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連作短編「おとなりさん season2 海の見える食堂から」#9

第九話「夏の日 〜後編」

〈今回の語り手〉沢渡たまき、十八歳。高校生。居酒屋「花鳥風月」看板娘。

 晴天。今日は炎天。
 午後も三時を過ぎたころ、お日様はわずかながら傾いてはいたけれど、変わらず、まるっきりの猛暑。酷暑。気温は摂氏三十五度。そもそもが車道に設けられた飲食店ブースは、アスファルトからの照り返しで完全な蒸し焼きスペースになっていた。
 海も開放されたこの日。浮き輪を手にして、水滴を滴らせてゆく小さな子たち。日焼けた背中。お母さーん、の、呼び声。すぐに乾くその足跡。サイクルロードに立ち昇った、陽炎。今年、初めての入道雲。あまりにも高い青。
 耳を澄ませば、聞こえてくる夏の波音。
「缶ビール二本ね」
「瓶ビールと、それから、焼き鳥」
「チューハイと塩焼きそば」
 テントの下ながら、炎熱の真っ只中を飛び交う注文に、かしこまりー、と、まいどー、で、応戦する私たち。ひっきりなしに続く注文と、テイクアウトには長い列。浴衣。Tシャツに半ズボン。麦わら帽にワンピース。花火を待つ人々によって、にぎわうテント。波打ち際にはパラソルとテントが色とりどりの花を咲かせていた。
 太陽に打たれて疲れきった様子の、花鳥風月の提灯。午後ののれんは、風もなく揺れなかった。
「レバーたれ焼き、塩皮、あがり」
 父が叫ぶ。流れる汗をふく間もなく、父は鉄板に向かっていた。頭に巻いたタオルから湯気があがりそうだった。首から下げたネームプレートには、花鳥風月/店主、沢渡豊。
「あいよっ」
 と、お盆を胸に駆け寄る可愛い大人。鈴のように涼しげな声。かっこいいお尻。長い脚。ネームプレートには、花鳥風月/仁茂あかり。
 ちらりと目が合うと、私に向けられた微笑み。むしろ、にったり。にんまり。きっと、心の中では、いひひ、でへへ、と、笑ってる。まるで、自由な熱帯魚のように、人と人の群れの合間を泳いで、手を振ってくれていた。
 あいつめ、と、私は思う。たったそれだけで、笑顔を思い描くだけで、愛おしくなる。
「塩焼きそばハーフとニラ玉、焼けたよ」
 その隣では、右京くんが腕を奮ってくれていました。開店前に父にレクチャーを受けただけなのに、見よう見まねで、すっかり慣れた手捌き。やるじゃん。
「とにかく、暑い時期だから、焦げるくらい火を通してください」と、野菜やソーセージや、肉と貝以外を焼く鉄板を任されたのです。お野菜なら新鮮な地元のものだし、仮に生焼けを食べさせてしまっても、お腹は痛くならない。花鳥風月直伝の焼きだれがあるから、生焼けなんて気づかれずにきっと美味しい。私たちが住む高知県の野菜は、世界でいちばん美味しいんだぞ。
 ネームプレートには、花鳥風月/大谷右京、と、父の字で記されていました。
「かしこまりー」
 思い切り、大きな声で応えた。
 真っ赤に焼けた鉄板は、四十五秒で焦げ目をつくる。なるべく早く。とにかく早く。
 右京くんの作った料理を受け取る。それは、よろこびのバトン。ほんの少しでも早く、料理を口にしたいお客様への、少しでも早く。私たちのリレーが続く。
 真夏の焼き物。炎天下の鉄板。初めて挑む、焼き物だけの居酒屋、花鳥風月バーベキュー。そんな、花火大会の夕。始まった打ち上げのテストと、そのたびに上がる歓声。迷子になって泣く子と、その子の特徴をアナウンスする放送。刻一刻と過ぎ去る夏のある日を過ごす、集まった人たち。隣り合う肩。真夏の夜の夢、花火大会を待つ、すべての人々。
 南の太平洋は、昨日によく似た光を弾けさせていた。今日しか放てない光だって映し出してくれていた。
「海」
