父親コンプレックス「可愛くないと愛されない」
今日は母と話している中で
自分の中で大きなしこりになっていたものが見つかってしまった。
父親コンプレックス
私は、子供の頃から
「お父さんに好かれたい、愛されたい」
という気持ちが強く、それが満たされたことがなかった。
父は綺麗で頭が良くて才能もあって、という
いわゆる高嶺の花タイプの人が好き。
「自分もそうならなければ父に愛されない」と、無意識に子供の頃から思っていた。
「可愛くないから、お父さんに好きになってもらえない」
ここ数年で気がついたのが、
実は上に書いたような「父に愛されるための条件」は
父本人の口から言われたことではなく
母から繰り返し聞かされていたことだった。
子供の頃から母に聞かされていたのは
「お父さんは、顔の可愛い子が好き。
あなたが生まれる前に、知り合いの子のAちゃんを可愛がって、いろいろなところに連れて行ってあげていたから、「自分の子供が生まれたら、こういう風にしてくれるんだろうな」と思っていた。
でも、実際にあなたが生まれても
そういう事は全くしてくれなかった。
理由を聞いたら
「だってAは顔が可愛いんだよな」
と言っていた。」
という話や、
「結婚して、あなたがお腹にいるときに、お母さんの友達のすごく美人なBさんにお父さんがデートしてくださいって連絡したの。あの人本当に美人だから。」
ほかには、父の仕事仲間のご家族と家族ぐるみで出かけることが多かったのだけれど、
「お父さん、あそこの家の1番下の女の子だけものすごく可愛がるよね。やっぱり「顔が可愛い」って言ってたもんね。」
という話など。
私は、母のこういう話を聞いて育ち、
また、父はとても淡白な人で
直接褒められたりすることもほとんどなかったため
「お父さんは私が可愛くないから私のことを好きになれないんだ。」
と、思っていた。
母のコンプレックスと世代間連鎖
今、改めて当時のことを考えてみると
私は、父から直接可愛くないと言われた事は無い。
ただ、父は自分が1番大事な人なので
私の約束をいつも破るし、埋め合わせもない。
私を可愛がるような言葉掛けもなく
「愛されている」と感じることができなかった。
だけれど、私が父からの愛情を感じられなかったのは、母から繰り返し聞かされていた言葉の色眼鏡の影響が大きいと思う。
それに気がついてから、数年は母のことを恨んできた。
でも母の生い立ちを考えると
母自身が祖父に「愛されていない」と感じていたんだろうなと思う。
だから、祖父に愛されなかった欠乏感を
夫である私の父に埋めてもらうことを無意識に望んでいたのだと思う。
母は、夫に理想の父親を求めていたんだ。
それは、自分が欲しかった父親像。
それによって、夫の自分への愛を確認したかったんだと思った。
私は無意識に父に対する見方が母のトラウマのフィルター越しの判断になり、
母の価値観が連鎖したのだと考察している。
父に好かれる自分作り
私はそういうコンプレックスもあり、
自分の容姿やスペックを磨くことに必死になった。
「父に好きになってもらえそうな自分」
を必死に作っていた。
だけれど、欠乏感から始めた努力は
やってもやっても安心できる時が来ない。
やればやるほど、自分より優れた人と比べて焦りが強くなり、休む間もなくさらなる自己研鑽をするこことになった。
輝いている友人
そんな中で、ある友人のSNSを見るたびに
モヤモヤとしている自分に気がついた。
気がつけば、もう10年ほど彼女に対して、そういう気持ちを抱いていた。
彼女のことが羨ましかった理由
私は、彼女や、他にも似た雰囲気の友人数人に対して「羨ましい」という気持ちがあることに気がついた。
今までは、
友人が可愛くて、私の憧れの生活に憧れの仕事をできている姿がうらやましいのだと思っていたけれど、おそらくそういうことではなくて
(もちろんそれも羨ましいのだけど)
私には一生なれない姿だから
羨ましいけど、モヤモヤするんだと思った。
彼女(と他の羨ましく感じる友人)は
いわゆるアイドルタイプで
SNSを見ていても、芸能人みたいな笑顔の写真と生活ぶりが見られる。
子供の頃から学年に1人2人はいるそういうタイプの子を、
当時も、「羨ましいけれど、自分とは違うタイプの人だ」と諦めの混ざった気持ちで見ていたことを思い出した。
友人は一緒に遊んでくれたり、仲間に入れてくれるけれど、自分自身が上手にその子たちに馴染めないどこか居心地の悪さを感じていた。
居心地悪さの正体
その居心地の悪さの正体が言語化できた。
「私は愛される」という確信の有無だ。
彼女たちの共通点は、
「きっと父親に愛されてきたんだろうな」
と、周りが推測できるような空気を纏っていること。
見た目や能力関係なく、
無条件に、自分が人から可愛がられて愛される
と、心の底から信じている。
そういう人にしか出せないような
笑顔や立ち振る舞い、言動。
その全てが眩しいのに
自分には一生叶わないものに感じて
どうしようもない敗北感を感じる。
これは見た目の良し悪しではないんだ。
過去から与えられ続けた
疑いようのない満たされた愛情からしか
出せないものなんだ、と感じて
さらに、心が折れる。
まぁ、本当のところはわからないけど。
私の生まれてきた意味
うっかり母との会話中にこれが言語化できてしまったので、母は取り返しのつかないことをしたと言う罪悪感に取り付かれていた。
確かに、母の事はつい最近まで恨んでいた。
でも、母が悪気がなかったこともわかるし
母自身が祖父のコンプレックスを引きずっていることに気づいていなかったのもわかるし
私を傷つけたかったわけではないこともきちんとわかっている。
ただ、この不毛な母娘の連鎖が
世界中のいろんなところで起こっているのかと思うと、とても悲しい気持ちになる。
今の自分に不都合がないからと
自分の過去と向き合わないまま
知らないうちに、自分の子供にそういう気持ちを味わわせてしまう人がいることも悲しく思う。
仕方がないことではあるけれども、
1人でも多く、こういう不要な連鎖を次世代に受け継ぐことなく立ち切れる人が増えたらいいと思う。
だから母に
「私に償いをしてくれたりという事は求めていない。
ただ、もし申し訳ないと思ってくれているのなら、お母さんが過去に傷ついてまだ向き合っていないことを、ゆっくりでいいから一つ一つ向き合ってほしい。
それさえしてもらえれば、私は充分。
お母さんがそういう風にしてくれるなら、私は生まれてきてよかったと思えると思う。」
と、いう言葉がぽろっと出てきた。
言葉にして初めて気づいたけれど
私はきっと1人でも多くの人に
1つでも、多くの傷やトラウマを解消してもらって
それを自分の次の世代に引き継ぐことが
少しでも減ったら嬉しい
私はそういうことをしたくて、生まれてきたんじゃないかと思った。
気持ちが変わってしまうこともあるのかもしれないけれど、今まで「私は何をしに生まれてきたんだろう?」と考えていたので
ちょっとその答えが見つかったようで嬉しい。
そんな日でした。