見出し画像

口頭試験中にパニック発作?!

こんにちは、ヒトミです。

大学1年生の時に経験したことをお話しします。

実は私はパニック発作持ち(診断書あり)なんですけれど、それはこの時に判明しました。

ストレスが多かった

私の大学では1年生のうちは退学をかけて必死に勉強しなければなりません。↓

私の大学についてまだ何も知らないよ〜という方は上の記事を読むことをお勧めします!


私は解剖学の試験に向けて、日々勉強していました。

解剖学は、人間の体は肉眼的にどうなっているのかを学ぶ学問です。例えば筋肉や骨、神経など、名前と位置を全て覚えます。

解剖学の試験は口頭試験で、

問題が3問あるカードを山から一枚引いて、教授の前でそれに答えるというものです。

解剖学は退学が掛かった一年目の教科の中で合格するのが一番難しいと言われています。

他の教科も勉強しながら解剖学の膨大な知識を全て覚えるのはほぼ不可能です。だから、運よくいい問題カードを引けることも必要なのです。

当時の様子は一言で言うと。。。


終わりも見えない途方もない距離のトンネルを、「失敗したら退学」というムチで尻を叩かれながら走っている

という感じでしょうか。。。笑

ストレスが半端じゃなかったですね。(発作が100%ストレスによるとはわかりませんが)


ただ、試験の前日は、いつもどおりに落ち着いていたように思います。

当日

綺麗目のドレスコーデに身を包み、いざ出発!


教室の前には同じように試験を受ける人が5人くらい並んでいました。

みんなガチガチに緊張していました。

先生が教室に入ってくると、問題カードを引く時間になりました。

順番に並んで、一人一枚ずつ。。。

白紙をもらって席に着き、準備をします。知っている知識を全て書き出しました。








自分の番がやってきました。

緊張が高ぶり、耳で聞こえるくらい心臓がばくばくしました。

いつも授業でお世話になっているDr. Mariaというおばあちゃん先生と、ちょっと怖いおじいちゃん先生が試験官でした。


最初の2問はパスできました。

残り1問になった時、突然過呼吸になり、うまく喋れなくなってしまったのです…!



すると、Maria先生が「一回水でも飲んで休みなさい。それで良くなったら、再チャレンジしなさい」と言ってくれて、

違う席に移動して水分を摂って、再び試験の続きに挑戦しました。




喋り始めると、また、過呼吸がしました。

心臓がバクバクして、こめかみのあたりがドクドク脈打つのが聴こえました。

「どうなってるの??」

「これじゃ不合格になって、退学になっちゃう」


頭がパニックで真っ白になり、涙が溢れました。

過呼吸は酷くなり、私は試験を継続することができなくなりました。



どうなっちゃうの?

このまま落ちてしまうのかな。。

試験官のおじいちゃん先生は不機嫌な顔になりました。


すると、
隣にいたMaria先生がおもむろに私のpreparation paper (知っていることを書いた紙)を覗き込み、

おじいちゃん先生に耳打ちました。


何を言ったのかはわかりませんでしたが。。



私はギリギリではありましたが、幸い合格することができました。(当時は過呼吸が苦しくてそれどころではなかった)



※ちなみに、試験は当日の点数以外の部分(授業中の態度、定期テストの成績など)も反映されるルールだそうで、
私は無欠席無遅刻で授業も積極的に参加していた方だったと思うので、”普段から良い生徒だった”、というのもあったのかもしれません



試験はかろうじてMaria先生のおかげで助かったのですが、試験が終わったあと、私は倒れこみそうになりました。

手足が痺れ始めて、変な感覚になりました。


異変を感じたMaria先生は「私のオフィスに来なさい」と私を支えながら階段を登ったり、歩行をサポートしてくれたりました。

先生のオフィスに着いて、椅子に座らせてもらいました。この時はもうすでに膝が曲がらなくなっていて、手の親指が手のひらの方向に曲がったまま固まっていました。

手の親指が内側を向いて曲がっているものを ”助産婦の手” といって、過呼吸によって血中のカルシウム濃度が低くなって起こる現象として知られています。この低カルシウム血症の状態では手以外にも体が痙攣したり、痺れたりすることもあります。