 目を凝らせば、かすかにカーブする水平線。地球はほんとに丸いのだと知った、一年前。朝焼けには裸足になって、その砂浜を歩いてみた。歩道には小さなお堂があって、そこには、約束地蔵という、お地蔵様が鎮座していた。この、四国は、お遍路さんの地。旅の土地。手を合わせる誰かを見つけたら、それは、きっと、昨日までの自分自身。
 旅をしてきた私たちは、ここで知り合って、お隣さんになったんだ。
 あの日の約束。
 繰り返した、その一瞬と一瞬の連続は、たったの一つだって忘れない。振り返る日には、居場所がなくなってしまった私がいた。でも、いまは、こんなに多くの人たちが隣にいる。
 ふと手にした、花鳥風月/沢渡たまきのネームプレート。どうして、こんなに忙しいときに感傷的になっているんだろう。ぼんやりしている私の右を、それから左へ、美味しいものを頬張りたい、欲張りさんたち、食いしん坊さんたちの声が飛んでゆく。
「たま、ぼんやりするなー」
 あかりが笑っていた。
 いつか、強くてかっこいい大人の女になって、そのときは、きっと、あかりに宣戦布告してやろう。
「まかないなら、お客に混じって食べてくれ」
 見慣れたようで、外で見ると、新鮮に感じる、微笑み。父ちゃんだって笑ってくれた。
 いつだって、父ちゃんの笑顔は私の元気の源なんだ。いつだって、父ちゃんのつくるまかないは、私にとっての一番のご馳走なんだ。
「沢渡さん。これ、まかない」
 右京くんが差し出した一枚のお皿には、ソースが焦げた焼きそばに大きなソーセージ。しっかり焦がした長太郎貝に、たくさんの紅しょうがが添えられていました。味付けも色合いもめちゃくちゃ。なのに、どうして、こんなに美味しそうなんだろう。食べる前から美味しいってわかるのだろう。
 その味は、花鳥風月秘伝の焼き物たれ。関西から取り寄せた、日本一美味しい醤油に味噌を、それから麺つゆ。焦がしたにんにくと、刻んだしょうが。塩胡椒に砂糖をひとつまみ。こっそりキムチ。オイスターソース。刻んだたくさんの野菜と果実。昨日、煮込んだラーメンスープ。お肉の脂、その甘み。たくさんの思い。今日は昨日より美味しくなりますように。
 愛情と、優しさ。人の世界の慈しみ。そんなすべて。だから、におうだけで美味しいのだ。
「流行ってるのねー」
 行列してくれていたのは、隣のお店、サトウ商店のナミさん。今日は貝を届けてくれたのです。これから、(新しい)彼氏と花火見物かな。それから、南風駅近くでピアノ教室を開いているフミコさんとサクラコさんが並んでくれていました。差し入れに、と、ペンギンカフェのかき氷。暑い暑い四国の太平洋側で、通年、人気のジェラート店の真夏メニュー。
 麦わら帽子を深く被って、カメラを構えている静かな横顔。この風景を撮りに来たのだと言っていた、写真家のアヤカさん。きっと、ごはんを食べに来てくれるだろう。
 それから、「ビールください」と、ピエロだって、やってきた。そのお隣さんは「私はジンジャーエールを」だって。
 お隣の町に新しくできた動物園、「アニマルパーク野市」のオープニングイベントに訪れているという、腹話術師のハルさんと、相棒レオくん、お嬢さんのいなほちゃん。
「肉食べたい!」
 と、声を合わせてくれたのは、クラスメイトのコムギちゃんとナツミちゃん。セイジくんとヒデくんも並んでくれている。
 それから。
 この二年くらいの間、このあたりで創作活動をしているという、謎のロン毛おじさん、ビリーさん。お隣さんはスイカ農家のゲンヤさん。お二人、その風貌で、花火大会なんて興味あるんだ。飲み過ぎないでね。
 ありがとう。みんな、大好き。
 いつだって、これからも、お隣さんが笑顔でいてくれますように。精一杯の感謝を込めて、私たちは笑顔を浮かべたのです。

