ボクの創作の原点を変えたのは、一人の少年の無垢な行為だった。
こんにちは。映像作家の増田達彦です。
今から27年前、birdfilmを設立した翌年の1995年夏。
当時ボクはCBCテレビ、中京テレビなど、テレビのレギュラー番組を5本ほど担当するディレクターでした。
その中でもCBCの「名古屋発!新そこが知りたい」という、毎週木曜日夜7時からの1時間番組は、結構ハードなロケと編集で1か月ほど制作に時間がかかる力技の情報番組でした。
その夏のロケは、敬愛する照明さんのアイデアを基に企画した「お父さんと行く旅」という情報旅番組でした。
登場するのは3組の父子。
子どもにSLを見せたいという大井川鉄道のSLの旅。
桑マン親子が鉱山跡で宝石探しをする鉱物採集の旅。
そして美味しいアワビを食べたいというお父さんの夢を娘が叶える旅。
それぞれ大変なロケでしたが、特にアワビの旅は、海女さんの漁を観つつ、真夏の炎天下の志摩半島の魅力を訪ね歩く、
ひたすら暑く体力的に厳しいロケでした。
そんなロケの様子が面白いのか、地元の5~6歳ぐらいの男の子たち数人が、ずっとロケ隊について来ていました。
特にジャマをするわけでなく、興味深そうに見ているので、
ボクらも気にせずに、暑い中、ロケを続けていました。
志摩半島の先端、御座の港に着いた時、あんまり暑いので、出演者には喫茶店で休んでもらうことにしました。しかし、貧乏プロダクションに時間を無駄にするゆとりはありません。休憩時間中、もうひと頑張り、ボクと技術さんとで風景撮影(いわゆるインサートカット撮影)に出かけることになりました。
が、あまりの暑さと疲れでボクの足が動きません。
思わず、「あー、暑い!、のどが渇いたなー。」と弱音をはいてしまいました。
その時、それまでロケ隊の後をついて歩いてきた少年たちの一人が、突然自分の持っていた飲みかけのオレンジジュースの瓶を、一言も言わずスッとボクの目の前に差し出したのです。
ボクを見上げるその目が語るのは、(そんなにのどが渇いているんなら、これあげるよ)。
自分たちだって炎天下の中、汗だくでボクらについて回って来て、とてものどが渇いていたはず。だから自分の少ないお小遣いで買った貴重なオレンジジュースを飲んでいたはず。
そのジュースを惜しげもなくボクにくれようというのです。ボクのつぶやきを聞き、何の見返りも期待せず、ただ純粋に、喉が乾いた見ず知らずのおじさん(ボク)をかわいそうだと思ってジュースを差し出してくれたのです。
何というピュアな想いなのでしょう。
何という想像力なのでしょう。
何という優しさなのでしょう。
ボクは「ありがとう!ありがとうな!」と言って、その子のジュースを瓶ごと受け取り、そのままラッパ飲みしました。
冷たくて、そして、涙が出るほど美味しいジュースでした。
ボクは自販機で新しいジュースを買い、その子に何度もお礼を言いながら渡しました。
その子は、まぶしそうな眼をして、少し恥ずかしそうな笑顔を返してくれました。
ボクはこんなピュアな優しさを今まで受け取ったことがあっただろうか?
ボクがこの少年の立場だったら、こんな素直な純粋な想いで自分のジュースを人に差し出せるだろうか?
ボクは自分のことを何も考えず、ただ目の前の人のことだけを思いやり、行動に移せるだろうか?
ボクは視る人や出る人の胸の奥の痛みや悲しみや苦しみに、ちゃんと想いを馳せて表現できているだろうか?
そして何より、ボクは表現者として自己承認欲求や自己実現のために番組や作品を作ってはいないだろうか?
それはものすごく不純な動機なのではないだろうか?
ジュースをくれた少年の行為は、ボクの人生観を大きく変えてくれました。
そしてボクが本当に大切にしたいこと、本当に心打たれることは、「純粋で無垢なもの(想い)」だということを気づかせてくれたのです。
それはボク自身がいかに不純で汚れているかという事に他ならないのかもしれません。
でも、ボクが一番心打たれ心動かされるものが何か分かったという事は、その後のボクの創作活動、いや、生き方そのものを大きく転換させてくれました。
ボク自身が汚れているからこそ、純粋で無垢なものがわかる。感動することができる。それを表現し、伝えていくことが、汚れた魂のボクができる唯一の表現なのだと。
きっとこの先もボクの魂は、あの少年のように無垢にはなれないでしょう。
だから、ボクは作り続けなければならない。あの少年の行為の元である、無垢で純粋な魂の美しさを表現するために。
あれから27年、ボクは汚れたまま、まだ悪戦苦闘しています。
birdfilm 映像作家 増田達彦