し始めていることを、私は心配しています。
まずは、家庭の事情や、家族一人一人と面談することのほうが大事だと思うんだけど。
保健師さんをうらんでるわけではないけど、極端だと思うのね。
経済的に安定するから、そういう資格を取って、仕事をされているんだろうけど、その裏で犠牲になる人もいるわけで。
毒親という言葉が流行ったんだけど。
真の毒親は、結婚も、就職もできないし、殺す手前まで、子供を追い詰めてしまうと思うのね。
長くなってきたものだから、ここから先は、心理学を勉強している方や、当事者の方に読んでもらえればよいかなと思って書きますね👍
姉妹まで、私のことを責めていました。
彼女に話を最後まで聞いてもらったことが無いし、何か言えば否定してくるだけなのです。
口ぐせが「親に迷惑かけてんじゃないの?」だったり。
私は彼女の話はふつうに聞いていましたよ。否定もしませんでした。
彼女の話は、親は、きちんと聞くんですね。
彼女は、両親に、バレンタインデーも高級チョコ、高価なプレゼントを贈り、誕生日を祝って食事をごちそうしたりしてたもんだから、親の味方でした。
彼女から私は「あんた」呼ばわりされていましたし、「どうせ〇〇」が口グセ、「あんたはダメなんだから。」と私に言ってくるばかりでした。
いまおもえば、相手が、両親の気を引きたい、親をひとり占めしたかったんだと思うけど。
私は、そこまで嫉妬されてたんです。
私からしたら、就職したら、両親の元を離れて、自立してゆく位しか、考えていなかったのに。
相手からしたら、ひとりじめしたくて、そのためには、何でもやる!モードだったとは、気がつけませんでしたし、そこを見誤ちゃったのね。
なんか、ライバルだったのね。
また、父は、家にお金を入れない、お金が入ると、全部自分のやりたいことに使っちゃう、家庭的な要素が一つもない父でした。
そんなもんだから、子供がお金が必要な時に言い出せないし、言ったところで、ごまかされたり、無視されていました。
父は「子供のせいで、好きなことができない」が口癖でした。
どうやら、望んで結婚したわけでもなさそう。
母が、父に結婚をせまったそうです。付き合った責任を取ってみたいな流れみたいで。
父は、自分の言うことを受け入れてくれた時だけお金をくれたり、気分でお金を出してもらったりと、頼れませんでした。
そのくせ、父は「さびしいじゃないか」とお腹いっぱいの私を連れて食事に付き合わせたり、「冷たい子供だ」と言われて、気を引いてきたり、「親を助けてくれ」と泣きつかれたりと、いつも振り回されていました。
そういわれると、子供って、すごく精神性が高いので、純粋に助けてしまうんだよね。
それで、なにしても疲れないから、無理もきくでしょ?
どこまでもやってしまうんだよね。
私の話を聞いてくれた臨床心理士の女性がいるんだけど、彼女の答えは、「残酷な親」だそうです。
答えだけ書いちゃうと、なんだか、どうしようもないんだけど。
母も、亡くなる1年ちょっと前に、「親として未熟だった」と私だけに言ってましたから。
ただ、家族中に、悪者扱いされて、精神科で薬漬けにされてる人が気の毒で、なんとか、ならないかって。
アメリカのように、面接で、年齢で差別されないなら、いつからでも挑戦できるけど、日本は、どちらかといえば、年齢で決めつけられるものだし。
病院に頼らないで、治せますからね、がんばりましょう👍