映画「名付けようのない踊り」
真田広之扮する刺客に討たれた「たそがれ清兵衛」が、田中泯の演技を観た最初だった。
立ち姿の美しさ、眼光の凄味、所作の優雅さ…「あんな死に方されたら、惚れちゃうよね。」映画館を出て、連れに言った自分の言葉を覚えている。20年前、57歳にして初めての映画出演と聞いたが、子役の2人も含めて、芸達者揃いのキャストの中でも際立つ存在感で、藤沢周平の世界にもぴったりの敵役だった。
田中泯の語りや演技が入ると、画面がキュッと締まる。以来、ずっと気になる役者である。
本業である踊りをじっくり観るのはこのドキュメンタリーが初めてだ。旅をしながら、5カ国、48箇所で即興で踊る。それを田中泯の踊りを何度も見に来ていた犬童一心監督が、2年余りに渡って、カメラクルーと追いかけた。
「僕の体を介在して、その場で生まれるものを、オドリと信じてやってきた。」
半世紀近く前、全裸に近い姿で銀座の街角で踊って、3日間留置所に放り込まれたことがあるらしい。「裸は僕の衣装。衣装で踊っただけなのに。」
1978年、33歳で招聘されたフランスで絶賛されたパフォーマンスの画像が素晴らしい。ダンサーと観客が一体となった場の緊張感。日本ではなかなか理解されなかった、地を這うような裸体の踊りに、フランスの人々が衝撃を受け、多くのメディアで取り上げられる。20日間、一日数度に増えた公演には、ベジャールも見にきた。それが世界へのデビューになった。
体を作るための山梨での農業、各国への旅、かつて私淑した土方巽、それ以前の10年に渡るクラシックやモダンバレエの素養、映画ではアニメで綴られた幼少期の体験。全てがartistを形作っていることが伝わってくる。演技の美しい所作の所以も。
言葉にも音楽にも隷属しない、体の底から湧き上がる、根源的なオドリ。 "I want to be dance itself that is not named." 韓山映画祭での上映後でも語っている、「名付けようのない、ダンスそのもの」。題名の由来である。
正直なところ、田中泯の踊りは近寄り難かった。
山梨の農場に山田洋次監督がやって来て「たそがれ清兵衛」への出演を要請された。初めての映画出演に、「どうしたらいいかわからなかったので、自分が、その時、その場でどういればいいのか懸命に考えた。それは踊りだから。」
そうか、あの見たことのない、美しい殺陣と死に様。あれが彼の踊りだったのか。
田中泯が「私の子ども」と表現する自らの子供時代の記憶を、山村浩二がアニメーションで描く。子供の目で見た、生きることの厳しさ、暮らしの貧しさ、自然の中での孤独からの解放が、淡い色と優しいタッチで、実写の合間に編み込まれている。カメラも素晴らしい。畑での畝起こし、薪割り、庭で寛ぐ猫、浪江町の廃屋で大きな巣を作る蜘蛛。そして、即興で踊る<場踊り>の、どの場面も美しくとらえる。
「現代社会が、効率に支配されてしまうことを拒む、つっかえ棒であろうとする、田中泯の姿をひとつのヒントとして投げかけたい。」 犬童監督(パンフレットのインタビューより)
映画の最後、ポルトガル、サンタクルスの路地で踊り終わって、「あー、しあわせ」と呟く笑顔がいい。
「ことばが生まれる以前の伝達手段であったはずのオドリ」を、その場に居合わせた観客ひとりひとりと呼応し合って踊ること。表現として現れるものと、それ以前の、彼が根っこに宿すものの幾分かが、わかったように思う。
Artistの魅力満載の、心地良い、何というか、見終わって背筋の伸びる映像体験だった。
映画を朝イチで観た後、お蕎麦を食べて、食料を調達して帰る。これでまた、1週間は籠城できる。
立川シネマシティ 1. 28