Maria先生はコーヒーを飲ませてくれたり、手足を冷やしたりしてどうにか私の緊張状態を解こうとしてくれましたが、咳込んだり痙攣が続いたりして、うまくいきませんでした。

もう一人Beraさんというおばさん先生が、解剖学の先生じゃないけれど、応援にきてくれました。(学年のチューターさんで、何かと学生生活をサポートしてくれる先生です)

Beraさんはマグネシウムの薬を持っていたので、緊急でそれを水に溶かして服用しました。(レモンの炭酸水のような味がします)

咳き込んでしまって中々飲めませんでしたが、ゆっくり頑張りました。


すると、みるみる足の痙攣と手の硬直が解けていきました。
首筋のドクドク脈打つ感じもなくなりました。



初めて救急車に

Maria先生が呼んでいた救急隊がきた頃には、全身の痙攣がなくなっていました。

検査もあるので、すぐ近くの大学の付属病院に運んでもらいました。


チェコの救急車に乗るのは生まれて初めてだったのですけれど、

チェコの救急車って凄く、速いです。笑

乗っているとき、アトラクションみたいに、飛び跳ねたりGがかかっているな〜っていう瞬間が何度もありました笑

でも、ちゃんと患者はベッドに縛り付けられているので、ベッドから落ちたり、体の位置がズレることはありませんでした。


日本のと比べると、
日本の救急車は、患者のためにゆっくり慎重に運んでいる印象でしたが、チェコのはどちらかと言うとスピード重視な感じがしました。
(たまにドリフトの音が出ているのを見ることがあります)

話が逸れましたが。。。

大学病院について救急センターで脈拍を測ってもらいましたが、静止時で90近くあったのを覚えています。

(普通は60〜70/分で、走ると90〜140くらいです)


病気!?

心電図をとってもらいましたが、心筋の機能に異常はありませんでした。


そして、パニック発作と診断を受けました。


カルシウムとマグネシウムが低値だったので点滴してもらい、家に帰りました。


余談ですが、この時使った心電図(made in Japan)の機械が壊れていたのか、2台目(made in Czech republic)に変えたところうまく読み取れたようで
「日本の機械はまあまあだね、チェコの方がいいね」と言われました。
(担当医は私が日本出身というのを知ってて敢えて言っています)
ちょっとイラッときましたが、体を治してもらったので何も言えませんでした。笑


Beraさんは救急車に同乗してくれた上に、最後は大学寮まで車で送ってくれました。

もう歩けるからいいですよって言ったのに、「何が起こるかわからないでしょ、ほら、乗って行きなさい」って。笑

とても優しい先生なんです。



この時の経験が今に生きている!


原因が何だったのかはまだわかりませんが、かなりつらかったです。

少なくとも、ミネラル分などの栄養不足とストレス過多はあるとは思いますが…。

今も時々過呼吸や心臓のドキドキはたまに起こっています。


でも進級していきパニック発作についても学んでいくうちに、メカニズムと対処法を知れたので、
今では一人でコントロールできるようになりました。



医学部にいるので、
授業中に周りの人に体験談として話すことで周りの人も勉強になるし、
パニック発作・症候群について自分の理解も深まるので、
とても良いことだなと思いました。


自分がなったことのある病気の勉強をしている時、
とてもタメになった経験だなぁって振り返っています。
それを狙って罹ってる訳ではないし、なりたくもないけれど…笑



また、チェコ語の授業で「自分で自由にカルテを作成する」という宿題があり、自分のカルテでもいいし、内科の授業の実習先の患者さんのカルテでも良い、
ということだったので、私は自分の今回の症例を題にしました。

その時のがこれです↓

前の記事でも貼り付けました。↓

自分の病気をチェコ語にすることで、また一つ学ぶことができました。



これからも、健康に気をつけつつ、
学生生活を楽しみたいと思います!(^ ^)




共感したなぁ〜、気になったなぁ〜って方はハート・コメント・フォローお待ちしてます!
皆さん良い1日を!

いいなと思ったら応援しよう!