 打ち上げ花火が始まりました。
「今日はこのあたりにしよう。みんなで花火を見よう」
 父の思いがけない発案で、今夜の花鳥風月は閉店です。父とあかりはビールを。右京くんは烏龍茶。私はジンジャーエール。メガサイズのジョッキになみなみと注いで、しっかりと残されていた、美味しいあれやこれやを大皿に二枚。花鳥風月直伝の甘辛たれに漬けて、焼いた、海の恵み、山のよろこび。人々の営み。
「お主ら、乾杯の時間だ」
 頬を光らせて、あかりが言いました。隣に父。二人が並んで、こっそりとぎこちなく微笑み合っているのを、私は見逃しませんでした。
「おつかれさま」
 右京くんと私もお隣さん。未成年って残念だな。こんなときこそ、ビールなんだろうな、なんて、目の前の大人二人をうらやましく思うのです。
 陽にさらされて、くたびれた、のれん。火を落とした提灯。勇ましかった花鳥風月。そのネームプレートを取り払うと、家族と、友達の、四人に戻っていたのです。
「じゃあ、みんな」
 あかりがジョッキを掲げました。
「夏の日に」
 初めて見るくらい、父も笑っていたのです。
「よろしく、たまちゃん」
 右京くんに促されて、
「皆さん、おつかれさまでした!」
 私が開幕を告げたのです。
「せーの、かんぱーい!」
 ごつん、ごつん、と、使い慣れた、その重さにも慣れたジョッキをぶつけて、真夏の日の熱、汗と油、くたびれきった一日を生き延びた、お互いに慈しみを持ち合わせて、今日もきっと、小さいけれど、確かな幸せ。
 そのお隣で、すぐに花火が鳴り始めました。
 見ていたいのに、見ていられない。目を閉じて、その音に合わせて、私はまぶたに花火を思い描くのです。
 まずは割物、菊。それから、牡丹。花火の玉がが破裂するとき、星が球形に飛び散る種類のことだそうです。丸くて美しい割物は、日本を代表する花火なのです。
 一発、開くごとに生まれる歓声。私たちがよろこぶ声。
 今夜、花火を見上げるすべての人は、肩を並べるお隣さん。
「父ちゃん」
 私は、一番近いお隣さんに話し始めました。
 久しぶりに肩を並べたような気がしました。久しぶりに並んだ父は、ずいぶん大きな人だけど、それでも、以前ほど高くも、遠くもありませんでした。
「私ね、神戸の大学に行きたい」
 小さなころ、いつも、私は、父に肩を寄せて眠っていたのです。思い出すまま、こつんとぶつけて、頭を乗せました。
「そっか」
 花火の玉がが割れた後、星が尾を引いて放射状に飛び散って、夜空に描き出された菊の花。日本の花、菊。私たちは何度、その開花を、閉じるのを、見つめて生きてゆくのでしょう。
 父ちゃん。私ね。
「栄養学を学ぼうと思ってる」
「うん」
 牡丹。それから冠。
 玉が開いてから、大きく空へ流れ落ちて、地面近くで消える火花。消えてゆくその姿を見つめていた。終わると一瞬なのに、見ている時間は永遠さえ感じるのです。
「調理師の免許を取って、人気のあるお店で修行もしてくる」
「ああ」
「経営の勉強もしてくる。いつか」
 花火の玉が割れてから、上空から光が落ちてくる、柳。花火の軌跡が、枝の垂れ下がった柳のように見えることから、柳と名付けられたそうです。
「いつか、父ちゃんの、花鳥風月を継ぎたいの」
「うん。たまきもそろそろ大人なんだね」
 花火界の大スター、スターマイン。
 数十発から、ときには、数百発の花火が連続で打ち上げられます。まさに圧巻の光景。花火大会のクライマックスです。
 一際、大きくなる歓声。それは、今夜という、昨日にはあまり似ていない、光の祭典が終わることを意味していました。
「それから、子供たちが美味しくごはんを食べられる、子供食堂をつくりたい。花鳥風月の近くに」
「ついこの間まで、君も小さな子供だったんだぞ」
 震えてかすれた語尾。きっと父は泣いていました。
 滲んでぼやける光。私もお隣さんと同じように肩を震わせていたのです。
 続く、ナイアガラ。仕掛け花火の中でも人気のナイアガラは、世界三大瀑布の一つ、ナイアガラの滝のように、流れ落ちる水が夜空に広がる様子を花火にしたそうです。
「父ちゃん。しばらく、四国を離れて、勉強にいきたい」
「ああ」
「だめかな。私、本気なの」
「だめなんて言ってないよ」
「うん」
「君に出来ないことなんてない。きっと、なんだってできる。父ちゃんはそう思う」
「うん」
「君にはたくさんの可能性がある。でもさ」
「ん」
「もし、困ったことがあったり、辛いことがあったら、父ちゃんを頼ればいい」
「うん。うん」
「父ちゃんは、どんなことがあっても、一生、たまきの父ちゃんだよ」
「ねえ、父ちゃん」
「ん?」
「私たちの仕事は?」
 父を真似ました。
「ごはんを作ること。それから」
 私は何度も聞かされて、いまや、それは呪文のようです。
「酒を出すこと、もね」
「それから、僕たちは。輝く我が名ぞ」
 そうだよ。私たちは、輝く我らぞ、
「花鳥風月。海の隣にある食堂」
 鼻をすする声に振り返ると、そこにはあかりが、右京くんが膝を抱いていました。二人は、まるで、子供のように涙を流して、私たちを見守ってくれていたのでした。
「僕はいつだって、花鳥風月で君を待っているから」
 ついさっきまでの打ち上げ花火とは違い、水面に半円状に開花する水中花火が始まっていました。
 水中花火は、船の上で点火した花火を、水面に向かって打つことで爆発させる花火だそうです。浅い場所で爆発させることで半円状に開花します。水中でも消えず、まさに、花のように開くのだと聞きました。
 この世界のあらゆる光はやがて、海に落ちて溶けて消えてゆくのです。
 太陽のように。
 星のように。草木のように。
 花のように、鳥のように、風のように、それから、月のように。
 あるいは、私たち、人のように。
 この世界のありとあらゆる生き物がそうであるように。
 明日になれば、昨日よりずっと晴れて、私たちはあくびをしてから、笑うのです。
「おはよう」
 って、お隣さんに朝を告げるのです。
 これからも、そんな日々が続くのです。
 いつしか、花火大会は終わっていました。

つづく
artwork and words by billy.
#創作大賞2023
#ほろ酔い文学

 さて、いよいよ、次回は最終話。
 宇宙の帝王、フリーザの来襲を受けた地球。沢渡父娘はどう立ち向かうのか。始まる最終決戦。地球の命運やいかに?
(そこそこに)ご期待ください。

©️鳥山明さん ©️ビリー

to be next……


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ビリー
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