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HSPとうつ病って関係あるの?

HSPとは

HSP(Highly Sensitive Person:高敏感性をもつ人)という言葉を知っているだろうか? 私の記憶では日本でこの言葉が使われはじめたのはコロナ禍の第1波が落ち着いた2020年夏ごろであった。
1990年代からHSPの研究をしているエレイン・アーロンによれば、HSPとは全人口の15〜20%が生まれながらにして持つ特性であるという。

私はHSP。 たぶん。

私は幼い頃から「おまえはなんて神経質なんだ」「頑固だ」「偏屈だ」と家族に言われて育った。物心ついた頃(3歳くらいか)から言われていたので、生まれつきの気質なのだろう(とはいえ幼稚園児に神経質だの偏屈だのいう家族もどうかと思う笑)。
さてそんな私がHSP診断(診断というと語弊があるので「HSPチェック」などのほうが適切な言い方か)をやってみたところ、27項目中14項目に「はい」となればHSPだというところ、実に25ものチェックが付いた。
要するに私は根っからのHSP気質なのだろう。

だけどHSPって言う必要、ある?

ところが私はHSPだと積極的にリアルの知人に言うつもりはない。その理由を下記に述べる。

まず、HSPの脳はそうでない人の脳とは異なる働きをするようだが、現時点ではその人の気質を表す言葉であって、医学的な病名ではないという点だ。上述のHSP診断なるものは、決して医学的な診断ではなく、あくまでも自己診断・判断、心理チェックのようなものだ。
病名や障害であるならばそれは治療や生活上の支援・ケアが必要になるが、HSPについては(これからそういう対象になる可能性はあるものの)現状では治すべき対象とはみなされていない

確かにHSP気質と精神疾患の関連なども取り沙汰されているように、自分はHSPだと(自己)診断するということは自分の健康を守るためには一定の意義があるとも感じる。HSPの概念を知ることにより自分の生きづらさの正体が明らかになるのは大変よいことだ。救われる気分になる人もいるかもしれない。

しかし、困りごと・生きづらさを抱えていない限り、多くの項目に当てはまったとしても「自分はHSPだから……」などと気負う必要はない。定義も曖昧、治療法・適切なケアの方法が確立されていない現状に鑑みれば、子どもたちが変に気負ってしまい自分の可能性を狭めてしまわないかと懸念する。

HSPの気質がありながらもその言葉が登場する以前になんとかやってきた私のような大人たちは、完璧主義・几帳面などの正の側面を生かして活躍してきたフシがあるように思う。うつ病になったのはこの気質が少なからず影響しているとは感じるが、HSPともし病前に知っていたからといって、何か予防につながっただろうか? 現時点では疑問である。
HSPという言葉で変に括って負の側面が際立たないように、あたかも病名のように言葉が一人歩きしないように、と願う。

私はうつ病というラベルをすでにつけられている。その上に、HSPというーー現時点ではついても仕方のないーーラベルを背負いたくない。私は私。それなりに生きてきたのだから、それなりに生きていけると思いたい。

言葉を一人歩きさせない情報発信のあり方を

疾患概念を導入するときは、きちんとした定義(病態)と治療法・対処法をセットで情報発信すべきだ。ところが一般の人々(特に若者)においては、「うつ病」などの病気(=治すべき対象)や「発達障害」などの障害(=サポートを受けるべき対象)と半ば同列にHSPという言葉が使われはじめていると感じる。

私たち大人はHSPの負の側面と同時に正の側面、そして特性をうまく活かして生きる術やサポートのあり方も同時に発信していかねばと思う。

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